映画の一つのジャンルとして、すっかり定着した感のある"ループもの"。
主人公が何度も死ぬ映画と言えば、『オール・ユー・ニード・イズ・キル』や、『ドクター・ストレンジ』を思い浮かばせる。両者とも、トン>>続きを読む
齢、十と八。
「ホラー映画」と呼ばれるジャンル映画を、長らく愛してきた。
わたし自身が、映画を観始めるもっと昔、ホラームービーの一つの"隆盛期"とも言える時代に酷く歯軋りを覚えたものだ。
数多くのホラ>>続きを読む
80年代を舞台にしたジュブナイル映画、スラッシャー映画は数限りなく存在する。
本作『サマー・オブ・84』は、そういった古今東西の80年代ジュブナイル映画を下敷きにして、数々のオマージュを捧げつつ、連>>続きを読む
J・J・エイブラムス+スティーヴン・スピルバーグ、新旧のエンターテイメント作家が組んだ娯楽大作。
“実体”を見せない謎に溢れたトレーラーをはじめとするプロモーション。
映画ファンの好奇心をこれでもかと>>続きを読む
社会に爪弾きされた二人の男が、突如「何も無い(nothing)世界」に放り込まれる。
その世界では、自分たちの「意識」によって″すべて″を消し去ることができる……。
「CUBE」「カンパニーマン」>>続きを読む
単純に、ビジュアルがアガサ・クリスティを彷彿させるような、ゴージャスな館ミステリーであり、その古典的な魅力に引き込まれた。
そんな、過去のミステリーへの敬意を払いつつも、本作は非常に現代的なテーマを取>>続きを読む
決して幸福とは言えない人生を流転していく「犬」。
しかし、ある時、幸福な"出会い"が待っていた。僕はこの家族に会うために流転してきたのだと。
僕の友達は一人の少年。
いつも一緒。
寝る時も一緒。>>続きを読む
ゾンビ化するウィルスに感染した男。
感染してから発症するまで48時間。
背中には赤ん坊。
自身が完全にゾンビと化す前に、幼い娘を安全地帯に送り届けようと荒野を彷徨う。
残り僅かな時間を懸命に生きる父>>続きを読む
予告編からひしひしと伝わってくる愛すべき“B級感”から、「劇場鑑賞すべき」という嗅覚は利いていたのだけれど、結局見逃してしまったことを只々後悔。
90年代からの災害パニックムービー(ディザスター映画>>続きを読む
人間が、「地球」を削り、築き上げてきた文明の上で被る災害のすべては、何がどうであれ「人災」と言えるのかもしれない。
この映画で描かれる実際に起こった“災害”にしても、もし人間以外の者が傍から見てい>>続きを読む
聞いたことは何も信じるな、見たことの半分は疑え――。
1899年、深い霧が立ち込めるイギリス郊外の小さな田舎町。この地の片隅に、滅多に人が訪れることのない古い建物がひっそりと建っていた。
そこは、ス>>続きを読む
見事が過ぎる、“見ること“の画面によって進行していくミステリーは、最後に驚くべき事実を提示した瞬間分節化され、“読むこと“へと萎んでいく。
“説明責任“を果たすことによって、驚きを分節化させ、運動を>>続きを読む
1967年の名作「招かれざる客」の“合わせ鏡”のような映画だった。
設定や展開が似通っているように見えて、実のところその本質は“真逆”を向いている。
それはただ“ホラー映画”になっているということだけ>>続きを読む
冒頭、文字通りに“恐怖”と隣り合わせになった少女の一寸の逡巡。
あまりにも突然な危機との遭遇に対して硬直してしまっているようにも見えるが、どこか逃げ出すことをためらっているようにも見える。
孤独な少女>>続きを読む
思えば、イーストウッドが監督した西部劇は、常に「地獄」を描出するものだった。
『荒野のストレンジャー』で、主人公の幽霊ガンマンが街を真っ赤に塗り″HELL(地獄)″と名づけて以来、彼自身が演じるガン>>続きを読む
最近、自身が"映画好き"と謳っていいのか疑問が湧くほどに映画というカルチャーから遠ざかっていた。
そんな無気力な精神の中、録画していた今作を無気力な精神で鑑賞に挑む。
当然ながら視聴済みの今作ゆえに驚>>続きを読む
美しい動物たちを背景にして、オープニングクレジットのフォントが軽やかに、踊る。
その秀麗で愛らしいオープニングを目の当たりにした時点で、「ああ、これは良い映画だな」と確信めいたものを感じるとともに、こ>>続きを読む
なるほど、これはすごいホラーだ。
ホラー映画に限ってはジェームズ・ワン監督以外はまだまだ信用しきれていないので、どうなることかとビクビクしながら観すすめたが、流石はフォロワーの方々が絶賛しているに相>>続きを読む
物語は″母子愛″を主軸におき、文字通りどこまでも息子を追いかける母の姿を描いている。
「欠如→回復」の物語であるが、この過程においてカーラが何かしらの成長をしたり、フランキーが母子愛を深めたりはしな>>続きを読む
「面白い映画だっとは思う」
とは、6年前のリブート第一作「創世記(ジェネシス)」を鑑賞した際の第一声だった。
このリブート第三作を観終えて、まったく同じ感想を抱いた。
リブートシリーズ通じて、三作とも>>続きを読む
ボストンの日常の中にひとつの異変。
兄弟と兄嫁、そしてその子。
ややヒステリックな嫁は子供のことで手一杯。
兄弟は小声で何かを話している。
そして、″彼ら″がこの事件の犯人であることが早々に提示される>>続きを読む
己ではどうしようもないことに遭遇した時、人は拒絶し、葛藤し、やがてそれを受け入れてゆく。
難病に冒され日増しに衰弱していく母
離婚して新しい家族を持つ父
反りの合わない祖母
同情とからかいの対象で>>続きを読む
「独りよがり」な映画である。
普通この言い回しには、多分に否定的な意味が含まれているものだが、新海誠というアニメーション監督が生み出す作品においては、それは必ずしも当てはまらない。
「独りよがり」だか>>続きを読む
第二次世界大戦末期。
「戦争」の只中で、人間の善悪の境界を渡り歩く一人の女。
絶望と、虚無と、断末魔を幾重にも折り重ねて辿り着いた彼岸で、彼女は何を思ったのか。
「苦しみに終わりはないの?」
終盤>>続きを読む
165分の取り留めのない映像的物量の「羅列」を、グッと耐えるように観終えて思う。
これは、マイケル・ベイ監督渾身の「自虐」だと。
前三部作を撮り終え、身を引く予定だったマイケル・ベイが、敢えてこの新>>続きを読む
とにかく、霧、霧、霧である。
冒頭から″行く先の見えない″光景に遭遇し、霧が晴れたかと思えば、磔にする責め苦と、説明過多のナレーションによる二重の拷問を観客は受けることになる。
さて、スコセッシが>>続きを読む
サスカッチ、イエティ、ビッグフットなど、様々な呼び名がある未確認生物が神出鬼没に出現して人間を捕食しながら″暴れ回る″。
詰まるところ、ただそれだけのしょーもない映画である。
がしかし、侮るなかれ。>>続きを読む
まず、特筆しておくべきなのは、まぁ今さら特筆すべき手法でもないかもしれないが、本作は″全編POVで撮影されている″ということ。
ユーチューバーであるタックが始終記録していた一連の映像を後日″映画″とし>>続きを読む
高揚感を覚えながら、この映画を観終えて、二つの「悔恨」を感じずにはいられなかった。
一つは、これほど映画的なエンターテイメント性に溢れた秀作を今の今まで鑑賞できていなかったこと。
そしてもう一つは、今>>続きを読む
ミステリアスに彩られた50年前の「予言」が、人類の災厄を次々に当てていく。
そして、最終的な予言は世界の終末を示していた。
……と、よくあるような題材ではあるが、その描き方は一定のセンスをもって緻密>>続きを読む
映画におけるサスペンス作品は、舞台設定と登場人物が限られる程、「上質」になると思っている。
そもそも″サスペンス″とは、ある状況における「不安」や「緊張」といった心理描写を描いたものであり、設定に制約>>続きを読む
一応はじめに断っておくが、この映画自体は大した作品では無い。
役者シュワルツェネッガー″ありき″の、割と強引でまあまあ雑な作りの作品である。
ゾンビ世界における最もポピュラーと言える葛藤を、それもそ>>続きを読む
静謐さに満ちた空気と一つ一つのシーンの重量感、そして作品自体が有しているテーマ性。
幼女誘拐事件を捜査する私立探偵の姿を追ったミステリーの体裁を取りながら、観る者に強く訴えかけるテーマ性を孕んでおり、>>続きを読む
このワンシチュエーションスリラーの極めて優れている点は、″トラウマを癒し、ひとりでは対処できない問題に救いを与える″と称する「カルト」というモチーフを、トリッキーな捻りに都合よく用いるだけでなく、現代>>続きを読む
ビルの地下駐車場に軟禁された女と、片想いを伝える警備員の変質的な男とのせめぎあいが続く。
クリスマスイヴという、″誰も残らず戻りもしない日の夜″という設定が効いており、ストーカー気味のサイコ野郎の変>>続きを読む
″雰囲気だけは一丁前″だった『ダークネス』のジャウマ・バラゲロによる、どことなくジットリとした味わいがある怪談ホラー。
ただただ、感動した。
こんな質の高いB級スパニッシュホラーがあるとは恐るべ>>続きを読む