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叫びとささやきのkojikojiのレビュー・感想・評価

叫びとささやき(1972年製作の映画)
3.5
#1166
1972年 スウェーデン🇸🇪映画
イングマール・ベイルマン監督(54歳)作品

「野いちご」を観て、面白さがわかって、ちょっと調子に乗ったみたいだ。この作品も続けて観ることにしたが、甘かった。
1957作品の「野いちご」には救いがあったのに1972のこの作品では孤独がより深まり救いがない。39歳では確かにあった希望が54歳で否定的になってしまったのか。だから叫び続けるのか。

難しかった。
それで、なんとなくわかった気がしたことだけ書いてみる。それが繋がった時が「理解」になるのだろう。

目に残っているのは、北欧の寒々しい風景に赤、白、黒が強烈に主張している。
大邸宅の室内の装飾は「赤」、彼女達が身に纏っているものは「白」、そしてそれを取り巻くのが部屋の中の闇「黒」
監督は絵画のようにこの3色で画面を作っている。
そして繰り返す赤のフェイドアウト。

この赤は間違いなく血の象徴(血は家族のつながりを表すのか?)なのだろうけど。
ということは
「赤」は家族のつながり
「白」は無垢
「黒」は闇
を表しているのか。この映画で表現しているのはこの3つだと言いたいのか。

19世紀末。大邸宅に、死が間近に迫っている次女アングネス、彼女に付き添う長女カーリン、三女マリーア、そしてアングネスの侍女アンナ。この4人の女性の愛と孤独、生と性を強烈な色彩で描いた人間ドラマ。

アングネスの病による痛みが尋常ではない。痛みに「叫び」をあげる。「叫び」とは救いを求める声なのか。
 
カーリンは、孤独の中にいる。
彼女のささやきは「全てウソだ」
何がウソなのか?夫婦の関係、姉妹の関係、家族の愛、そしてイエスの教え?
つまり「ささやき」とは真実の声なのか。
彼女は夫との夜を拒否するために自分の秘部にガラスをあてて、血だらけになりながら、その血を唇の周りに塗るという行動に出る。
このシーンは現実か?多量の血でありながら、その後を全く見せないし、その後の夫婦関係も平然としている。
妹マーリアに大嫌いなんだと告げる。これもつぶやくのだ。妹に触れられことにも不快感を示す。

三次マーリアはアングネスの診療に来た医師に過去の関係を続けるよう迫るがそれを聞き入れてもらえない。
夫はそんな妻に絶望し、胸にナイフを突きたてる。それは現実なのかそれもわからない。

娘を死なせてしまった侍女アンナは自分の娘のように献身的にアングネスの看病をつづけている。その映像は全て絵画のように宗教的で美しい。

姉カーリンと理解しあえたようなアングネスは、旅立ちの時はすごくそっけなく、何もなかったかのようだ。
結局、この家族、夫婦関係はすべて、暖かいつながりが全く感じられない。孤独の闇の中にいるようだ。
愛が感じられるのは侍女のアンナのアングネスに対する献身だけなのだ。

さて、この文章で繋がったのだろうか?
書いているうちに、家族の愛情を感じられたシーンが浮かんだ。
アングネスが思い出、久しぶりに外に出て4人で歩きブランコまで走ったシーン。
母に対して愛情に飢えていた彼女が、母の行動を覗き見をしていたのがバレてしまうが、母は怒らず、こちらに来るように言い、彼女をしっかり抱いてくれた。(これはアングネスの回想シーンだったか?)

レビューを書きながら見えて来たものもあるが、まだ入り口のところまでしか来ていない。「理解」に届いていない。
いつかまた機会があれば挑戦してみたい。

2023.05.05視聴201
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