うべどうろ

雨を告げる漂流団地のうべどうろのレビュー・感想・評価

雨を告げる漂流団地(2022年製作の映画)
2.7
年始はだいたいいつも「今年は毎日映画を観る」などの目標を立てるのだけれど、達成された試しなし...。今年はいつまで続くだろうか。

2023年一本目は、今年アニメ映画と関わることが多くなりそうな予感もあって、ずっと気になっていたこの作品から。

ただ、ちょっと幸先が悪い...。
子供が主人公の作品は極めて感情移入が難しい。大人になった今の目線では「ありえないだろう」と思うことも、きっと当時の僕たちにとっては真実で、その感情も本物だったと思うから。この作品に出てくるキャラクターが皆抱えている(見ていくうちに、本当に嫌になるほどの)「鬱陶しさ」というものは、本来僕らが抱えているジレンマのような気がしてしまうのだ。

例えばの話。
映画を見ていて、「普通言うだろう」とか「普通するだろう」と思ったことはないでしょうか?この作品で言うと、夏芽が最初に「漂流団地に来たことがある」と黙ってしまったこととか。僕はかなりの確率で、こういうキャラクターの不合理さや曖昧な一貫性に腹が立ってしまう。「夢を追いかけるなら、それ以外の誘惑に負けるなや!」みたいな。

でも、きっと僕たちにも実はこういう経験は沢山あって、理由や動機はわからないんだけど、「なぜかしなかったこと」「なぜかしてしまったこと」が色々な後悔に繋がるような気もする。そういう感情描写は、映画において多くの場合「イライラさせる」演出であり、時として観客を登場人物から遠ざけてしまいかねない諸刃の剣。でも、それがきっと我々の真実で、実際考えてみると、現実世界で他人をイライラさせるのも、あるいはなにかの「事件」を引き起こすのも、きっとそういう「理由や動機のわからない行為」なのだから。

だからこそ、秀逸な映画は、この「欠点」とも考えられる「人間性」を描くのがうまい。ダルデンヌ、アルモドバル、濱口竜介もそうでしょう。今年もそういう映画にいっぱい出会えるといいなぁ。

最後に、この作品の話をもう一度。
本作があまり評価を得られない最大の理由は、きっと夏芽の人間性にあるのだと思う。首尾一貫しない主張。強がったり泣いて見せたりジェットコースターのような気性に、それでいて大人ぶる台詞や、思わせぶりな過去。どれもが、彼女にとって逆風で、最後「彼女を助けてほしい」と心から願うことのできた観客がどれだけいただろうか。あるいは、彼女自身がそう願っていなかったのかもしれないのだから。

ただ、きっとそれは制作者の意図するところなのだと思った。
その証左、最後に夏芽は温かく迎えてくれた母親に対して、「もうレトルトはやめてね」という。かなりサイコパスである。それは、助けにきた仲間に「なんで来ちゃったの」と叫ぶシーンにも似てる。温かく差し伸べられる手をことごとく払い除けてしまうのだ。それがきっと、どこまで行っても同情も共感も呼ばず、映画のキャラクターとしての大衆性を拒んでしまった。

しかし、きっとそれが「親からの、あるいは家族の愛情を受けられなかった子供」の姿なのではないか。仕事でそのような境遇の子供たちと話し合ったこともあるけれど、彼ら彼女たちは、とにかく何かを誰かを信じることに抵抗を感じ、そしてそうした自分たちの姿に孤独と悲哀を感じているのだと思う。
それが、この作品では「団地」という表象のなかに、夏芽というキャラクターとして描かれた。制作陣の意図はよくわかる。ただ、それを伝えるために選ばれた、この設定や構成が最善なのかはわからない。そういう映画だった。

2023年。
今年もたくさんの映画を観て、たくさんのことを考えたいと思います。
よろしくお願いします!
うべどうろ

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