いや夏

カッコーの巣の上でのいや夏のレビュー・感想・評価

カッコーの巣の上で(1975年製作の映画)
4.3
水曜日の深夜1時、ベッドに座って鑑賞。
パインジュースを二缶手に持って再生。

ケン・キージーの同名ベストセラー小説をジャック・ニコルソン主演で映画化。刑務所での強制労働を逃れるために狂人を装い、精神病院に入った男が巻き起こす反抗とその騒動を描くヒューマンドラマ。

この映画にはわたしが失いかけている人間賛歌、そして煮えたぎるような希望があった。
囲われた病院の中、絶対的なトップに緩やかに支配された閉鎖的な小さな社会が存在する。そこに突如入り込んだ異分子は彼らにとって新鮮で、眩しく、知りえなかった希望を見せてしまう。

婦長は悪者じゃない。これは敵とか味方とかそんな簡単な話ではなくて、彼女は至極良い人間で、良い婦長だった。DVD特典の未公開シーン「チーフ モップに捕まる」でもチーフに絡んでいた看守が彼女を見て蜘蛛の子を散らしたように、彼女は彼女の信念に基づいて患者をプロテクトしていたのだろう。「マクマーフィとラチェッド婦長」では笑顔で接する彼女の姿が見られるし、「マクマーフィの服は?」ではマクマーフィの冗談をやれやれと言った様子で受け流し、薄らと笑んでさえいる。
彼女は彼女なりの誠意のあり方でもって婦長の立場を務めていたのだろうし、責任を持って親友の息子を預かりたかったんだと思う。
でも、やはり彼女は決定的にこちらの気持ちを分かっていない。クレイジーでもナッツでもマクマーフィたちは人間である。その尊厳を無意識のうちに軽んじることは絶対に、何があっても誰であってもしてはならない。
最後の震え混じりの「日課に戻って」。一見破天荒な荒くれ者に見えるマクマーフィはその実とても懐が深くて、作中で声を荒らげることさえほとんど無い。未公開シーン「マクマーフィとスピービー医師」でも「女に暴力は振るわない。俺は女を抱きしめてコトを収める性質なんだ」と言っている。無言で手に力を込めた、相手を糾弾する余裕さえないほどの激情で襲いかかったマクマーフィの気持ちを、親友の息子を目の前にしてなおも婦長であろうとした彼女は心底理解出来るのだろうか。
彼女は決して悪い人間ではなくて、だけど決して患者とは相容れなかった。マクマーフィをああしたのは病院だし、彼女は自らの手を汚してでも枕を押し続けたチーフの行動を理解はできても共感出来はしない。

監督は自身の出身であるチェコの社会そのものを落とし込んだ、この環境は全て自身の経験に基づくと仰っていたけれど、わたしにもこの環境、この空気に自身の経験の中で思い当たる場所があった。学校だ。
婦長や看守の目を盗んで働く脱走やささやかな楽しみにも覚えがあったし、「こちらを理解しようともせず一方的な枷を押し付ける」「まともな」大人像にも覚えがあった。ビリーという一人の人間に向き合おうともせず保護者の存在をチラつかせる卑劣な逃げ方。彼にとって、あの頃の私にとって親がどれほど世界の全てであるか、いかに親の名前を出すことが私たちに自分の無力さを実感させ、手軽に叩きのめすことに効果があるのか彼女たちは知っているのだ。
わたしたちは教師に肝心な事を言わなかったし、教師の善意は特に邪悪に見えた。
あの頃高校生だったわたしは大学生となりモラトリアムを存分に謳歌しているが、それも長くは続かないことを知っている。今度はわたしが婦長になるかもしれない

人間が生きている意味って何なのだろう。これは数多くの人類が考えに考え続けてきた命題で、隣の大学生も考えていれば、トンネルに住むホームレスも考えているし、感受性豊かな中学生は今常にその事で頭を悩ませている。わたしもかつては常に生きる意味を求め、考え、何度も死ぬために生きるか生きるために死ぬかの間を行ったり来たりしていた。正直、わたしはもう疲れてしまったんだ。数ある映画の中で大人たちが言うように、わたしはもう考えることに疲れてしまった。生きることにも疲れた。意味を求めることに疲れた。何故疲れたのか?自分が特別ではないことに気づいてしまったからだ。私は所詮80億のゴミのうちのひとつでしかない。人生の意味に頭を悩ませ自分には抗う力があると信じて夜中の町を徘徊し自転車で駆けずり回り関東大会で準優勝して自殺未遂をして警察に捕まって生徒会長になって全国で5位に入って不眠症になって受験に失敗して救われるために映画を見ている人間なんてそこら中にゴミみたいに散らばっているからだ。まじでゴミみたいに溢れかえってるんだよ。私のドラマは全然ドラマチックじゃないし私の指からはなんのレーザーも出ないことを知ってしまった。
話が脱線してしまった大変申し訳ない。映画の話に戻るけれど、この映画はわたしに再び信じ生きる意味を教えてくれた。特別で、自分にはなんだってできると信じていた私を思い出させてくれた。
生きるために死ぬか死ぬために生きるか、そんなことは大した問題ではない。レーザーが出なくたって数キロ先に全国4位がいたって全く関係ないのだ。私の中に意識があって私が生きていることが大事なんだ。
恵まれているか恵まれていないか勝っているか劣っているか、そんなことで自分の唯一無二の価値を忘れていた大人びてしまったつもりでいたわたしを恥じた。
私は特別で、この苦しい現状を打開することが出来る。自分が信じたことはなんだってできる。知った顔でニーチェを語る「よくいる大人」にはなるまい、わたしは社会に負けはしないと反骨精神と希望に溢れていたあの頃に、この映画は私を連れて行ってくれたのだ

監督の口癖は"That is not natural. It must be real."だったそう!演者はリハーサルの10日間実際の患者を観察し、長きにわたる撮影期間を実際の病棟で暮らし、監督は彼らに常に途切れることなく役であることを求めたという。外食の場であっても婦長が仕切り、おのおのの食卓に座る位置さえ指定する。なるほど……この映画には至って映画的なわざとらしさがない。すごい……監督も演者さんもみんな凄い

マイケル・ダグラス製作なんだ!

ジャック・ニコルソンチャーミングすぎる

マーティニ可愛すぎる

バスケ

水道

バスジャック

「いまは狂人じゃない、釣り人だ」

「……ありがとう」
「……!?」
「……」
つ□
「……フルーツ味だ」

ウィンク😉

ショック療法

「ビョーキ同盟 全員集合!」

「日に1万ボルトの電流でビンビンだぜ
相手した女はピカピカ光る始末さ」

「俺の親父もデカい男だった
だが最後の方は酒に溺れた
飲むよりも飲まれたんだ
それでどんどん小さくなって……」

"Let's go"
いや夏

いや夏