ホリエッティ

フルーツバスケット -prelude-のホリエッティのレビュー・感想・評価

-
フルーツバスケットを「喪失の物語」とするなら、フルーツバスケット自身も喪失を抱えている。あの名曲「For フルーツバスケット」が本人の声からもう聞くことができないように。

未アニメ化エピソードである今日子と勝也の物語だけでなく、原作者による新規エピソードまで紡がれるという往年のファンにとって感慨深いことは想像に難くない。(たとえ前半がかなり総集編で、新規エピソードといっても他愛のないふたりのやり取り─いやだからこそいいのだが、だとしてもそれがつくられること自体が意義深いのだ。)

それだけに留まらない。
2001年版がなければ今回のアニメは成り立たないことは、テレビシリーズの演出の端々で見てとれた(動物に化けるときの煙の描かれ方など)。両者はお互いにとって必要な存在といっていい。

その2001年版では描けなかった続きを描くということ、それは生きられなかった「生」を生き直すということといえるのではないか。それはそのまま今日子と透の関係性に投影される。今日子がいなければ透は存在しえない。必要のない存在などいない。それを作品の内でも、作品の外でも示すことができている、そうした作品は稀有だ。

こんな作品はめったに出会えないだろう。