登場人物全員の印象が薄いような。設定が緩いのでしょうか。
スピリチュアルな不気味さは所々見えていたけれど、なんとなく予定調和で退屈してしまいました。
このどうにも情け無い男たちに注がれる、小津の冷徹でほんのちょっと温かい視線は、淡島千景の何処を見るでもないそれに重なる。汽車は行く。
知らずにいたほうがよかったのかも、と思ってしまうような怖さを、知ることができてよかったかも。想像することの恐怖をこんなに上手に映像化できるのだな。
自然への恐怖から逃れるために宗教があったのだとしたら、それから逃れられなかった人もいただろうと思った。
黒沢清としては、脚本がしっかりしている印象で、そこが平凡とも言えるけど、見応えはありました。
自然の中に隔離された人間関係が崩壊していく様、前作は森であり、今作は海であるのだけど、非常に恐ろしい。
尾野真千子さんの女優パワーとか、片山友希さんという人は、すばらしいと思うのだけど。風俗店の客、花屋の上司、再会する同級生に見られる、悪の部分があまりに安直で、現実感を持てないまま終わる。
無理のあるキャスティングから、計算の上のファンタジーなのだと思うけど、はいりこめなかったなあ。テンションを演技に引き出す手腕はあいかわらずすごいなあとは思う。
何から逃げたのか、わかるようなわからないような、この空気がとても心地よいし、好きです。
視覚では伝わらない何かを視覚で伝えようとしているのでしょうか。何か伝わった気がしました。
ぼーっとしてると終わっているような映画ですが、静かに残る何かを置いていってくれました。
もうあまりストーリーとかには引き込まれないのだけど、この映像と音楽はやっぱりいいのです。
かるくて、かわいくて、おしゃれな、だけじゃない何かがある。
キアロスタミなら、SNSの現在をどう映画に落とし込むのだろうか、とか思った
どこか垢抜けなさは感じるものの、幼い頃にカンフーを観た時の興奮を思い出しました。タイトルが覚えられない。中国アニメ。
雨の中、走るおばあちゃんと孫たちに、黒澤明巨匠たる由縁を見たように思いました。
終盤からのエンディングは秀逸、そのかっこよさは「燃ゆる女の肖像」に通じるのかな。清々しいほどに、男性がゴミ。