カツマ

母の聖戦/市民のカツマのレビュー・感想・評価

母の聖戦/市民(2021年製作の映画)
4.3
日常が闇に侵される。容赦なく捨てられる平和、頼る者のない絶望。そんな悲劇の当事者となった時、ほんの一市民にどれだけのことができようか。夫は面倒臭そうに言葉を投げ、警察は当てにならない、となればもう彼女は一人でも戦っていくしかなかった。迫れば迫るほど深まる地獄、目を背けたくなるほどの現実。とある母親が見た、この世の終わりのような死の循環に目を背けたくなるのも無理はなかった。

東京国際映画祭2021コンペティション部門に出品されている作品で、すでに各国の映画祭を賑わせてきた一本である。それもそのはず、舞台はメキシコでありながら、フランスのダルデンヌ兄弟やルーマニアのクリスティアン・ムンジウといった強力な布陣が製作に付き、初監督となるテオドラ・アナ・ミハイを堅実にバックアップしている。娘を誘拐された母親が見た、メキシコの日常に潜む巨悪とは果たして何か。そこには無惨なまでの死が転がり、メキシコの失踪事件の恐ろしさの裏側が描かれていた。

〜あらすじ〜

シエロはメキシコの街中に住むごく普通の母親。夫のグスタボとは別居中だが、一人娘のラウラと共に慎ましやかに過ごしてきた。その日の朝もシエロは娘と取り留めのない会話をし、彼氏とのデートに向かう娘を見送った。
しかし、その直後、シエロの前に若い男たちが現れ、『娘を誘拐した、返してほしければ15万ルピーと夫の車を用意しろ』と吐き捨て去っていったのである。ラウラの彼氏に電話をしてもデートはしていないと言う。夫の家にも帰っていない。娘は本当に誘拐されてしまったのか?半信半疑のまま、シエロは夫に相談に行くと、グスタボはさも厄介ごとに巻き込まれたという貞操で、いくらかのお金と車を用意した。身代金には足りないがシエロたちにはその額が限界。それでも交渉すれば娘は返ってくる、と誘拐犯たちに会いに行くも、解放されるはずの場所に娘が現れることはなく・・。

〜見どころと感想〜

ダルデンヌ兄弟、クリスティアン・ムンジウ、双方の監督の個性を滲ませる殺伐とした世界。母親目線で物語は進み、まるで彼女の横でその一部始終を見守っているようなカメラワークが特徴的だ。それによって物語のリアリティが増大し、シエロの恐怖がダイレクトに伝わってくる描写となっている。夫も警察も頼りにならず、軍に助けを求めると、今度は容赦のない戦場へと突入。そんな修羅場を潜り抜けながらも、一介の母親が目撃したメキシコ暗部に潜む地獄とはどんなものだったのか。凄惨で、惨たらしくて、簡単に命が打ち捨てられる現場は壮絶さを極めていた。

主演のアルセリア・ラミレスの演技が凄まじく、ずっと彼女目線で進むために、その表情や態度で彼女の変容が分かる役作りが徹底されていた。序盤は犯罪に巻き込まれる哀れな母親だったのが、徐々に娘のためならば何でもするという強靭な精神が宿り始め、危険な場所にも自分から踏み出していくようになる。その時の彼女の演技はもはや修羅。母は強し、といえば簡単だけれど、それを完全に体現してしまっていた。

メキシコの誘拐件数は社会問題となっていると聞いたことがあるけれど、こうして映像化されるとその恐ろしさは胸糞を超越している。秩序も社会も崩壊しており、犯罪者が平然と跋扈し、死体が転がり、棺桶屋には無惨な死骸が集まっていく。そんな悲劇の上塗りのほんの一つのケースを描いたのが本作であり、主人公のモデルになっている女性がいるというのが何よりも生々しかった。

あのラストに何を想い、どう感じるか。映画の終わりとしてはあまりにも素晴らしかったと思うけれど、監督から子を誘拐された母親たちへのメッセージのようにも感じたものだった。

〜あとがき〜

今年はチケットを取り損ねたり、日程が合わなかったりで、東京国際映画祭で観れたのは本作のみとなりました。それでもすでに話題の作品だったので、期待値は上げていきましたが、個人的にはかなり刺さった一本でしたね。

メキシコの市井の凄まじさ、犯罪の身近さを如実に描いていて、母親の焦燥がこちらにまで伝播してくるようでした。あのラストの風景を何を見るか。観た人と語りたくなる作品だったと思いますね。
カツマ

カツマ