エイリアンとのファーストコンタクトをえがいた数多の映画のひとつかと思いのほか、きわめて力強い哲学的な「メッセージ」を訴えた傑作。
ある種の実験的な映画や音楽がチャレンジしてきた「それ」について、これ>>続きを読む
テネシー・ウィリアムズの戯曲の映画化。
メインの俳優4人の演技スタイルがバラバラなのがかえって個性を際立たせていて面白い。
リアリズムながら計算された撮りかた、とくに効果的な陰影をみせる照明の見事さ>>続きを読む
この時代にしてこここまで思わせるほど、どのショットもていねいな情感にあふれた傑作中編。
とくにリリアン・ギッシュの不思議な美しさは特筆もの。
しばしば挿入される極端なクロースアップの効果。
復讐に燃える刑事をえがいた静かなるハードボイルド。
ラング監督後期の傑作。
すべての役に理想的な適材を得て、無駄のないショットが淡々とたたみかけるドラマにひきつけられっぱなし。
さりげなく寄り添う音>>続きを読む
どこを切り取っても不思議な妖しさと緊迫感に満ちた傑作ノワール。
心理的に追い詰められていくエドワード・G・ロビンソンの変化がていねいにえがかれる。
その過程はいまとなっては定番だが、それでもなお観る>>続きを読む
始終はりつめた緊迫感に満ちた、フリッツ・ラング監督の傑作。
無駄のない構成、シャープなタッチの画面に引き込まれるばかり。
理不尽な運命に弄ばれる悲劇の男を演じさせたら右に出るもののない、ヘンリー・フ>>続きを読む
ナチスの圧政に怯えるチェコスロバキアの人々をえがいたレジスタンスものだが、いま見ても面白い展開とドラマにあふれた作品。
有名なスクリーンに映しだされる文字のもつメッセージは、残念ながらいまなお有効で>>続きを読む
問題作『ドッグヴィル』の続編。
前作と同様にシンプルな装置と床にひかれた線のみというセットのなかで、アメリカという国の偽善と民主主義の矛盾をえがく思考実験。
『ドッグヴィル』にくらべてそのテーマ>>続きを読む
演劇の稽古場のような、最低限の置き道具と白線のみのセットのなかで繰り広げられる実験的な光景。
ニコール・キッドマンの受難には目を背けたくなるが、圧倒的な熱量が全編を覆っている。
社会のなかに隠された>>続きを読む
若き日のマルクスの姿を、社会主義の先達たちもからませながらえがいた作品。
美しい映像でロマンチックに仕上がっているが、残念ながら一般常識として知られている以上のドラマはなく、また共産主義の宣言もあま>>続きを読む
シリーズ最終作。
浅丘ルリ子演じるリリーをマドンナにむかえた本作は、もちろん渥美清の死によって結果的に最終作となったが、設定、セリフなどいずれをとっても幕引きにふさわしいものを感じさせる。
タクシ>>続きを読む
シリーズ第42作目。
体力的にきつくなった渥美清の負担軽減もあり、本作から満男のエピソードを中心に据えるようになった。
後藤久美子演じる泉は、演技力はともかくも新鮮な風をいれたのはたしか。
寅が尾>>続きを読む
シリーズ第41作目。
シリーズ後半の常連マドンナである竹下景子を迎え、音楽の都ウィーンを舞台にした異色作。
海外においてもかわらず寅でいつづける気持ちよさ。
こちらも常連の柄本明が、寅をうわまわる>>続きを読む
シリーズ第38作目。
マドンナは竹下景子だが、淡路恵子と三船敏郎のふたりそこがほんとうの主役ともいえる。
三船が淡路にむかってみずからの想いを打ち明けるシーンは、さすがの名優というべき迫力。
シリーズ第32作目。
マドンナは後半シリーズで3度も(いずれも別の役として)登場する竹下景子。
備中高梁の街を舞台に、きわめてていねいに登場人物の心理がえがかれた名作。
寅がみずから身を引く珍しい>>続きを読む
シリーズ第30作目。
みずからの気持ちはおさえて、ひたすら沢田研二と田中裕子の恋の指南役に徹する寅。
観覧車での告白は名シーンのひとつ。
シリーズ第29作目。
マドンナはいしだあゆみ。
江ノ島デートでかがり(いしだ)が言う「旅先の寅さんと、家にいる寅さんは違うひと」は慧眼。
本作でも寅はみずから身を引いてしまうが、その語られぬ心理がみ>>続きを読む
シリーズ第27作目。
もっとも美しかった頃の松坂慶子をマドンナに迎え、瀬戸内と大阪を舞台にえがかれるせつないものがたり。
いつもは振られる寅が、みずから尻込みして恋を終わらせるいくつかの例外のうち>>続きを読む
シリーズ第25作目にして「リリー」登場第3作目。
沖縄で入院しているリリーのもとへ向かう寅。
南国の風景に浅丘ルリ子がいかにも似つかわしく、どこをとっても絵になるとどうじに、シリーズ屈指のドラマ性を>>続きを読む
シリーズ第24作目。
アメリカ人の寅そっくりな男がやってきてさくらに惚れるという、定型を脱した面白さが第一。
言葉がつうじないからこそのコミュニケーションがおかしくも感動的である。
シリーズ第19作目。
マドンナは真野響子。
大洲の殿様を(おそらくは大真面目に)演じる嵐寬寿郎は、全シリーズとおして屈指の強烈な存在感。
寅も御大を前にしていささかも怯むことなく気持ちのよいほどおお>>続きを読む
シリーズ第17作目。
太地喜和子のチャーミングな芸者ぶりは、見るものを思わずにやりとさせる。
宇野重吉演じる老いた日本画家がこのうえなくよく、寅との喧嘩別れ(まったく寅の理不尽なのだが)からラスト>>続きを読む
シリーズ第15作目にして、「リリー」第2作目。
リリーと再会するも喧嘩をしてしまう寅。
タイトルにもある相合い傘はこころに残る名シーン。
ファンのあいだでは有名な「メロン事件」はこの作品のもの。
シリーズ第13作目。
「柴又旅情」編で出会った歌子(吉永小百合)と再会する寅。
前回同様、吉永小百合を前にすると寅の常識人モードが発動するように思われる。
シリーズ第11作目にして浅丘ルリ子演じる「リリー」登場第1作目。
北海道の網走で、しかもドサ回りの歌手との出会いということもあり、全体に暗めなトーンが支配しているが、ドラマとしてはよくできている。
その後も登場することになる吉永小百合をマドンナに迎えた第9作目。
このころになるともろもろの王道パターンも定着し、寅のキャラクターも落ち着きを見せる。
おいちゃんが森川信にかわり松村達雄になり、寅と>>続きを読む
シリーズ第3作目。
監督は山田洋次ではないが、この作品はシリーズのなかでもひときわプロットがよくできており、人間ドラマとしての側面がしっかりえがかれている。
寅が窓越しに別れを告げるシーンなどは秀逸>>続きを読む
「男はつらいよ」シリーズの第1作目。
映画版としてのキャラクターはまだ定まりきっておらず、いまから思えばやや下品なところもあるが、もっともギラギラした「寅さん」が見られる。
さくらと博の馴れ初めなど>>続きを読む
原作のもっている雰囲気をなんとか最大限に視覚化しようという想いが伝わるかのような映像に好感がもてる。
映像化不可能とも思えたあの「トリック」をどうするのかが肝だが、凡庸で残念。
もっと実験的な映画で>>続きを読む
歴史上はじめての、わずか3秒の「動画」を観ることができる幸せ。
評価外。
世界初のアニメーション映画。
思いのほかストーリー性も、動きのおかしみもすでにあるのが驚き。
世界初の処刑シーンであるとどうじに、映像がわたしたちを欺いたという意味でも世界初。
評価外。
黒澤明の残した脚本をもとにつくられた本作だが、よい意味で黒澤らしさを感じさせない爽やかで自然な秀作になっている。
寺尾聰の静かだが目の離せない存在感が役にはまっている。
山田洋次による藤沢周平三部作のラスト。
前半はなんとも木村拓哉にしか見えない主人公が、しだいに役になっていく不思議さ。
檀れいの現代の女優には稀有なタイプの美しさが時代劇のテイストにあっている。>>続きを読む
よくあるタイムスリップもの、しかもそのなかでも群を抜いて多い信長がらみだが、そのなかでも本作が類型を脱して面白いのは、固有の「場所」にこだわっており、その「ほかでもないここ」感がみごとに映像化されてい>>続きを読む
第一作目よりアクティブであり派手になっているが、前作ほどの面白さに欠けるのはやはり二匹目のドジョウはいなかったということか。
もうひとひねり工夫ができたはずと惜しまれる続編。