しみたれうおさんの映画レビュー・感想・評価 - 2ページ目

しみたれうお

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憐 Ren(2008年製作の映画)

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念願の2度目。
二階堂ふみさんがこれを見ていたら、リバーズエッジをやろうなんておもわなかったのではないか。90年代の亡霊をしずかに、ただしずかに葬り去る怪作。

並走する自転車の会話。夕飯。頻出するこ
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妄想少女オタク系(2007年製作の映画)

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木口亜矢さんの台詞まわしのグルーヴが、やがてクセになる。飄々と、夏の「予感」だけを持続させてゆき、だれもかれもがなににも気づかない。傑作。

ハクソー・リッジ(2016年製作の映画)

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アンドリューガーフィールドでなかったばあい、7月4日ころのトムクルーズだったらあるいは、というありえない夢想をしてしまうくらい、かれがいい。

スペース カウボーイ(2000年製作の映画)

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ふだんイストウッド映画において目をつぶったり黙らされてきた些細な瑕疵の博覧会のような作品だが、シャトルの打ち上げを35mm文芸座の音響で見られることの僥倖。

目撃(1997年製作の映画)

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クリントが、おのれをマクガフィンとして機能させようと果敢に挑む実験作。

アシュラ(2016年製作の映画)

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観客のテンションをさいごまで走破させようというただごとならない圧が、画面にうつっていることへの意識を散漫にさせるところはコクソンと同じです。

お嬢さん(2016年製作の映画)

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屋敷から逃げだす一連の流れのなかで、お嬢がためらい、侍女が荷物で踏台をつくる律儀な描写が、思いかえすごとに異質な印象を濃くする。やってみっかみたいなカジュアルな描写としてあらわれ、そののちの疾走の資生>>続きを読む

悪太郎(1963年製作の映画)

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シーンのおわりを、畏怖や呆れ等のリアクションをしている人に委ねている奇妙な語りのスタイル、遮蔽物が画面の大半を占めているような状態すらあり、なにを見ているのかわからないという、あれ、さいこう。

肉体の門(1964年製作の映画)

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迷い犬みたいに怯える目の白さばかりがきわだつ冒頭のシーンがすばらしい。野川の華奢な身体は、かのじょたちがどんなにいきがり盛って荒ぶろうとも、寄る辺なく痛々しい。

探偵事務所23 くたばれ悪党ども(1963年製作の映画)

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ここぞ、というところでのクローズアップの切り返しにごくり。ファムファタルにならない女が、徐々にエロスを刻々と纏うさまが、どこもかしこも工事中の町とともに記録される。

パトリオット・デイ(2016年製作の映画)

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人物たちの背景に町の姿があらわれないので、さいごの歓喜の唱和でも帳尻が合わない。それでも好きだよ、ピーターバーグ。

怪物はささやく(2016年製作の映画)

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母親が落ちてゆく穴が、亀裂もふくめ力みなぎる画なのに、少年がそこへおちてゆきそうに、なるようにしか見えない段になり、穴はたんに記号へと痩せ細ってしまう。

美しい星(2017年製作の映画)

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冒頭家族の食事に遅れて登場する長男のコスプレ感にシートから尻がずり落ちる。度を超して美しい橋本愛さんは、ちゃんと大学生だったのに。母親の声がずっと養命酒であることのおかしみが、この喜劇に寄与していたの>>続きを読む

20センチュリー・ウーマン(2016年製作の映画)

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映画でえがかれるじかんからずっとさきの未来の、本人さえもいない任意のときから母が語りをいれるとき、映画はみずから重心を放棄したように自由になる。母の声だけでなく、ポリフォニーによって編まれる局地的文化>>続きを読む

LOGAN ローガン(2017年製作の映画)

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アメコミヒーローが高熱にうなされて見る覚めない悪夢を切り裂くように、トウモロコシ畑を横断する車。露出する膿んだ傷。悪漢はもう野良犬にさえなれない、から犬死にもできない。

メッセージ(2016年製作の映画)

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たとえ言語や内面こそを主題とするのだとして、顔表情だけで現象をおこそうとするむきに胸の高鳴りがおさまりっぱなし。ジェレミーレナーの「声」がとてもよく、作品世界を繋ぎとめていた。

エイミー、エイミー、エイミー! こじらせシングルライフの抜け出し方(2015年製作の映画)

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もたつく鈍い口元やヒールではこばれる歩行など、主演女優の特異な身体性がひかる。だから凡庸さに屈しきれないエイミーのダンスは、不気味なチャームとして現前する。

ナイスガイズ!(2016年製作の映画)

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フィルム缶が転がる直線的追走劇を、あっさり、とってつけたみたいな葛藤で途絶させてしまうあたり。

スプリット(2017年製作の映画)

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レディインザウォーターでシャマランじしんが演じた役割に関して、オーケーそうだよなと言ってしまっていたてまえ、オーケーオーケーそうだったそうだったと体裁を繕う鑑賞態度にならざるをえない。

マイルストーンズ(1975年製作の映画)

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シーンをまたいでもまたいでも途方にくれているかれやかのじょの、これからの先々で、つねに現在からの視線に見つめられることを知っているかのようなふるまいが横溢する、諦念にみちみちたフィルム。

パーソナル・ショッパー(2016年製作の映画)

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フィードバックノイズの残響なかでおこる事象がとらえられたかのようなフィルム。かとおもえば、「返事」の破格な音はどうだ。おもしろすぎる。

手紙は憶えている(2015年製作の映画)

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三人目を訪ねるところは、フィンチャーゾディアックとか黒沢清みたいで、急になにさ色気づいちゃってと伏し目がちに。

アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男(2015年製作の映画)

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バウアーと机をおさめるフレイミングの窮屈さと、討論会の翌日の、秘書の紅潮した顔が印象深い。

台北ストーリー(1985年製作の映画)

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世界を記述することへのあまりにも美しすぎる野心。きょうも世界のどこかの通りで、だれかのママンがどのバスに乗ればいいかわからずに、右往左往している。

旅役者(1940年製作の映画)

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こおり屋の場面構成にドキドキしておちつかないきもちになってしまう。ホーリーモーターズはこの作品から着想されたのだろうという思いこみだけで、滂沱のなみだをながす。

ブリット(1968年製作の映画)

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ぶんぶん35mm。飛行場やハイウェイの場面が、登場人物たちのおこすどったんばったんでは波紋ひとつたたない場所や状況として設定され、あくまでもそういう場所でおこることとしてどったんばったんがえがかれてい>>続きを読む

ダーティハリー(1971年製作の映画)

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ぶんぶん35mm。銃を握るイストウッドの手を甲のがわからとらえるときに、ぜんたいがイモくてこわくなるサイズの発見。

バーニング・オーシャン(2016年製作の映画)

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作品世界にリアリズムを築こうとするつくりての意図とは裏腹に、たとえばヘリポートが、男女があがってくるのを待っていたかのようにお膳だてがととのってしまいましたというようなしゅんかんがある。だから緊迫の場>>続きを読む

東京上空いらっしゃいませ(1990年製作の映画)

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なぜおまえは相米を甘やかしてしまうのかと痛烈に問うてくる問題作。影あそびや屋形船の場面が、たとえ持続こそを目的としていたとして、その構図が問題になるようなことが他の作品であったのかどうか記憶にないけど>>続きを読む