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死刑にいたる病のotomisanのレビュー・感想・評価

死刑にいたる病(2022年製作の映画)
4.0
 父親であるとは進んで名乗れない立場であっても、息子がもういい年齢に達したのに何も面白い事のなさげに強張っているのを見れば、生きるヒントを与えたくもなるだろう。その点、この父親は自分にただならぬ自信、いや自信の本源としての愛があるのだ。ただその愛は、おそらくかつて自分以外に向けられたことはなかったのだろう。
 ふとした慢心から23人目を手掛けるなかでミスを犯し、事が露見。24人目として知り合いの犯行まで罪を被る事となるが、あるいは父親はこの捜査陣の不手際をよろこんだかもしれない。この冤罪を手掛かりに息子を私的捜査に赴かせ、父親の発見とその実像の探索を通じて、父における、「生きる」とはどうした事かを伝えたいと思ったのだ。
 あとは父の秩序型な生き方でも、父親がそうなれと誘導し見事にそうなった24人目氏の衝動的生き方でも、自分に合ったようにすればいい。しかし、いづれから習うにせよ自分を愛するのは自分を措いて外に無く、その助けには自分に匹敵する愛玩物以外投じてはならない。当然その愛玩物の選好も自分の秩序または優れた情動に従わなければならない。
 結果、それが何をもたらすかは、塀の中にいるか外にいるかはさて置き、この父に接し、かの24人目氏に接すれば自ずと分かるだろう。つまり、塀の中で控訴審と死刑を待つ父の秩序に殉ずるための穏やかな在り方。他方、その父の影に隠れて破壊衝動をこころを苛むためにフル活用する、内なる自傷活動の疾風怒濤を秘めた日々である。
 ただ、そんな24人目氏の呻吟に接し、息子はそれを父の唆しのせいとするが、唆される下地は24人目氏の自前なのはその通りだろう。ならば、こんな父とその言わば眷属らに取り囲まれて息子は自分に何を見出すのだろう。
 衝動の使い方を冷静に計算した予行演習で死者何人をシミュレートしたか知れないが、実地の衝動殺人は中々敷居が高そうで、秩序の探求に切り替わるべきなのか。しかし驚くべし、思いがけない類友が急接近して来たじゃないか。あの父親はこれまでどれほど広く人材の探求と発掘に努めてきたのか。自身のためには23人の登用で止まってしまったが、24人目氏といい、類友彼女といい、毛色の異なる様々な人材に声をかけて来たに違いない。そのひとりが今、思いがけず息子に接触しかけてくる。彼女が理解者なのか共謀者なのか、それとも獲物の方なのかは分からないが、彼らに触れて息子はどう成長してゆくのだろう。父の衣鉢を継ぐのかそれとも決別するのか。想像し書けば書くほど息子のあの屈託を無表情に押し込めた憂鬱さが頭に沁みついてくるような、この病は伝染り易いかもしれない。