ウサミ

ある男のウサミのレビュー・感想・評価

ある男(2022年製作の映画)
4.1
人間は、さまざまな環境や、関わる人物、生きている時代に左右され、多様な考えを持ち、個性を形成する。
しかし、その複雑な心情を他人が把握することは並大抵のことではない。

「その人が何者であるか?」
それは、「名前」というただの文字列によって“その人”の全てが定義されてしまう。

名前とは時に人に染み付いて離れない呪いとなり、その人の人生を蝕んでいく。

さらに、それだけではなく、その人の人種や、育ての親、生まれた家、それらの断片的な情報により、アイデンティティが勝手に定義されてしまうのだ。

最愛の次男を病気で失ったシングルマザーの元に現れた純朴な青年。
彼が彼女の心を癒し、2人は幸せな家庭を築くこととなる。
そんな幸せも束の間、事故の魔の手により彼は死亡する。
一周忌に現れた彼の兄は、遺影を見るや否や、「これは弟じゃない」と言い放つ。

観客に作品をのめり込ませドラマを描くためのバックボーンを、かなりテンポ良く、かつ丁寧に置いているので、ヒューマンドラマに感情移入しやすく、退屈が無い。

実は、本作のメインポイントは安藤サクラと窪田正孝の家族ドラマではなく、「死んだ夫は何者なのか?」を追う妻夫木聡のドラマにあった。

妻夫木聡はやり手の弁護士で、人当たりが良く慈愛に満ち、死刑制度に対して人道的観点から廃止を考える人権派だ。
綺麗なマンションで、美しい妻と小さな息子と3人暮らしで幸せに暮らしている。

しかし、彼のその順風満帆な人生に、小さなシミがこびりつき、小さな棘がチクチクと針を刺す。
彼はそれを笑って受け入れ、黙って飲み込む。

どこまでも真摯な男は、過去に離婚調停で関わったことのある安藤サクラから依頼を受け、死んだ窪田正孝の正体を探り始める。
そして、戸籍交換の斡旋により逮捕された男の存在を知り、事情聴取のために対面することになる。

柄本明演じるその男は、なかばハンニバルレクターのような佇まいで、妻夫木聡の心の闇を暴き出そうとする。つくづく、『羊たちの沈黙』とアンソニーホプキンスの凄さを感じ入る。

彼が持つコンプレックスは、社会に満ちる理不尽を体現し、彼の精神を蝕んでいく。
社会の矛盾と、自分自身に潜む闇と、静かに対峙する男に、妻は寄り添おうとしない。

彼が闇に堕ちる危うさを漂わせながらも、彼が追い求める真実は、決して悪の道に観客を連れて行こうとはしない。
安藤サクラとその息子、そして窪田正孝の三者のひたむきな愛は、決して一線を超えることはなく、観客を失意に落とすことはなかった。
ヒューマンドラマは愛に満ちた様相を繰り広げ、大団円を迎える。
ただ、妻夫木聡に残る冷たくドス黒い感情を残して…

「深淵を覗き込む時」シリーズはよくあるが、本作はその絶妙な揺蕩いと、うっすらと潜む闇を静かに暴き出すのがとても上手く、丁寧だった。

しかし、個人的には上記の「光と闇」のドラマの平行により、どっちつかずになってしまった印象で、結局何だったんだ?という感想を持ってしまった。
ヒューマンドラマへの感動も、サスペンスへのゾクゾク感も、どちらも肩透かしな印象。俳優の演技が素晴らしいので見応えはかなりあるが。

ラストの展開は見事だと思うし、しかし同時に、なんか蛇足な気もする。難しいな。

個人的には、作品の焦点をもう少し絞って欲しかったかも(できれば妻夫木聡側に)。
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