しゆ

カッコーの巣の上でのしゆのレビュー・感想・評価

カッコーの巣の上で(1975年製作の映画)
4.6
『ショーシャンクの空に』ともども、閉鎖的な空間には誰か一人でも生きることの喜びを知らしめて鼓舞してくれる存在が必要なのかもしれない。私がショーシャンクを好きで比較しがちという前提を抜きにしても、本作からかなり影響を受けたんじゃないだろうか(カッコーはショーシャンクの19年前に公開)。それはレコードを大音量で流すなどの各所描写だけじゃなくて、刑務所と精神病院の違いだけで退院は個々の自由にも関わらず管理される生活に慣れてしまって外の社会に適応できずに出ていけないとか、生きる希望を持つことの意味というもっと大きなメッセージ性だと思う。タイトルである鳥のカッコーは他の鳥の巣に托卵をしてヒナを育てさせ、ヒナ自身も餌を運んでくる鳥を親だと思いこんで餌を受け取る。まさになんの疑いもなく管理される精神病院の患者たちの姿そのもの。
刑務所の強制労働から逃れるため偽って精神異常者を演じたマクマーフィー(ジャック・ニコルソン)は病院で管理、洗脳された患者たちの惨状を目の当たりにし持ち前の陽気さと反抗心で、支配を続ける婦長たちに立ち向かい患者たちに生きる気力を与えていく…。だから最後にはマクマーフィーはどんな形であれ一人で逃走はしても必ず周囲の患者の希望の象徴となって生きて晴れやかなエンディングを迎えると思っていたので、あの悲劇的でありながら胸がスッとなる結末には驚いた。
もはや現実より映画の作品内で耳にすることが多い''ロボトミー手術''はここでも強烈な爪痕を残していった。ショック療法を受けた後は普段通りのおちゃらけさを見せていただけに何度もまたウィンクをしてくれと思わずにはいられなかった。人間としての尊厳を捨てられたマクマーフィーにチーフは「置いてはいけない 一緒に連れてくよ」という言葉を残して窒息死させ、持ち上げた者には奇跡が起きるとマクマーフィーが言っていた水飲み台を持ち上げて窓を破り走り去っていく。その音に目を覚ました患者たちは感化され雄叫びをあげる。なんというか奇跡を目の当たりにした瞬間というかエンドロールに入ったときには色んなものがこみ上げて来るのを感じた。
患者の中でも特に印象的なビリーは自信を取り戻して治りかけていた吃りが婦長の忠告によってまた悪化してしまい最後には文字通り必死の抵抗を見せる。婦長は支配者の立場ではあるけど完全な悪かといえばそうではなくて、精神病患者に対して治療をする抑圧的とはいえ献身的な姿勢を糾弾することは私にはできない。
あの晩マクマーフィーが起きたままチーフと脱出して後日ビリーと合流するハッピーエンドを迎える形にもできたのにあえてそうしなかったのは、虚しさと受け継がれた生きる希望を際立たせるための本作の特色で、これがより視聴者に伝わりやすい希望と爽快感にシフトしていったのが『ショーシャンクの空に』等ののちの映画なのではないだろうか。
最後に流れるBGMの幽霊が出るときのひゅーどろどろみたいな曲調は奇妙さもあり落ち着きもあり妖艶さもあり、なんだか不思議な気分になる。
アメリカン・ニューシネマ群は反権力がテーマ性として用いられがちだから本作で言えば精神病院の体制への非難がメインにも思われるけど、もっと普遍的でシンプルな、尊厳を持って生きることへの喜びを描きたかったんじゃないかな。
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