oqmrさんの映画レビュー・感想・評価 - 3ページ目

tokyo skin(1996年製作の映画)

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ウォン・カーウァイから映像的センスを取り除いた感じ。しかし主演の修さんには強烈な魅力を感じた。

こうのとり、たちずさんで(1991年製作の映画)

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主人公の無口とカメラワークが素晴らしいと思った。ギリシャ語、英語、フランス語、ペルシャ語などなどが話されている作品ではあるが、本当に大切なことはカメラが語っている。

世界の現状(2007年製作の映画)

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あまり乗れなかった。途中から義務感で観ていた。世界の現状といっても、地域や階級やその人それぞれだと思った。

ハッピーエンド(2017年製作の映画)

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いくつかテーマのあるが、生と死は恐らくその中で最も重要なものの一つであるだろう。エヴと祖父という死に傾くキャラクターと彼らを矯正しようとする周辺人物の攻防は淡々と、しかしながら着実にやってくる死に対し>>続きを読む

春夏秋冬そして春(2003年製作の映画)

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ロケ地の素晴らしさ、こんな場所がこの世に存在するのかとすら思える。不可解な行為も場所の力が全て解決してくれる。

ネッド・ライフル(2014年製作の映画)

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ヘンリー・フールの三作目。しっかりと一作目からの伏線を回収していて面白いと思った。

フェイ・グリム(2006年製作の映画)

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ヘンリー・フールの続編。そんな続編作るほど人気あったんだと驚く。テンポ感が良い。

ヘンリー・フール(1997年製作の映画)

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一人の白痴芸術家の成長記。ドストエフスキーの白痴公爵を思い出す。物語の量は多い。

イメージの本(2018年製作の映画)

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映画史やさらば、愛の言葉よを連想せざるを得なかった。新しいものといえばアラブの要素だけ。とはいえ、これだけイメージを放射されれば、ある種の瞑想状態に入ってはしまう。ゴダールだけが入れれる瞑想状態に。

気まぐれな唇(2002年製作の映画)

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これだけのセリフ量がある中で、然るべき台詞をしっかりと光らせることができるのは素晴らしいと思った。それはホン・サンス作品に於いては本作のみでは無いが。

飛行士の妻(1980年製作の映画)

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誰か一人の女性に首ったけで、そういうときに限って自分に好意を持ってくれている女がいることが自尊心の支えになってくれる。少なくともそう勘違いしておいたほうが楽だ。

逃げた女(2019年製作の映画)

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5年間一度も夫と離れたことのないガミは、夫に愛されているということをこれ見よがしに友人たちに伝える。台詞のシーンだけ切り取ってみるとそれはとても自然に見えるが、何度も聞いていくうちに違和感を感じ始める>>続きを読む

ヴァルハラ・ライジング(2009年製作の映画)

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暴力に於いては右に出る者なしと思える独眼さんであるが、ずっと追いかけられていた見えない先住民たちには、ちょうど夢の中では速く走れないように、勝てないと悟る。

旅する写真家 レイモン・ドゥパルドンの愛したフランス(2012年製作の映画)

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英雄的な国際映像作家の伝記と、現代の趣味的な写真家としての生活の対比があまりにも鮮明すぎて、この写真家を偉大に感じることは不可能だった。

ルクス・エテルナ 永遠の光(2019年製作の映画)

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作品全体に一つの長いカオスのクレッシェンドが掛かっていた。映画のセットという小さな空間に、かなりの大人数が密集し、それぞれの要望を多言語で喚き散らす。その空間を支配するのは結局最も強い狂気を有した人だ>>続きを読む

お嬢さん(2016年製作の映画)

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日本統治時代の朝鮮という舞台設定に惹かれて視聴。特に政治的なメッセージなどは読み取れず、読み取ろうと肩に力が入っている自分に気づき赤面する。
映像・物語・演出的にとても劇的な印象を受けた。

ケイコ 目を澄ませて(2022年製作の映画)

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聾唖であるということが、ケイコのアイデンティティなのではない。彼女は一個人として特筆すべき個性を持っていて、それを表現する選択肢に「話し言葉」というものが無いだけ。ボクシングという競技に打ち込むのは、>>続きを読む

寝ても覚めても(2018年製作の映画)

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麦と亮太はそれぞれ、非現実と現実、超越と堅実、自己中心的と利他的などなどの二項対立の図を為している。
理性をぶっ飛ばすドーパミン系の麦と安心させてくれるセロトニン系の亮太を比較し、悩み揺れ動く朝子をカ
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木と市長と文化会館/または七つの偶然(1992年製作の映画)

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首都への人口集中はこのころのフランスでも問題だったのか。恋愛的な要素があまり強調されていない珍しいロメール作品かな。

THE FIRST SLAM DUNK(2022年製作の映画)

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必然性を欠く物語はぼくの脳みそは覚えてくれないということを再確認した。

祇園の姉妹(1936年製作の映画)

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「恩と義理」を大切にする姉と「男は利用してなんぼ」の妹。義理を通すのか、実利を通すのかどちらが正しいのか、を議論する映画ではなく、どちらにせよ芸妓は利用され、吐き捨てられる存在だという哀歌。