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あなたの顔の前にのumisodachiのレビュー・感想・評価

あなたの顔の前に(2020年製作の映画)
4.8


ホン・サンス監督最新作。

長い間アメリカで暮らしていたサンオク。帰国して妹の上に滞在している彼女は、朝起きて妹と朝食を取り、甥の店に立ち寄る。昼に人と約束していたがその時間がずれたので、子どものころに住んでいた家にも行ってみる。そして、約束していた知人と会うのだが……。

サンオクという中年女性の一挙手一投足を映し出すことにより、深淵なる人生を静かに鮮やかに浮かび上がらせた傑作。妹ら他者との会話を通じて、煙草を吸う、手を動かす、視線をどこかにやるなどの仕草を通じて、少しずつ明らかになっていくサンオクのプロフィールとパーソナリティ。水墨画に少しずつ色がついていき、それがいつのまにか3Dになっていくような感覚とでも言おうか……。なんでもない一日のはずなのに、どんどん目の前に時空が広がっていくのが魔法のようだった。

最初はサンオクが何者なのかまったくわからない。わかるのは彼女の年恰好くらい。それでも、少しため息をついてソファに横たわるだけでイ・ヘヨンは雄弁に語って見せる。そして、その様子から「おそらくこういうことなのかも」と予感したことは見事に的中する。彼女の演技は、アーチェリーの弓が的の中心を射抜くようにビシビシと芯を捉えていく。

ちょっとしたヒントから導き出される事実同士が線をつなぎ、サンオクの人生の軌跡と苦悩が少しづく形を成して出現してくる。その様はまるでミステリーのようだが、もちろん単なる謎解きほど陳腐ではない。

サンオクは何が起きても動じない。喜怒哀楽の表現がとても控えめなのだ。過去のわだかまりも、現在の苦悩も、他者の真心も、他者の軽薄さも、初めての邂逅も、すべてを穏やかに受け止めていくサンオク。そして、ときどき祈りのような言葉を呟く彼女が達している境地に、我々も触れることになる。

とても、とても静かな会話。それなのに、この上なくダイナミックな瞬間が訪れる。それは、それまでに本作が丁寧に丁寧に紡ぎだしたサンオクの人生がとんでもなく豊かだから。ひとりの人間の中にこんなにも大きな世界が広がっているものなのかと驚嘆した。なにもサンオクだけが特別なわけではない。きっと、あなたの中にも私の中にもあの人の中にも、同じように広い世界は広がっているのだ。

芸術が世界の真実を描き出す手段だとするならば、本作が見事に描き出したのは人間/人生そのもの。必見。大傑作。







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