なんだ全てにおいてわざとらしさを外していった、この抑えた感じ。だけど外してないんだ。
なんだ。やりたい作品、大作撮っててからの、この凄く手慣れた感じ。
男に呼ばれた時の、表情を暗闇で隠してからの、無邪気なダッシュの演出痺れた。その後に待ってる、急激なエモーションを揺さぶるがコンパクトな演出展開。やべえ。手慣れすぎ。少しずつ積み上げできた、二人の思いが、キュートにまとまってきやがった。
これは潜んでる演出がやらしいよ。やらしすぎる。
ドラマうまおになっての余裕感と。
普段ならもっと事件を絡ませるとこ完全に外して、程よい緊張感のまま、次のプロットへという感じ。もう本当やらしいわ。だってあれだけ観客に対して煽っといてクーパーとどうなるか見せたいじゃん!ブギーナイツとかカタルシス爆発させたじゃん。そこをやらないキュートさ。そのバランスさ。
パンチドランクラブはおかしなテンション感のバランスが好きだった。ここまでの繊細なバランスがあるからできるのか。いちいちカメラもなめなめなめてくるし。うまおでした。
わざとらしさがないというわざとさを感じまくった。言葉じゃない、微妙なやりとりの演出。
なんかグレタガーウィグの影響出てきたんじゃね?この感じ同じだわ。他にもそういう映画結構あるよね、ここ2年以内に
抽象的にメモメモ。