マスクの上からでも葛藤が窺えるのが良い
ダースベイダーの最終手段フォースとかじゃないんだ
義手(テクノロジー)と、身体(草木や人との間に生じている結びつき、フォースを感じることの出来る装置)が融合することでサイボーグになっている
ジェダイとか以前に腕の立つ飛行士であることが生き残る条件なんだなあ
炸裂する瞬間の破壊の美はともかくとして、破壊された人達の姿を幻視以外の形で観客は見なくて良いのかという批判は成り立つように思う
一人称であるからこそエロティックな幻視も起きるし、実験の成功にモノローグ>>続きを読む
全ての登場人物があまりに理解を示しすぎていると初めは思ったが、自身に起こった出来事を受け止めることで他人への想像力を持つことができるということの、出来事の全体像が映っていたのが今回は主人公の二人だった>>続きを読む
息が詰まる瞬間を無音で演出するためにはそれと気付かない形で音を鳴らし続ける必要があったのか
銃一つで子供がこれだけ場を支配することができるとしたら、人種や性別による身体の差が社会的な差になることを信じられないような気がするが、まあ特殊な閉鎖的状況なんだろう
太い骨格に肉がみっしり詰まっているようなデカい映画
あれだけ遠くにあれだけの人数揃えて並べられたらもう戦ができるだろ
かなり面白い
軍隊で出世するやつってこういうやつなんだろうなと思った
公衆トイレの鍵を開ける人は公園で食事を摂り公衆浴場で身を清め駅及び橋の下で酒を飲む人であり、新たなTOKYOとしてのスカイツリーを取り込んで四六時中光る家の扉の鍵を閉めない人でもある
一つの糞も付い>>続きを読む
育て、手放し、取り戻し、殺す流れのほとんどが本人に頼まれてやることだとしてもちょっとパパすぎる
毎日通っていた教会から離れてあの行動をとることの根本的な背信
ピザを運ぶとき、ハムスターを洗うときに銃を落とす警官はもはや銃を必要としていない
高架の下で車を停めて話すシーンは『パリ、テキサス』にもあった気がする
行き場のなさ、出て行くことの出来ない感じは冒>>続きを読む
司祭や子供の背後、窓枠に十字が浮かんでしまうこと
懺悔室のような場所で浮かぶように照らされる顔と、遺体を拝みに登る際の螺旋階段が作る影
採集、調理、洗濯、掃除、薪割り等々常に手を動かして働く人達が、雇った人間のサボりを監督し富を動かす人の資産を少しずつ奪う
先住民との会話に字幕が消され、密かに交渉が成立するのが良い
やはりモチーフは同じだったがそれほど喋らなくても友人がいることで深刻な孤独には陥らない
ラストかなり良かった
『パラダイスの夕暮れ』のセルフオマージュ的な部分があった気がする(部屋やスーパーのレジなど)が、よりユーモアが抑えられていると感じるのは、明らかにこれから殴られるだろうなとわかるショットから案の定殴ら>>続きを読む
警察をぶちのめしたい気持ちに老若男女の差が無くてよかった
大衆に祭り上げられ、死に、自由を体現した英雄として権力に回収される流れからの逸脱
車を凶器として捉えるという意味では教習所のビデオと同じなのかもしれない
死にゆく人の体験の記録を追体験できる(呼吸や痛みのスイッチを切れば安全に、自らは死に至ることなく)装置を権力に奪われ、アクセス出来なくなった開発者が外部のコンピューターから再度接続を試み共同開発者の死>>続きを読む
腹痛故集中できず、最後の5分ぐらい見逃した
小説における描写と映画のそれの間に生まれてしまう余白を埋めるように喋りすぎる男
ジャームッシュに似ていると思ったら本人が出ていたし魚持って歩く湿地がかなりダウンバイロー
葬儀と結婚式が隣り合ってますやんと思ってたら酒飲んであっけなく蘇生してワロタ
伏線回収の気持ち良さも大いに面白さに関係しちゃってた
ノーランの逆再生する映画で主人公の特別な肉体とか言ってたのはこの映画のデンゼルのことでもある気がしてきた
だらしない話の割にテンポが良すぎて見やすすぎるかもしれない
対になっていた二人組が強い反発によって分裂し、他の人とくっついたりしなかったりしつつ、元の人との緩やかな結び付きを取り戻したりする動きが映っていて、これが獨立ってことかと思った
オフィス、自室、クラ>>続きを読む