どこかの2時間ドラマみたい。Netflixでこうした怠惰なアクション映画を撮っているピーター・バーグがトニー・スコットに追いつけるわけがない。
さすがにアクション設計はいいけど、映画としては普通。クリヘムは落下(滝壺)に始まり、落下(川)に終わる→「溺れるのは川に落ちるからじゃない。そのまま沈むからだ」という少年がプールに飛び込む。
緑色すぎる幽霊譚。しかし、物語よりも鈴木清順のショットとつなぎに驚かされつづける。
ファロッキの『めまい』評から着想を得たらしい。原作の『帰らざる肉体』からラストの『Speak Low』まで。
あれだけ生中継/ワンカットを売りにしていた制作陣が編集の力を用いようとしているのはいいと思う。
ライトノベルが原作だけど、『あとのまつり』の発展。「はじめまして」=「まーちゃん」→「みーくん」。瀬田なつきが撮るべくして撮ったのか。嘘だけど。
「何者だ?」と呼びかけられるほどにホアキン・フェニックスの顔は黒い血を浴びている。その色は人間が所有している夜(We Own the Night)に思える。すべてのものを不可分な単純さに包み込んできた>>続きを読む
はじめまして。忘れないように三度見た。忘れないように書いておく。忘れたらまたやり直し。オートバイを倒した先輩にあげた缶コーヒーの熱さ。貸し切り状態のゆりかもめから見た景色。オリンピック会場施設の建設予>>続きを読む
パートナーを入れ替えながらペアになって踊っている会話。ギトリの言葉たちは運動しつづけている。逆構図どころか役者の向きが180度変わっているようなショットがあった。
逃げることができたマリオン・コティヤールと残ることしかできないホアキン・フェニックス。それでも同じ方向に進む2人を示している窓と鏡のラストショット。ガラスの透明性と反映性から『The Immigran>>続きを読む
政夫の主観=民子とすれ違った後の切り返しがすれ違う前のショットになっている。民子はそこにはいない政夫を見ていたのか?ラストでは政夫がそこにはいない民子(の墓)を見ている。
「人間の指何故五本あるか知ってるかい?」→「四本だってみな手袋の指が一本余っちやうぢやないか」→「よく出来てやがら…」/「チャン海の水何故塩辛か知ってるかい?」→「鮭がゐるからだよ」→「よく出来てやが>>続きを読む
「ウェットすぎても困るからな」「でもあんまりドライでも困るね(…)ちょいと寂しいね」
面接のときに切り返しショットがラインを越えていることは正しいと思う。そこから髙橋雄祐の監督/脚本/主演で情感の深さがある。まだ暗いってことは、もうすぐ明るくなるんだよね。
カレーをスプーンですくう音!!!「カチャ、カチャ、シュ、ポチョ」って。カンヌはこの音を聴いたのでしょう。走る/チャリ/電車の並走から亡き母のカレーを思い出すという物語は知る由もないけど、その瞬間に生ま>>続きを読む
最高のストーキング映画。ラコステのポロシャツを着た女の子と探偵ごっこしたい。三度眠りに落ちる(ズームやアイリス・イン/アウト)ように夢みたい。しかし、決定権はすべて女にある。金魚鉢からスノードームと手>>続きを読む
目線送り→娘が窓際にいく(雨雲が垂れこめている)→「私お父さんって人に会ってこようと思うの」→娘が泣き崩れる(雨が降り始める)。ラストには三味線とミシンの不協和音。母娘は調和するのか。それとも片方は流>>続きを読む
やさしいと思う。ふつうのいい話で映画的な飛躍もないけど、やさしいと思う。二ノ宮隆太郎がいます。
TwitterみたいなモノローグとInstagramみたいなショットをTikTokみたいな速さで流している。そんなセカイで90分あるいは120分の映画が見られるはずもない。
「私たち姉妹みたいなのね」「もしそうだったらあなたでも私でもない子供が生まれてたんだわ」「半分はあなたで半分はわたしみたいな子供なのね」「おかしいわ」「へんね」「暑いわ。いっぺん水ん中入んない?」「え>>続きを読む
「初之輔さん。口紅これでいい?濃すぎる?」「叔父さんって言いなさい。叔父さんって」→目線送り。窓枠に座る→背中のショット→起こそうとする→鼻血。反復される朝の階段が夜には原節子によって窃視される場所に>>続きを読む
『たまこまーけっと』は見ていない。だからモチマッヅィまわりの話は蛇足にも思えるけど、アバンタイトルや「春の香りがするな。たまこの風か」がもっともらしいように、ショートフィルム風の生い立ち、映像データ、>>続きを読む
トラック・アップ(と1つのトラック・バック)の多用。表情に重みをあたえている。それは字幕にまで寄っていく。だからこそ「弱虫!」「意気地なし!」etc…がはえばえしい。脚のショットが貧富の差やノワール調>>続きを読む
犯行から手紙や差し入れという交感を手首や指の艶かしさで見せていたけど、仕切りのない部屋でいよいよ抱き合うときには組箱を見せない。あとはキッスで殺せ!たぶん(実/義理)兄にあってから「私たち」というふう>>続きを読む
コロンバスに留まっているケイシーとジンが出会うときの移動撮影。柵越しの会話をぬけて教授が倒れたという場所を見る。つまり、2人は建物を巡って同じ一つの対象を見ることによって交感の瞬間をつくるのだ。それが>>続きを読む
宮崎あおいの視線=写真がレシピに貼付される→「バカにしないで そのレシピはもう私の一部でもあるの」。葬儀場の綾野剛からズームの多用。それが今起こりつつある出来事に立ち合わせるとすれば、ラストの切り返し>>続きを読む
女性記者がルパートの話に興味を示さない→説教をする→女性記者がカフェ外に目を向ける→カメラがカフェ外に出る→ルパートの話に興味を持ち始める。これがラストには、ルパートの迎えが来る→カフェ内の女性記者と>>続きを読む
時系列シャッフルをナレーションベースとタイポグラフィで魅せる語り口はおもしろい。だから警察署以降の説明がつまらない。それは遊園地におけるクレーンショットの構図(女性vs男性)をつくるためのもの。べつに>>続きを読む
新宿御苑のベンチで座らない原節子が、目線送り→いくつかのショット→泣き崩れるまで。心配→レコードを流す。停電→蝋燭。夜半に目を覚ます→鼻血。子供の面。カフェの女僧侶etc…がホラーみたい。