2020年8月に43歳の若さでこの世を去ったチャドウィック・ボーズマンの“遺された”主演最新作は、80年代〜90年代の良い意味で雑多な娯楽性に溢れたポリスアクションであり、今この瞬間の時代性を根底に敷>>続きを読む
「観たかったのは、コレコレー!」
と、中指、イヤイヤ親指を終始立てっぱなしだった。
終始一貫して、ジェームズ・ガンのイカれた映画愛が躊躇なく爆発している。
まずは、過去の不適切ツイートによって映画界の>>続きを読む
子どもたちの夏休み真っ只中、例によってコロナ禍の影響で“春休み公開”から順延になった“クレしん”映画最新作を我が子らと共に鑑賞。
今作のテーマはずばり「青春」と「エリート」、シリーズ初の“学園ミステリ>>続きを読む
終幕後、何とも言えない神妙な面持ちを作らずにはいられなかった。
駄作だとは思わないし、エンターテイメントとしての複合的な意味合いでの華やかさと、エモーションを持つアニメーションだったとは思う。
だが、>>続きを読む
兎にも角にも、まずは、「おかえり、ナターシャ」と心の中で唱えずにはいられない。
コロナ禍の影響も重なり、実に2年ぶりのMCU映画の劇場鑑賞。
スクリーンに映し出される「MARVEL」のお決まりのオープ>>続きを読む
日曜日の昼下がり、インドア派(出不精とも言う)の小1の息子と映画鑑賞をすることが多くなってきた。
親としては、好奇心旺盛に外に出かけたがってほしいとも思うが、映画ファンとしてはもちろん嬉しい。
外に出>>続きを読む
「Amazon Prime Video独占配信映画」として、連日TVCMでパワープッシュされているこのSF超大作は、クリス・プラット主演&製作に相応しい“脳筋馬鹿”なブロックバスター映画だった。
元従>>続きを読む
今作は、或る意味、正統で真っ当な1962年の東宝映画「キングコング対ゴジラ」のハリウッド映画化と言えるだろう。
思い起こしてみれば、“モンスターバース”と銘打たれたこのハリウッド版“GODZILLA>>続きを読む
ロートルと青二才の悪党がコンビを組んで、或る犯罪計画に挑む。
今作の後に製作された多くのケイパー映画(強盗映画)で、同様のプロットが幾度も用いられてきたことからも、公開当時この映画がとてもセンセーショ>>続きを読む
「僕はグーフィーグーバーさ♪君もグーフィーグーバーさ♪」と、息子(小1)が謎の歌を歌っていた。
何の歌かと聞いてみると、“スポンジ・ボブ”の映画だと言う。
息子はこの映画を既に5回以上観ているらしく、>>続きを読む
映し出されるアニメーションを食い入るように見つめながら、なぜ、涙が出るのかよく分からなかった。
ただ、その「理由」を認識するよりも前に僕は、奮えて、泣いていた。
この世界のすべての映画フリーク、そし>>続きを読む
溢れ出る「昭和」のギラつく雑多感。
人からも、服装からも、街並みからも、すべてから放たれるそのギラギラに圧倒される。
展開される犯罪アクションの卓越したエンターテイメント性もさることながら、映し出され>>続きを読む
予想通り、ビジュアルは爆発している。
「雪代巴」のあまりにも美しく、あまりにも残酷な斬殺の様。雪景色の白と、血しぶきの赤の、無慈悲な色彩。
あのシーンを、実写映画の中で表現しきったことが、この映画にお>>続きを読む
原作者の和月伸宏が自他共に求めるアメコミファンであるが故に、今作は原作の段階からアメコミ色が強い。
僕自身は、アメリカン・コミックスそのものへの造詣が深いわけではないが、アメコミ映画は大好き。その自分>>続きを読む
高校生の頃、自室に初めてハリウッド女優のポスターを飾った。それがウィノナ・ライダーだった。
あれから20年余りの年月を経て、画面に映る主演女優は、流石に老けてはいたけれど、その分自分自身も老けているわ>>続きを読む
たぶん、この映画を観たほとんどの人たちは、登場人物たち(特に主人公)に対して、痛々しさと、ある種の嫌悪感を覚えるのだろうと思う。
恋の沼に溺れ(どっぷりと沈み込んでいる)、自分を好いている人に都合よく>>続きを読む
「メン・イン・ブラック」を初めて映画館で観た1997年から24年も経ったかと、勝手に感慨深い。
同シリーズは、トミー・リー・ジョーンズ演じる“K”と、ウィル・スミス演じる“J”によるバディ感のバランス>>続きを読む
「峰不二子の嘘」というタイトルが、センスが良いように見えて、実はあまり上手く無いなと思った。
なぜなら、峰不二子ってそもそも“嘘をつく”キャラクターであるし、もし劇中で彼女が嘘をつかなかったとしたら、>>続きを読む
二人の黒人の若者が、闇夜を逃げ惑うように疾走するオープニング。
そのシーンが彷彿とさせるのは、言わずもがな、逃亡奴隷の悲壮感。
しかし、そんな観客の思惑を裏切るかのように、彼らがたどり着いたのは、ブル>>続きを読む
まずは、マッツ・ミケルセンの“佇まい”一発で、ノックアウトは必至だ。
これまでも出演作を幾つか観てきたつもりだったが、どうやら私は、彼の本当の魅力を理解していなかったらしい。
「北欧の至宝」と称される>>続きを読む
“斜陽”という言葉を否定できない出版業界の内幕を生々しく描きながら、その小説そのものが「映画化」を前提とした“大泉洋アテ書き”という異例のアプローチで執筆・刊行された原作「騙し絵の牙」を読んだのは去年>>続きを読む
新ドラ世代(声優陣が一新された新シリーズ)の劇場版第9作品目は、“旧世代”にも懐かしい「大魔境」。
オリジナル映画である1982年公開「ドラえもん のび太の大魔境」は、無論子どもの頃の何度も観た作品の>>続きを読む
30年ぶりの続編。30年の月日を経ても変わらない“エディ・マーフィ”というエンターテイメント力が圧巻で、懐かしさを存分に携えた爆笑は、次第に週末の夜のささやかな多幸感へと変わっていった。
30年後の>>続きを読む
このレビューはネタバレを含みます
この映画に登場する人物のほぼ全員は、主人公・三上正夫(役所広司)に対して、悪意や敵意を示して接することはない。
むしろ皆が、偽りなき「善意」をもって彼に接し、本気で彼の助けになろうとしている。
そして>>続きを読む
息子があと1ヶ月ほどで小学生になる。
休日は自宅でアニメを観るのが好きで、一丁前にAmazon Prime VideoやNetflixを駆使して、TVアニメやアニメ映画を延々と観ている(ただの出不精の>>続きを読む
祝日の午後、息子と二人の留守番中にダラダラと鑑賞。
自らの鑑賞スタイル以上に、ダラダラとした作品だったことは否めない。
声優陣が刷新された“第2期”の映画シリーズは、完全なる“第1期”世代のドラえも>>続きを読む
得体の知れない「悪意」によって、愛する妻と自身の体の自由を失った不遇な男が、“機械”を体に埋め込み、文字通りの“殺人マシーン”と化して復讐に挑む。
翌日への憂鬱を抱えた休日の夜に観るには相応しい、B級>>続きを読む
推しの“アイドル”が、自身がボーカル&ベースを務めるバンド名に「PEDRO」と名付けた理由が、今作に登場する主人公の唯一の友人の名からとったと知り、鑑賞。
ああ、なるほど、彼女がその名を付けた意味がよ>>続きを読む
深夜、自室で今作を鑑賞後リビングに入ると、薄暗いいつもの室内が何だかとても恐ろしく感じた。
ぽっかりと空いた何もない空間に“何かがいる”かもしれないという感覚。それはまさしく、この恐怖映画が描き出した>>続きを読む
昼寝から目覚めた土曜日の夕刻、この「完結篇」を鑑賞。
思い返せば、シリーズ第一作目の「仁義なき戦い」を初鑑賞したのは、2004年だった。つまり、足掛け17年でこのヤクザ映画シリーズ5部作を観終えたこと>>続きを読む
原作は某マンガアプリの無料枠で途中までしか読んでいないが、南勝久による漫画の世界観は、絵柄、キャラクター性、テンション、すべてにおいて独特で、シンプルに「面白い」の一言に尽きる。
なんと言っても、こ>>続きを読む
昨年の正月にシリーズ第一作目の「男はつらいよ」を初鑑賞して、一年ぶりに第二作目の今作を鑑賞。
来年以降も、年のはじめに“寅さん”を観ることを恒例化していこうと思っている。
自分自身が今年で40歳にな>>続きを読む
本多猪四郎監督によるれっきとした特撮映画ではあるけれど、特撮描写というよりは、全編通して展開されるスパイ映画テイストの娯楽性の方が印象的で、その部分に面白さがある少々異質な映画だった。
先日鑑賞した>>続きを読む
愚かで傲慢な“旧時代”の人類は、「存続(=勝利)」し続ける限り、憎しみと虚栄を捨て去ることができない。
絶対的な「畏怖」の対象と、それがもたらした「新しい世界」を目の当たりにして、旧時代の英雄は、自ら>>続きを読む
ゴジラ映画初の長編アニメシリーズ(三部作)の第二弾。
世間の評判の悪さから長らく敬遠してしまっていたのだが、ようやく鑑賞した前作「怪獣惑星」が、思いのほかゴジラ映画ファンの琴線をくすぐってきたので、同>>続きを読む
まず冒頭のプロローグ的なニュース映像の中で最初に登場する怪獣が、カマキラス、そしてドゴラだったことがマニアックで、思わず喜色を浮かべた。
地球が滅亡したくだりを伝えるこのオープニングクレジットは、非常>>続きを読む