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クレーン・ランタンのmmntmrのレビュー・感想・評価

クレーン・ランタン(2021年製作の映画)
4.9
「ランタンの光に、道を示されたと勘違いした鳥を、猟師は撃ち落とすのだ。僕は、自分が撃たれたのかどうか分からない。」

女性を誘拐した罪で服役している男と、誘拐されながらも拒むことなく受け入れた女性たちの謎に興味を持った法学生は、男を連れて女たちの元を訪れる。彼らの対話が美しい風景の中で展開される本作は、非常に詩性の高く、全てにおいて美を伴わせた唯美主義を感じさせる素晴らしい作品であった。

本作は確かなかなかの長回しが幾つかあったが、しかしパンによる動的なショットは殆どと言ってよい程に無かったと思われる。
僕は長回しのショットが好みなのだけれど、映画には立体的な構造がなければ映画たり得ないと考えていたため、前提としてパンやティルトによる動的なショットの美しさが必要だと感じていた。

しかし、本作のロングショットは全く静的で写真的な、少し趣の異なる異和を生じた美しさとして眼に映った。当然、違和による不快感が全くなかったわけではない、だが美しいと感じたことも事実であり、そして思い返すと“僅かに、かつ非常に”映画的な、動画でしか成せない引力が働いていたことに気づいた。それは“ゆらめき”と“気配”である。

静的なショットに完全配置された役者、そして陶酔の雰囲気と詩的な言葉は、幾つもの次元でゆらめき、視覚や聴覚に美的な感覚をもたらしていた。

その映像は静的でありながらも確かに動画であり、人や、木々、空、水、油、廃墟、クレーン、さらには音までが、僅かにゆらめき、呼吸をしている。独特な美を孕んでいた。それをロングショットで魅せられていた僕は、映像の中に“気配”を感じざるを得なかった。彼が一歩を踏み出す気配、こちらを振り向く気配、鳥の鳴く気配、何かが横切る気配、ノスタルジアに襲われる気配。これは映画にしか成せない、所謂メディウムスペシフィシティと呼ばれる特別な要素だと感じた。

「自然、会話の終わるところ」という呟きのとおり、彼らは集っておきながら、殆ど言葉を交わさない。それぞれが思索に耽っているようではあるが、空虚な無を凝視めているようにもみえ、豊満な自然に身を委ねているようにもみえる。

こういった彼らの陶酔は独特な臭気を孕んでいるため、観るものによっては嫌気さえ感じるかもしれない。しかしその異常性というか、約束されているひとつの世界観は、語りの詩性を高め、映像の美しさを保ち、儚い追憶を目覚めさせる術のように感じられた。

我々傍観者がその様に感じるという意味でも重要な要素であるが、きっとそれ以上に、スクリーンに存在している彼ら自身が、そうありたいと願い、そうあることを了解し、成しているのだろうと思う。改めると、彼らは人生に詩性を宿したいし、美しい景色に同化していたい,自然と一体で居たいし、過去のあの感情を取りこぼさずに掴んでいたい。そんなことを願い、それを死生学上のひとつの哲学、唯美主義として抱いているのだろうと捉えた。

そう、静的なショットの中でも、人物の明確な動きは一応あった。しかし、その動きは日常の人間的生活範疇を越えたものというか、逸脱しているものであった。特筆すると、例えば躊躇いなく川に半身を沈め、生が途絶えたかの様に水面に倒れこんだり、太い木の幹にゆっくりと手を、足を伸ばし抱き込み、頬を当て、何処となく宙を見つめたりといった具合である。

これも観るものによっては嫌気のさす要素かもしれないが、(映画自体に興味を持っている人間はこういうところでむしろ前のめりに鑑賞できるから、映画が楽しいのだろう。関係のない話だが。)上に記したように、彼らのひとつの願望、“自然と一体でありたい”という事を前提とすると理解可能である。

「僕は人間、そのことに奇妙さは覚えない」
そう何度も繰り返し呟く彼らに反して、僕はなんだか人間には見えないな、という感想を持っていた。この奇妙さを唯物論として考え直すと、身体を優先して捉えるので、“自然物としての身体を尊重し、後から生じる精神の方は陶酔によって廃することで自然と一体となる”ということも一応成り立つ。

「感情は外から与えられる」という台詞はその意味で決定的だろう。

人間としての意識を廃し、身体を必然に委ねる。美を追求した上での唯物論と取れるその陶酔感は、やはり本作の空気を形成するうえで必須のことであるように思う。(そういう宗派でもあるのではないかと思わせられる。)

作中、誰かが「バハールは、あれは後から考えると可笑しな事を言っていた風に思う。だけれど、その時は、納得してしまう空気がそこにはあった。」というような台詞があるのだが、これは本作全体に流れる空気でもあったように思う。人物の朦朧としたような眼つき、ゆらめくような動作、詩性に富んだ発言、美を求めて立つその場所、光、影、水、火、森、廃墟...その全てによって我々は、その全てに納得してしまうのだろうと。

そんな彼らを追っているわけだから、イマージュに富んだ現象も多く見られ、美しく、見応えがあった。

静的なショットが多いから、自然と音に意識が向かう。澄んだ空気を想起させる環境音や、ノスタルジックな鳥の鳴き声、羽ばたく音、電車の走行音など、美しくも、普通にありそうな音なのだが、それが稀に可笑しなシーンで聴こえてくるのである。雪山を登る二人に、やけに緊迫感を感じると思ったら、そこにいつのまにか電車の走行音が聴こえていて、段々とゆっくり騒音になってゆく、といった具合に。

一応の本題である、四人の女性が誘拐を受け入れ、男と共にいることを選んだ理由も、ぼんやりとわかる気がした。

芸術面に於いて余す事なく完成度が高く、クレーン・ランタンという題も非常にうまく作用しており、芸術性の高い、非常に好みな作品であった。

「あの二人を見ろ、彼らは自分が苦しんでいると信じてる。だが、世界で最も幸せだ。」
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