ニューランド

香も高きケンタッキーのニューランドのレビュー・感想・評価

香も高きケンタッキー(1925年製作の映画)
3.6
✔『香りも高きケンタッキー』(3.6p)及び『誉の一番乗り』(3.3p)▶️▶️

 この二本は戦前はともかく、ここ50年では1983年にノースーパーで、2014年にスーパー付きで、共に(旧)フィルムセンターで上映されたくらいか。1980年代は地方の工場勤務だったので、二回目しか観ていない。特に傑作というレベルではないが、フォードの持ち前の気持ちの優しさに好感を持たざるを得ない作らである、という印象は変わらない。
 『香~』は今回の催しでは珍しい、伴奏音楽が付いていない。つまり商業ベースで流通している版ではなく、博物館レベルの復元間もない版だということだ。それにしては愛嬌のある作で、牧場の牝馬が娘との半生を回顧、語ってゆくという内容で馬の自然な動き·レース·荷役労働らへのフィット度合いから、皮肉で非常な運命や人の感情とポジションの起伏がしっかり押さえられてて、伝わるものが確か。映画として特に優れているというのではなく、人間としてのものの見方、まだ支配はしてないが運動と感性に関する才能を感じ取れるということか。
 仔馬誕生への駆けつけの様々反応、牧場の馬たちの生態と相互呼応、家庭の変則の中の違和感と嵐の予兆、偶然の再開も馬の側に感触甦り止まり、馬の救出の段取アクション。しっかりした90°変リバース、各人の瞬間ピックアップの寄りカット入れと対応·浅め切返し、寄りと退きカット切替、が情感溢れても·揺るがずあわてず·実にしっかりと押え続ける。牧場やレースや車道救出の馬(群)の、スピード·絡み·お任せの、横のパンやフォローのキレと清々しさ(·路上は敢えてゆっくり縦フォロー)、限定の極め·重ねの粋。人間らの反応の対応にも、同じ重きを置かれてる。
 裕福な何頭もの馬主の、ギャンブル高じての、馬·屋敷手放し、一家離散。最後の夢の牝馬(と懸け)は、レースゴール直前脚を折る。愛人と去る後妻は、その前に射殺命じるも、馬番の使用人一家は逃がす。新天地でまた名馬を産むも、自分は荷役馬車へ売られる。警官となってた使用人と偶然合流の元馬主は互いの人間味を暖め合い、預けてた娘と再会、荷馬車から牝馬を連れ出し、騎手となってた使用人の息子の搭乗馬が牝馬の娘と知り·全ての幸せの為に1点賭けに出る(元後妻と愛人も偶然いて、落ち目で他のを纏め買い)。 
---------------------------------------------------
 音楽付きデジタル版の、『~一番乗り』の画質はかなり酷いものだが、基本優れた作品なので、素性の良さは伝わる。寄り入れ、90°変、横ズレ寄りの交互対応、パンカットが捉えるスピード感、騎手バックのスクリーンプロセス、アイルランドの動物たちとアメリカの競馬場親しみあるの掛け値ないスペクタクル、使用人や黒人·アヒルや愛馬の脇キャラの愛嬌。廃れゆく故郷への哀愁と、選手能力失っての思わぬ·凱旋と人の輪復活への貢献チャンス到来、という、例の「敗北の中の栄光」もスッキリと描きぬかれてる。
 アイルランドの名家で皆に愛された領主も時代の流れで税金も滞納に。領民も国離れ多に。愛馬らを売払う相手に、馬主の米国人も。若い騎手才能の若者を連れ帰り、米競馬界を席巻も、詰めの大会で落馬。才気不能の怪我を負う。故国で行き詰まった、領主·(騎手の恋人の)娘·執事·名牝馬も、その前に米国に向かってて、アテ外れ皆に地位に関係なく働く様に。しかし、立ち直った馬主が、名牝馬を使い大レースに挑む。皆もこれに賭ける。ところが騎手がレース前落馬。不自由な身体で療養中騎手が急遽代役。そして勝利。米国へ移った者皆で凱旋帰国、残ってた者らと合体、つましくも昔の世界が戻る。『~リンカン』予告ショットー川辺と特異樹木と人の図が初終めを括る。
ニューランド

ニューランド