善悪の基準は、時代と場所によっていとも簡単にひっくり返る。偉大な科学者たちが心血を注いだのが大量殺戮兵器の開発なのかと後からならなんとでも非難できる。でも、当時は大戦中で、どの国も競って兵器開発をしていて、ともすれば(これも敗北したから結果的に悪とみなされているのだと思うけど)ナチスが原爆を所有する可能性だってあったのだし、そうなるくらいならと出来上がった後の人道的問題を後回しにして開発を急ぐ気持ちもわかる。オッペンハイマーの生み出した原爆がたくさんの罪なき日本人の命を奪ったのと同様に、たくさんの罪なきアメリカ人の命を救ったのもまた事実なんだろう。戦争を終わらせることができるというのも、一時的ではあるけれど確かにその通りの結果になった。
オッペンハイマーの功罪に対する評価は今後も変わっていくだろうし、それを決めるのは原爆がその父の手から離れた今、私たちがどのように核を(使わないという使い方も含めて)使っていくかに依ると思う。唯一の被爆国という立場であることから、日本人は原爆の甚大な被害について他国の人々よりも少しだけよく知っている。高校生のときに被爆者の方から聞いた話や平和記念資料館/原爆資料館で学んだこと、映画や本から得た少ない知識から、原爆が使われることに対してはやっぱりノーと言う他ない。今では広島や長崎に落とされた原爆よりもずっと威力の強い核兵器が開発されていて、それが奇跡的に使われていないだけなのだが、その奇跡的に使われていない状態を続かせることが人類の責務だと思うし、この責務を果たす上でリーディングロールを担うのは、説得力を持つ私たち日本人なのではないかと感じる。
歴史と科学の二つの軸でこれからもいろんなことを勉強したい。結局一つだし。