酔いしれるような映画を撮る監督といえば、自分の中ではジョニートーだ。
ため息の出るような美しいガンアクション。
おしゃれなユーモア。
そして、男の遊び。
北野武がソナチネで見せたあのお茶目な男の遊び>>続きを読む
自分の映画体験の源流のような映画。
それを、スクリーンで観れる日が来るなんて。
なぜこの映画が自分にとって特別なのかというと、病気で寝込んでいるときに観たということが大きいように思う。
その時は「世>>続きを読む
この映画が紛れも無い純粋な北野映画でありうるのは「不在者」を描いた映画だからだと思う。
繰り返し「不在者を待つ人」を描き続けてきたのが北野映画だ。
ソナチネの主人公を待ち続ける女と取り残される勝村政>>続きを読む
中島貞夫の少しポップな感覚が好きだ。
中島貞夫の映画に出てくる松方弘樹や渡瀬恒彦はなんだか愛くるしい。
青春映画の様相すら漂う。
あー、やっぱ東映実録路線最高。
こんなぶっ飛んだ映画が日本を席巻して>>続きを読む
何故自分がヤクザ映画を好きなのかというと、ヤクザの世界では正論が通用しないからだ。
「でもヤクザでしょ?」
という正論はこの世界では無意味だ。
この映画に出て来る人たちは「それしか生きる方法を知らな>>続きを読む
久しぶりの時代劇。
三池崇史リメイク版切腹。
久しぶりに震えた。
小林正樹版切腹よりも今作の方が、もう一歩踏み込んで武士道そのものを問い直すような内容になっていた。
体制とかタテマエとか面目など幻>>続きを読む
再見。
「私は盲であったが、今は見える」
倒れない男の話。
なんでも「全部自分でやる」という傲慢で愚かな男が、全てを手にし、そして全てを失う。
男はそれでも、ファイティングポーズを取り続ける。
「>>続きを読む
三池崇史ファンとしては、男の子が広瀬すずを見てオレンジジュースをドピュとこぼすところとか、櫻井翔がトロッとそばにとろろを垂らすところとか、もう。ね。これはわかる人にしかわからなくていいんだけど、やっぱ>>続きを読む
もちろんこの映画は権力批判という側面もあるのだろうけど、独裁者へのラブレターのようにも見える。
だって、独裁者をこんなにも愛くるしくチャップリンは演じてるんだもの。
地球の形をした風船と戯れるヒトラー>>続きを読む
オーディションという名の解体ショー。
もちろん、あの最後の解体拷問シーンも充分に痛いしグロテスクなのだけれど、それと同じくらい序盤のオーディションシーンが痛々しくグロテスクに思えた。
それは、ヒロイ>>続きを読む
暴力には「方向」があって、大衆は暴力の「方向」によって、その暴力を正当化したりする。
正当化される暴力の代表として挙げられるのが、警察などの国家権力による暴力だ。
この映画のように、暴力の矛先がヤ>>続きを読む
義務という幻影
戦争という幻影
階級という幻影
国境という幻影
そして、絆という幻影
人間とは不思議な生き物で、歌いながら殺し合いをしたりする。
踊りながら人を憎んだりする。
人間が殺し合いを繰り>>続きを読む
現実逃避の手段として映画を見始めた自分にとって、この映画は特別な映画になった。
病気で2年くらい寝込んでいた時に、ゴッドファーザーを観て、なんだかこの世から脱出したような気になって映画の世界にのめり込>>続きを読む
黒沢清版「その男凶暴につき」
復讐するために、拳銃を手に取る哀川翔に心震える。
復讐のカタルシスと同時に、復讐することであの異常な殺し屋と同じ穴のムジナになっていってしまう姿も描かれている。
あの>>続きを読む
あの世とこの世の境界。
私たちは勝手に、肉体を持って生きているこの世界を「この世」と呼んで死後の世界を「あの世」呼んでいるけれど、あの世側からしてみたらこの世側があの世なのだから、あの世のことをあの世>>続きを読む
恥もてらいもなくエンターテイメント!
楽しすぎて泣きそうになるのは、スピルバーグの映画を見たときだけだ。
そこに、夢を見るからだろうと思う。
映画の根源はイリュージョンだ。
スピルバーグの映画はまさ>>続きを読む
一人の人間の生き様を見せていくことで、日本と台湾の関係を描いてしまう。
男の生き様。
三池映画の誰にも媚びることのない姿勢が好きだ。
原作モノでなく、こういうオリジナルのマフィア映画撮ってくれない>>続きを読む
座頭市は勝手なイメージで、超娯楽チャンバラ時代劇なんだと思っていたが、意外や意外、超抑制された時代劇でいい意味で裏切られた。
刀を抜きたくないのに抜かざるを得ない男たちの心情が上手く描かれている。
トリュフォーは、この映画で虐げられた子どもの反抗を描いた。
その反抗を、革命運動と同列にして描いているのも面白い。
子どもたちは、今こそ声を上げろ!立ち上がれ!
家に閉じ込められた子どもは、ドラメガ>>続きを読む
「私はすべてに責任があると思う。自由だから。
手をあげるのも私の責任。右を向くのも私の責任。不幸になるのも私の責任。タバコを吸うのも私の責任。目をつぶるのも私の責任。責任を忘れるのも私の責任。
逃げた>>続きを読む
T-REXが出てくるだけで、なぜ涙が出てくるのだろう。
なんで泣いているのか分からないのに、なぜだか泣けるというようなシーンがスピルバーグの映画には多い。
未知との遭遇もそういう映画だったけれど、この>>続きを読む
物語を語ることができるのは、人間だけだ。
ほかの動物にはそれをすることはできない。
ゴダールという人は、コミュニケーションの手段として映画を撮り続けてきた人で、その時思っていることの表明の手段として>>続きを読む
愛についての映画を観ると、三島由紀夫のSF小説「美しい星」の最後に出てくる、人類への墓銘碑と題した一文を思い出す。
「地球なる一惑星に住める
人間なる一種族ここに眠る。
彼らは嘘をつきっぱ>>続きを読む
ハンナ・アーレントは、彼女の著作である「人間の条件」の中で、現代では家族という私的領域が拡大して公的領域を侵食し始めていると述べている。
国家という単位が公的な存在ではなく、家族のような私的な存在とな>>続きを読む
愛と嫉妬と映画の物語。
映画という虚構をそのまま放り出したようなオープニングから、画面に釘付けだった。
映画が虚構であるなら、映画の源泉である愛も虚構だ。
なんの理由もなく、愛するし、なんの理由も>>続きを読む
俺たちはこれからエンターテイメントをやります!
とにかく映画作ったんで観ろ!
俺たちはヤルゾ!
という感じがしてほんとよかった。
オムニバス形式で、各々が好き勝手にやっていて楽しい映画でした。
先月公開されたクリントイーストウッドの「15時17分、パリ行き」
そして、今月公開されたスティーブンスピルバーグの「ペンタゴンペーパーズ」
この二作品には共通点がある。
それは、どちらの作品も「動かな>>続きを読む
結構前に一回観てとても単調に描いているからこそ、誠実な映画という印象を持ったが、今回見返して観て意外と燃える映画だなと印象を変えた。
なぜ変わったのか。
もちろん映画を観る目が、養われたことで物語を追>>続きを読む
祝!300marks!^_^🎥
300本目にこれを観てしまうようなバカな自分を誇らしく思います。
しかも、トリュフォーの「突然炎のごとく」観た次の日にこいつを観てしまうという。
意味が映画を不自由>>続きを読む
トリュフォーのヤリマン讃歌。
こんな女いたらやだなぁと途中まで思っていたのだけれど、よく考えたら男もおんなじことしてるんだよな。
無意識に女を下に見ている自分に、この映画を観ることで気づかされた。>>続きを読む
いくら子供騙しと言われようと、幼稚だと言われようと、良いものは良い!
究極の他者として宇宙人を設定して、その他者との交流を描く。
他者に対して不寛容なこの社会で、こんな映画こそ必要だと思う。
朝っぱらの公園のおじおばたちのゲートボール。
酒屋の軽トラ、重たいビールケース。
リビングでの団欒、おかえりなさい、ご飯にする?それともお風呂?
竜二にとっては、最大の憧れだった。
印象的なのは、そ>>続きを読む
塚本晋也のバレットバレエを思い出したのは、俺だけ?
ハードボイルドってこういうことなんだなと思う。
最高。