WBCがいくら盛り上がろうと、かっては“NOMO”や“Ichiro”、いままた“Shohei Ohtani”を、野球ファンとしてリスペクトできているのは、やはりアメリカ人の方じゃないかと思う。海を越え>>続きを読む
同時期に観劇した『歌謡ファンク喜劇 いやおうなしに』と設定が被っていたのに驚いた憶えがある。もちろん、映画の方は真面目な話なのだが…。
中井貴一と和久井映見のコンビに、波瑠の他、門脇麦や仲野太賀、工藤>>続きを読む
原作マンガの作者が女性だということも含めて、『鬼滅の刃』のベースが、あの『ハリー・ポッター』シリーズに重なっている点は、日本のみならず、世界的に人気を博していることからも明白だと思う。そして、ufot>>続きを読む
男子の二面性が“見栄”から生じるものだとすると、女子のそれは、内面の本質のところに根があるのでは、と常々思っている。「パーマネント野ばら」や「ブルーアワーにぶっとばす」もよかったが、「勝手にふるえてろ>>続きを読む
2008年の韓国公開作だが、主演のヒョンジュンをはじめ、ホ・ジュノ、キム・サンホ、実質ヒロインのハ・ジウォンだってまだ知られていない頃だし、日本ではDVDスルーされたのは仕方ない。「七番房の奇跡」や「>>続きを読む
1979年公開だが、その前に観ていたベイティの映画がハル・アシュビー監督の「シャンプー」だったので、正直、本作をデート映画にするか迷った。当時は元ネタも知らないし、ベイティとクリスティの交際は、映画誌>>続きを読む
アメリカ(「アウトブレイク」「コンテイジョン」)や日本(「復活の日」「感染列島」)製のパンデミック映画と比べ、韓国製の本作が大きく違うと感じるのは、過去に、済州島や光州で起きた、韓国政権下での市民に対>>続きを読む
“舞台演劇を入れ子にした映画”、“占領下のフランスを描いた映画”、“ナチスから逃れたユダヤ人を描いた映画”などの様々な要素を持つ作品だが、サスペンス展開よりも、時代性さへ呑み込むんでしまう男と女の機微>>続きを読む
映画を作る(撮る)側。映画を見せる(上映する)側。そして、映画に出る側に映画を観る側と、様々な立ち位置(視点)で“映画の映画”が作られている。映画の登場人物が、スクリーンから現実世界へ飛び出るなんて作>>続きを読む
J・P・ベルモント主演のコメディ映画が有名なブロカだが、本来は本作のような映画が撮りたかったのだろうか。第一次大戦下のフランスの地方都市を舞台に繰りひろげられる、一見スラップスティックな寓話だが、カル>>続きを読む
テーマ曲は悪くないが、追跡シーンなどにBGMが付いていないのが物足りない。やはりバカラックは偉大だな。
とはいえ、ベルモンドとヴールヴィルのコンビに、ニーヴンとウォラックが大真面目にコメディ演技で張り>>続きを読む
公開当時に知っている出演者は、クリスティナ・リッチとエリック・アイドルだけだったが、(お化けの)キャスパー自体は、地上波放映のテレビアニメを観ていたので、心優しいキャスパーを見た途端、恐怖で目が飛び出>>続きを読む
昭和の漫画(劇画)のなかでは、けして際立った存在ではなかった『ルパン三世』が、テレビアニメ化(第1シーズン)でニッチなファンを獲得し、テレビアニメシリーズや劇場版の積み重ねで、いつしかメジャーなアイコ>>続きを読む
韓流俳優陣は、さすがに上手い!。日本でリメイクはできそうだけど、チャレンジャーはいるかな。
チャーチルの著作『第二次世界大戦回顧録』は、面白すぎて脚色を疑ってしまうが、彼がどれほど食えない人物だったにしろ、映画に取り上げられた“4週間”は、彼を戦時のヒーローとみなす他ない。
すでに「つぐない>>続きを読む
P・ハイスミスの死後20年経って、本作の公開と同時に、ようやく原作も出版された。映画自体も、いまやカルト的な作品になっているらしいが、男の私にとっては、W・ワイラーの「噂の二人」や、ハル・アシュビーの>>続きを読む
帝国劇場での森繁版のミュージカル鑑賞から入っているので、あのトポルが主演し、ジュイスンが監督しているとはいえ、最初は、さすがに違和感があった。「ラ・マンチャの男」もそうだが、『所詮は舞台劇の移し変えに>>続きを読む
ひさびさのイ・ヨンエ主演作なのに、公開当時は気付かずにスルーしてしまった。中国映画の「最愛の子」を思わせる設定だが、こちらはサスペンス調。完全なフィクションかとおもいきや、数年前に韓国社会をを騒然とさ>>続きを読む
視聴者(オーディエンス)は気まぐれなものだと、送り手は知っている。それでも、伝えるべき事実、届けたい思い、そして、報道の自由と責任を果たすために、一方通行ではないと信じて、見えない相手に向けて発信する>>続きを読む
今でもアートシアター系で上映されることの多い、増村保造監督作の『遊び(1971)』を髣髴とさせるが、‘10年代の本作は、破滅的に見える閉塞感から、這うように前へと進みだす人の姿を肯定的に描いて、静かな>>続きを読む
舞台となった九州最大の遊園地【グリーンランド】は、かっての三井鉱山が親会社だったそうだが、『あさが来た』でヒロイン(九州の炭鉱事業で財を成した広岡浅子がモデル)を演じた波瑠が、映画に出戻るには相応しい>>続きを読む
劇場公開時点では観てなかったので、今だと『妻、小』が浮かんで、入り込みにくい感じもあるが、刑事役で(小出)早織が出てくると、「舞妓 Haaaan!!!」まで思い出されてしまう。あと「誰も守ってくれない>>続きを読む
ハワイの日系人(日系移民)の150年余の歴史を知れば、この映画が寓話であることは明らかだが、「生きものの記録」や前年の「夢」を撮ってなお、黒澤明には、(「海辺の映画館―キネマの玉手箱」の大林宣彦と同様>>続きを読む
十年ほど前から、日本でも“無戸籍児(推定1万人)”の存在が社会問題化している。大人の都合で無辜の子供が犠牲になるのは、どんな国でも起きている。
この映画の主人公・少年ゼインは、出生届が出されていないた>>続きを読む
初鑑賞は70年代、地上波の洋画劇場(もちろん吹替え)だったが、主人公が玉ねぎをかじりながら汚くなり、ホームレスと入れ替わる脱獄シーンと、ヒロイン(初めて見たジョアンナ・シムカス)の存在感は憶えている。>>続きを読む
市民(国民)の目が届かなければ、権力(国家)によって、権利も自由も、そして、命もないがしろにされる。現代史の中で、幾度となく、権力の横暴・暴走を経験してきた韓国だからこそ、法の原理・原則を守ることの愚>>続きを読む
2022年のアカデミー賞でも注目を浴びた“CODA”や、“ヤングケアラー”、“きょうだい児”の存在が、日本でもようやく認知されるようになってきたが、30年も前に、いわば先駆けと言える映画が公開されてい>>続きを読む
もちろん、マ・ドンソクのキャラクターを活かす路線で企画された
のだろうが、それに依りかかるだけでなく、真に見応えのある映画を追求していることが伝わってくる。どんなに追い込まれても、雄牛の如く止まること>>続きを読む
前三部作ほどの驚きは無いにしろ、ストーリーやアクションにも見どころはしっかりあったし、新三部作のスタートとしての役割は果たしてたかな。恐竜に人格(竜格?)を与えたところが、後に繋がるポイントだね。
人々が観たかったストーリー(実話だが)と観たかったヒロイン像(破天荒で、根は人間臭い)が合致した、無双の一作。フィニーとエッカートの人物造形も的確。
アルコール依存や薬物依存、もしくはトラウマを抱えた人などが増え続けたアメリカの映画やドラマには、あたりまえのように“Shrink=精神科医”が登場するので、羨ましいような無いような気持ちになるが、入院>>続きを読む
日本公開当時(1990年)は、黒人運転手と気位の高いユダヤの老婦人を中心にした、ウェルメイドなコメディとして観始めたのだが、後半、キング牧師の説教を聴きに行く展開で、ようやく、この映画は“各々の出自ゆ>>続きを読む
『IWGP』以降の長瀬はもちろん、90年代のテレビドラマで演じていた役柄も、けっこう記憶に残っている。『白線流し』や『ふぞろいの林檎たちIV』でのナイーブな彼も好かった。
本作の主人公の役柄は、一見>>続きを読む
邦画界では、アイドル歌手や動物をダシにして、裏で自分たちの撮りたい映画を作ってしまう手合いが多かった(今もその風潮はあるが)。本作も、バブル景気の勢いも借りて、あれこれ詰め込んでしまって迷走した感じだ>>続きを読む
メルヴィルの『白鯨』は、学生時代にダイジェスト版(昭和には有ったんだよね)で読んでも難解だった。でも、それがなければ、ジャック・ロンドンにも、シートンにも惹かれなかったのだから、必要な通過点だった。>>続きを読む
遺作となった「海辺の映画館―キネマの玉手箱」は、大林(宣彦監督)組の総ざらえ映画でもあったが、事情は違えど、本作もオールキャスト勢ぞろいで、イヤミス感を減じてくれた。“筋立てではなく人物を見せる”とい>>続きを読む