みんななんとなくうんざりしてるけど、毎日やってるっていうことがどうしようもなく反復なんだ、家帰っても誰もいないしパチンコでも行くかって、そんなちょっとした逸脱くらいじゃあ敵わないでっかい何かが毎日には>>続きを読む
このレビューはネタバレを含みます
主役が死んで視点が切り替わったとき、完璧に、あ、変わった!!!ってなるし、すぐデンゼル・ワシントン出てくるけど、その視点が持続してまた胸アツになりますね。まあ命ってほんとしょーもねーとか同時に思ってし>>続きを読む
私たちはこの映画を見ている。それは拳闘を見守る観客の一人ということであり、また、その観客たちの観察者でもあるということだ。そして観客たちの過剰でおかしみのあるリアクション、むしろ試合よりも活き活きとし>>続きを読む
存外よかった。夏から冬になるスピードとかけっこうぶっ飛んでる。そんで家族のいなくなった家をクロが彷徨うとこ(『大地のうた』)、カメラといぬのせめぎ合いがミリ単位の画面の動きに出ててぴりぴりしてる。かっ>>続きを読む
説明台詞をはじめとした誰に訴えてんのかわかんない各人物のビミョーな台詞回し、(活用されていないからいまいち言及しづらいが)魅力的な家の構造の持ち腐れ、子どもを映すということ、どれをとっても確かにぶつぶ>>続きを読む
何がヒーローをヒーローたらしめるのか? 彼らの苦悩はその場凌ぎに追いやってしまっていいのか? 解答を諦めたら終わりだ
よかったのは、徹頭徹尾繰り返されてた「壊さないこと」。衝突する二つの間に立ち、ど>>続きを読む
身体で円を描く松田リマ、終わりも始まりもないような螺旋階段、移ろい続ける水、映像とずれた環境音、モノクロからカラーへの移行、持続するすべてのもの、終わりの見えないトンネルへ、穴へ……、それがどうした!>>続きを読む
非常に秀逸な車の映画。感情と物語の舵は全て、ミラー、グローブボックス、ウインカー、クラクション、フロントガラス、窓といったモノによって表出する。ルーシーが車の中で泣いていたことや、フランチェスカの「一>>続きを読む
いい加減朝まで飲んで映画を見るということをやめようと思います。
謎の川パンショットは美しかったです。
構図だけはキメキメで人間性保ってるが、主題論的にはキモいし、ロケはファンタジーすぎて異界だし、良い意味で狂ってるとしか思えないシーンがいくつもあるし、変態だし、ラストはほんとにブッとびすぎててスタッフ>>続きを読む
川沿いを歩くお徳との初邂逅ショットを見るだけでこの人がヒロインだとわかるし、本心を語っているのもわかる。絶対的な真実がショットに篭ってる気さえしてくる、これが神か?
菊之助が東京に戻れるかどうかを試す>>続きを読む
眼球の超クロースアップに始まり、もしかすると思ったが、完全に終わってた。これは「食」なんかの問題じゃねーんだよ。喰種は人間を食べなければならないなんていうのは演出としては瑣末なことで、画として映えるん>>続きを読む
ジャン・ギャバンが下品。しかし街灯の下を走り抜けることによって点描のように美しく映り込むいぬたちや、ずっと持っていなければならなかった鞄でラストは顔を隠しているブールヴィルなど、上品なところも散見する>>続きを読む
車が家に突っ込んでくる。車のライトは片方しかついていない。車はこの鮮やかな世界をしかと見ろと言わんばかりに走り抜ける。車を運転するのは少年である。目的地に近づくにつれ車は壊れ始める。車はやがて走れなく>>続きを読む
これはイーストウッドの鮮やかな復讐劇の映画では決してない。なぜ、イーストウッドの妻の母を主体とした伝聞の文章で始まり綴じられるのか。なぜ、物書きが登場し一部始終を目撃するのか。これは「語り伝える」こと>>続きを読む
移動遊園地のささやかなひかりのなか、暗黒的暴力的に燃え盛るサーカスの大テント。しかし目の前が暗くなることはない。ほぼ相手にされなかった、強盗しようとした列車が悠然と走り去ってしまう、そんな間抜けさが、>>続きを読む
見つめ合えない=人を幽霊化させる「死」の機能や鏡を活用した映画的装置というものをダイレクトにプロットに取り入れた、映画で痛快に遊んだ一本。電灯という照明を豪快に消し去り、フィルムにすら映らない場所で交>>続きを読む
10分に1回の濡れ場ならぬ1分に10回のギャグ……
ぼくが一番好きだったのは殴り合いからの腕相撲に移行したときに両サイドに剣山が当然のような顔をして設置されていたところです。
よすぎた……。前半の不条理劇からのスクリューボールコメディ、後半のほっこり牧場物語メロドラマに少しの西部劇を添えて
全能的な主人公が見定めるラストはこちらは全く予想ができず、どこから服装が変わったか>>続きを読む
My Golden Days……………………
おもしろかった。ぼくもクラいよって泣いてアピールしたい、いつだって
手紙モノローグは、なぜカメラに向けられるのか?
倒錯こそが強さになりそうなところで、まじめさが勝ってしまうのはおふざけか? ルノワール本人が一番狂ってるか一番まじめ。
舞台は正面から撮って、観客との素直な切り替えしがやっぱりベターだなー
運動のダイナミズムそれ自体はさして重要ではないことはさておき、(アクションのない)映画や演劇で縦の運動をどのようにして得るのかは悩ましいところだが、いぬさえもがこうもたやすく位置エネルギーを獲得する手>>続きを読む
インの音楽が車の運転中も引き続き流れる、透明のフレームをまたぐことによってインでもなくオフでもなくなった中間の音楽は、我々観客こそを宙吊りにする。
爆睡し申し上げたがみなさんが言及しているカットをだいたい見ることに成功し、映画をミニマムに楽しみました(?)。いぬと馬の共演もあった気がしましたがおぼろげなのでタグをつけるのはやめます。あと夜勤明けに>>続きを読む
素晴らしいものを感じられない。知っていることしか流れてこない。日記という体裁をとっているからこういうもの? しかし三宅監督はこれを映画と発言した。日記映画の文脈でぼくはものを言えないしこれ以降の『無言>>続きを読む