flyoneさんの映画レビュー・感想・評価

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砂に咲くバラ/強く、速く、美しい(1951年製作の映画)

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テニスの試合が飾り気なく捉えられるのは、『強く、速く、美しい』における試合は、運動の喜びというよりは、専ら金銭のためのいわば作業であるからのように思われもする。
いずれにせよ、簡潔なショットとその大胆
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逃げる女(1950年製作の映画)

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二度反復される「死んだと思われていた女の復活」。誰も彼女のことなど見ていないというのか。
傑作などでは決してないが、ある水準は満たしうる面白いプログラムピクチャーとして楽しんだ。

口紅殺人事件(1956年製作の映画)

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猟奇的な犯罪に手を染める人物が何者なのか、予め了解された上でいかに彼が追い詰められるかを丹念に描く『口紅殺人事件』は、その意味で、フリッツ・ラングのドイツ時代の傑作『M』のリメイクといえそうだが、『M>>続きを読む

ヒットマン(2023年製作の映画)

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『バーナデット』にせよ『30年後の同窓会』にせよ、個人の危機を観察してきたリンクレイターは、ここで、「個人」なるものの曖昧さというべき事態と戯れることにする。グレン・パウエルは、自身の意にそぐわぬ形で>>続きを読む

メイ・ディセンバー ゆれる真実(2023年製作の映画)

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見逃していたが拾うことができた。
鏡を見つめる男女を何度も目にすることになるわれわれは、彼らないし彼女らの鏡像をひたすら見せられているのではないかと思う。そこに真実とやらは存在せず、あくまで写し取られ
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赤毛の女(1932年製作の映画)

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およそ不貞も犯罪行為も刑罰の対象にはならず、逃げおおせてしまえばそれでよいとするプレコード的寛容さは、ジーン・ハーロウの激しい身振りを伴い、映画をひたすら前に突き動かしてゆく。

フィメール(1933年製作の映画)

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60分というランタイムに加え、女社長演じるルース・チャタートンの早口で次々と提示される案件をさばいてゆく姿が、映画に驚くべきスピード感を与えている。
傑作などでは決してないが、30年代ひいてはプレコー
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よみがえるブルース/トゥー・レイト・ブルース(1961年製作の映画)

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この映画については、よくない点について多々言葉が弄されてきたものと思う。だが、美しいテーマ曲や、役者のパフォーマンスを見るにつけ、その上で美点が上回っていると言っておきたい。

ゴングなき戦い(1972年製作の映画)

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もはや緊密な語りといったものは、この時代においてなお過去のものであり、重苦しく、やるせないムードがみなぎる。
「人生の敗者」というような紋切型ではなく、敗者にさえなりそびれた男の肖像を、丹念に、慎まし
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従業員通用口(1933年製作の映画)

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ロイ・デル・ルースは整備された収斂になどいささかの興味もなく、ただあちらこちらに展開し、食いつぶされた物語が取り残されたまま、映画はエンドマークを打つこととなる。だが、そのことは、『従業員通用口』の決>>続きを読む

罪の島(1931年製作の映画)

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私はこの映画を観てプレコード期の映画に並々ならぬ関心を抱くことになった。
冒頭のドロシー・マッケイルが足を見せびらかすように(だが誰に?)伸ばして電話に出る様子を捉えたエロティシズムあふれるショットに
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南国の恋唄(1934年製作の映画)

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70分にも満たないランタイムの中で怒涛というほかない展開。だがハッとするようなショットがあったかというと…
この前に見たアーズナー、ウェルマンのすばらしさの前には劣るように思う。

彼女の名誉(1931年製作の映画)

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軽やかで巧み、ドロシー・アーズナーの手腕の見事さを疑う余地はない。ディナーの席で鉢合わせた、自らに恋愛感情を抱く上司とのやりとりにおけるコルベールの身のこなし!

なお、かなり驚くべきラストであるが、
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獨裁大統領(1933年製作の映画)

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かつて「表象の節度」という言葉を捏造してごく短い感想を述べたことがある私だが、政治的態度としては(そこまで思いたくなる気持ちがわからなくはないものの)認めるわけにはゆかぬと思いつつ、いっぽうでこの映画>>続きを読む

ミス・ダイナマイト(1932年製作の映画)

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典型的な「プレコード・ハリウッド」のひとつとされているが、上映機会の希少さはともかく、作品として見応えのあるものだったかというと、必ずしもそうではない。

歩道の三人女(1932年製作の映画)

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プレコード期のマーヴィン・ルロイはすばらしい。きびきびした筋運び、簡潔なショットの連鎖。わけてもこの作品は、ぞっとするほど恐ろしい「転落ショット」がある。
だが、ルロイがこの時期に撮った最高作は、おそ
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マダム・サタン(1930年製作の映画)

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いつもタイミングが合わず見逃し続けていた『マダム・サタン』を漸く。
時計のような衣装を身にまとう女性というヴィジュアルが奇妙さをきわだたせるが、エクセントリックきわまる後半の飛行船でのパーティは、美し
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(1943年製作の映画)

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エレーナ・クジミナを捉えるショットのことごとくがすばらしい。ラストのアップショットはもちろん、馬車であてもなく彷徨うさま、そこから降りて孤独に佇むさま。美学的なものを超えて美しいショットが胸を打つ。

ミス・メンド(1926年製作の映画)

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ソ連で撮られたアメリカ映画。
身体的コメディは微笑を誘い、驚くべき速度に度肝を抜かれ、しかもフイヤード的出鱈目さで、ラング的悪を成敗する。このとんでもない傑作を前にしてしまうと、映画はサイレントでその
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リンダとイリナ(2023年製作の映画)

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これをドキュメンタリーと考えるにはあまりに無邪気に思ってしまう。というか、ドキュメンタリー/フィクションの二分法などなんの意味ももたぬように思われる。
なんでもないお喋り、スタアといった風体とはとても
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夜の外側 イタリアを震撼させた55日間/夜のロケーション(2022年製作の映画)

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寄り気味のキャメラを基調とし、適確というほかない簡潔な連鎖で、アルド・モーロ誘拐事件をめぐる複数の人物の思惑や見解が交錯する多面的で豊かな作品世界が立ち上がる。
だが、この「多面的で豊か」という語彙に
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Chime(2024年製作の映画)

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黒沢清は「不安」を組織する。突然に世界が崩れ落ちてしまう唐突さの予感に晒され続けることへの「不安」。この「不安」の持続を黒沢清は「恐怖」と呼び、徹底的にこの「不安」を描きつくす。

支那の夜 蘇州夜曲 前篇(1940年製作の映画)

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同時代のハリウッドに負けぬ娯楽大作。
画面奥で眼差しをすっとそらす女性のささやかな身振りが果たされえなかった恋心を雄弁に語る。

デジモンアドベンチャー02 前編 デジモンハリケーン上陸!!/後編 超絶進化!!黄金のデジメンタル(2000年製作の映画)

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やはり封切り以来のスクリーンでの再見。
前作(というべきかわかりかねるが)『ぼくらのウォーゲーム』が痛快というほかない「プログラムピクチャー」であったのに対し、どこか気怠げなムードの漂うロードムービー
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デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!(2000年製作の映画)

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封切り以来のスクリーンでの再見。
封切り時は、まだ10歳にも満たない私の心を捉えて離さなかった作品で、今なお色褪せぬ「プログラムピクチャー」。
省略と待機の時間の呼吸は、小気味よい作品のテンポを作り、
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ザ・デッド/「ダブリン市民」より(1987年製作の映画)

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さる家でパーティーが開かれる。ごく近しい男女が集まり、踊り、食事をし、酒を飲み、その間もお喋りに興じ、ちょっとしたスピーチをする。ほんのそのくらいの出来事を、ジョン・ヒューストンは、慎ましくも時に大胆>>続きを読む

トラス・オス・モンテス(1976年製作の映画)

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山々の稜線をゆったりとした右方向へのパンで捉えるパノラミックなショット。『トラス・オス・モンテス』のこのファースト・ショットに、これはすばらしい映画であると確信する。複雑なところのないロング・ショット>>続きを読む

勇者の赤いバッヂ(1950年製作の映画)

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10年以上前にDVDで見て以来のためほとんど忘れていた。優れた戦争映画は、専ら歩くことによって表象される。ヴィダー、ウォルシュという先人がおり、『勇者の赤いバッヂ』の後にアンソニー・マン、フラーが続く>>続きを読む

光あれ(1946年製作の映画)

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「演出されていない」と謳いつつ、演出されていることは明らかで、この融通無碍というか、出鱈目さは、プロパガンダに寄与すべく拵えられたのかも知れぬが、現実には封印されることとなる。フラッシュバックは説明的>>続きを読む

フェラーリ(2023年製作の映画)

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すぐさまもう一度見直したい衝動に駆られる。それは、物語がことのほか複雑であるからではなく(むしろ想像されたことが想像どうりに起こる)、完璧なショットの釣瓶打ちだからでもない(完璧さとは遠い)。
そうで
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WALK UP(2022年製作の映画)

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カットが変われば、時空間が接続されていなくてもかまわない。あるカットとカットの間には、連続性とともに世界が変わるほどの断絶をもはらんでいる。ホン・サンスはその確信をもって映画を撮る。いっぽうでちょっと>>続きを読む

蛇の道(2024年製作の映画)

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見つめること/見つめないこと、眼差しを受け止めること/受け止めないこと。柴咲コウは、睨みつけるとも異なる、しかし威圧を伴う強い眼差しを男どもに向けつつ、しかし眼差しを受け止めようとはしていない。それは>>続きを読む

関心領域(2023年製作の映画)

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アウシュビッツ強制収容所の真隣に住まう一家。画面の外からは物々しい音や声が響くも、一家は関心をもつそぶりを見せたりはしない。ジェノサイドに加担する無関心という犯罪性を告発しようとするジョナサン・グレイ>>続きを読む

女医の愛欲日記(1973年製作の映画)

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「封印」やら「幻」やらの貴重さを煽る語彙が、この映画を過大に評価させているのだとしたら、それは誤りといわざるをえないが、記憶に残る映画であることは間違いない。支離滅裂、出鱈目、荒唐無稽…といった語彙が>>続きを読む

喜劇 あゝ軍歌(1970年製作の映画)

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穏当さなどこれっぽちもなく、8月15日に御霊神社(明らかに靖国神社をモデルとする)の賽銭泥棒を敢行し、黙祷の最中に去ろうとするに至り、アナーキーぶりは極点に達する。だが、喜劇とは本来的にアナーキーであ>>続きを読む