ハル奮闘篇

帰らない日曜日のハル奮闘篇のレビュー・感想・評価

帰らない日曜日(2021年製作の映画)
4.8
< テン候補作 見逃し鑑賞その5 >
【 天涯孤独なメイドのジェーン 彼女の人生を大きく変えたその一日 全編が映画的な深い味わいに満ちた傑作 】

 見逃し鑑賞その5はイギリス映画。「この体験を映画的と言わずしてなんと言おう」なんて言いたくなる傑作でした。

【 物語 】

 舞台は1924年、第一次世界大戦後のイギリスののどかな田園地帯。天涯孤独なジェーンは二ヴン家でメイドとして働いている。名家シュリンガム家の跡継ぎであるポールと身分違いの恋に落ちて、秘密の逢瀬を重ねているが、ポールは数日後に、幼馴染みで戦死した兄の恋人だったホブディ家の娘エマと結婚することが決まっている。

 三月のある暖かい日曜日。子供たちが小さい頃から家族ぐるみでつきあってきた三家族は、ポールとエマの結婚の前祝として川辺での昼食会を開く。

 その日は Mothering Sunday(母の日)と呼ばれる祝日で、英国中のメイドたちが里帰りを許される特別な日だが、孤児のジェーンには帰る家がない。そんな彼女を、ポールは昼食会のために無人になるシュリンガム家の邸(やしき)に密かに招く。「弁護士試験の勉強のために昼食会には遅刻する」と伝えてあるのだ。

 邸に二人きり。寝室で愛しあい、語り合うポールとジェーン。お互いへの愛しさとともに、もう会えないだろう切なさが漂う。やがてポールは「自由に、ゆっくりしていって」と言い残して昼食会へと向かう。ジェーンは一人、裸のまま、広い邸を探索するのだった。

【 ここが良かった 】

 「身分違いの恋、秘めた恋」。そういったシチュエーションが、特段好みなわけではない。むしろ敬遠しがち。なのに強く惹かれた。それはこの映画がとても「映画的」だから。

 最初のカット。主人公ジェーンがぼんやりと遠くを見つめている大胆なアップショット。ふと我に返り、窓ガラス拭きの作業を続ける。そこに「Once upon a time…(昔々)」という語りが入る。「昔々、若い男たちが戦死するより前のこと」。その声はやがて男の声に変わり、幼い頃、一家で所有していたサラブレッドの走りを兄たちと見たときの高揚を語る。走る馬の美しい脚と尾がスローで映しだされる。この冒頭から、追憶の物語に引き込まれる。撮影も編集も驚くほど素晴らしい。
 
 ポールの唇の動きだけをアップで写してその一言ひとことがジェーンにとって忘れ難いものであると感じさせたり。ジェーンの肌触りや息づかいや体の火照りまで感じられたり。初めて入った広大な邸にひとり残り、一糸まとわぬ姿で歩きまわるジェーン。窓から陽の光。彼女の足裏の木の床や絨毯の感触まで感じられる。飾られた家族写真や絵画に触れ、やがて書斎にたどりつく。彼女の知的好奇心が開いていくのがわかる。

 川辺の昼食会で、遅刻しているポールを待つ三家族。「昔のように」と呼びかけられたものだった。「母の日」であるのに、それを祝うはずの若者は少ない。エマと6人の親たちだけだ。どこかで「勝利の陰に多大な犠牲」と報じた新聞が映されていた。穏やかに、今日を迎えられることに感謝しようと話す者。こうして集まることに切なさを感じている者。親たちの気遣いの言葉に対する若いエマの苛立ち。そんな彼らの感情が、まるで同じ席にいたかのようにリアルに感じられる。

 この映画ではまた、若きジェーンが体験した〝特別な一日〟とともに、彼女の中年期と老年期の姿、三つの時代の描写の時系列を解いて雑然と(もちろん実際には緻密に)配置することで、〝その一日〟が彼女の人生にいかに大きな影響を与えたかを引き立たせる。これも「映画的」だ。

 役者たちも素晴らしかった。瑞々しく力強いヒロイン ジェーンは新星オデッサ・ヤング。優しく穏やかな笑みが儚げなポールにテレビドラマで大人気だというジョシュ・オコナー。そしてジェーンが仕える二ヴン家の主夫婦に、なんと英国の至宝コリン・ファースとオリヴィア・コールマン! 映画を観終えたときに「この二人でなければならなかった」と強く感じた。

 もう一度、「この体験を映画的とを言わずしてなんと言おう」などと言ってみる。 

【余談】英国人男優の中ではやっぱりヒュー・グラントとコリン・ファースが好きだな、と思う。この映画の穏やかで繊細なコリン・ファースの姿からは、噂に聞く「キングスマン」は想像できないけど(笑)