すでにひと組の男女は出会っており、少なからず相互への愛情を自覚し語らう関係にある。われわれは、その、すでに始まっている物語を眺め始めることになるのだが、そこはひとけのないスタジアムである。がらんどうの>>続きを読む
リチャード・フライシャー監督の『スパイクス・ギャング』は、紛れもない傑作であるが、なかなか語りにくい映画でもあるように思う。というのは、ここでのフライシャーは、同時代の「アメリカン・ニュー・シネマ」的>>続きを読む
SNSを少し見れば、AIを駆使した真偽不明(多くの場合偽り)の映像が目に入る。時に「ポストトゥルース」の時代(だが、「トゥルース」の時代などあったのか)と呼ばれもするこんにち、ある映像が開示(ディスク>>続きを読む
『休日』は風の映画である。
だが、ここでの風は、たとえば黒沢清の作品のように、不可視の気配を画面上に漂わせることに貢献してはいないし、最近でいえばホセ・ルイス・ゲリンの『よき谷の物語』のように画面に爽>>続きを読む
以前YouTubeのKorean Film Archiveで拝見していたので再見。
仰角のあおりで撮られたショットが目を引くオープニングが、どこか日活あたりで撮られた日本のプログラムピクチャーを思わせ>>続きを読む
ロングショットがすばらしい。
3人の男女が雪の積もった道やら雪原やらを歩いたり走ったり寝転んだりするショットのどれもこれもがとにかくすばらしく、すっかり魅せられてしまった。
上映題『三角の陥穽』。
これは「とんでも」な映画だ。
イ・マニの作品を少しだけだが見ていると、物語の筋立て自体は、一見、日本のかつてのプログラムピクチャーでもありえそうに思える。だが、気づくとどこか遠>>続きを読む
もともと黒白を想定して画面設計がされていないことは明らかだが、画面の情報が限定されることで見えたり聞こえたりするものはある。
本木雅弘の声はすばらしい。ややこもるようなニュアンスだが威厳を感じさせる発>>続きを読む
30年代の溝口は凄い。
50年代の並外れた完成度の作品はすばらしく、日本映画史が持ちえた最上級の作品揃いであることはいうまでもないが、30年代の溝口はより多様な表情を備えつつ、充実したショットで空間を>>続きを読む
塩田明彦篇オミット。
万田邦敏監督の『「恋愛論」のけじめ』が傑出しているように思った。あれはちょっと凄すぎる。万田邦敏の才気走った掌編。
『獅子座でA型の女の子のけじめ』も、自転車と鼻歌という好みの要>>続きを読む
ちょっと微妙なところもあるが、エンドロールを除けば90分ほどですぱっと終わる精神やよし。
今の私たちがB級モンスター映画やSF映画を偏愛するように、後年『オークストリートの異変』をそのように愛する人々がいてもおかしくはあるまい。
「敗戦」を「終戦」と呼び、「戦争」の前にあって然るべき「侵略」の語を隠滅してまわる恥ずべき連中が下品に喚き散らすこんにち、『日本の悲劇』がもつ意味は大きい。
だが、『日本の悲劇』においては、支配階級>>続きを読む
完璧な映画というものがこの世にあるとしたら、『山椒大夫』はそのようなひとつである。傑作であるとかすばらしいとか、紋切型の賛辞では、この作品のすさまじさには到底不足している。
私ごときに何をいえるかとい>>続きを読む
落ちついたショットの連鎖に、『ロゼットの冒険』とはずいぶん印象が異なると思っていたら、エリック・ロメールが共同監督であった。
ドア、引き出し、CDプレーヤーのトレイの開け閉めに笑いを堪えられない。上手>>続きを読む
5篇の掌編をまとめた作品だが、そのひとつひとつを、サイレントの1巻ものの短篇を見るように見た。もちろん音声もあるし、カラーでもある。撮り方もサイレント的なそれではない。だが、この出鱈目で、生々しく、な>>続きを読む
デルフィーヌ・セリッグは、カラミティ・ジェーンについてリサーチするためにアメリカ合衆国を訪ねる。いくつもの証言をインタビュアーとして引き出し、また、いくつもの手紙や新聞の切り抜きに目を通す姿は、ある意>>続きを読む
『赤線地帯』は、一般に思い浮かばれる「溝口的」な作品ではない。溝口健二監督の作品は、「溝口的」という言葉では到底おさまりのつかない多様な表情をもっている。からりと乾いた印象を受けるタッチだが、金銭、女>>続きを読む
1930年代の溝口はすばらしい。
『祇園の姉妹』は、現存する溝口の作品では珍しく、自動車が印象的である。これまで男連中を手玉に取り金銭を手に入れていた山田五十鈴が、自身に貢がせたひとりである深見泰三ら>>続きを読む
近年の大ヒット映画『国宝』の引き合いに『残菊物語』が出されることがあるが、それはあまりに分が悪いといわざるをえない。
じっさい、『残菊物語』は、溝口健二の演出はもちろん、キャメラ、照明、美術、役者のす>>続きを読む
『風の物語』は、詩的でありつつ瞑想的で、重厚でありつつ軽やかで、重要でありつつ遊戯的である。なんというすばらしさ!
誰もが魅了されるであろうシークェンスをひとつ挙げよう。ヨリス・イヴェンス(監督であり>>続きを読む
国立映画アーカイブで返還映画のうち文化映画をまとめて見ていると、死の気配が可能な限り薄められていると感じる。日本兵の死はもちろん、当時の抗日運動の指導者を撃ち倒すべしと声高に叫ぶわりに、戦闘は可能な限>>続きを読む
木暮三千代のすばらしく艶めかしい身体!
溝口は、画面の中に配置される身体やオブジェがいかに振舞うのかを的確に捉える。
あのぼとっと落ちる花!
思わず「落ちた!」と叫びそうになった。
ラストの芦ノ湖の一>>続きを読む
『楊貴妃』の評価が低いとしたら、たとえば溝口的な主題である「抑圧された女性」とその「闘争」が必ずしも顕著に示されていないからだろうか。それとも大映で撮られた50年代の傑作群を支えたスタッフである宮川一>>続きを読む
田中絹代がかつて彼女を愛した義弟の子どもを育てることを決心することとなる一連のシークェンス(ここでの繊細きわまりないショットは見事というほかない)のあと、唐突に現れる一艘の小舟に動揺する。水面を滑る小>>続きを読む
『新・平家物語』は、このFilmarksというアプリに限れば必ずしも高い評価を得ていないらしい。だが、私はこの作品を傑作と思う。
冒頭の名高いクレーン・ショットに始まり、すばらしい画面の連続に圧倒され>>続きを読む
この生々しさはただごとでない…と思いつつ見ていたが、何よりラストのシークェンスは、キャメラワーク、照明、美術、役者の身振りの凄絶さまで何もかもがすばらしい充実ぶり!
同年に発表されている『近松物語』と『山椒大夫』の存在感ゆえなのか、『噂の女』は必ずしも溝口健二監督の作品において強い存在感を発揮してはいないかも知れない。
だが、『噂の女』は傑作である。女性の搾取/被>>続きを読む
『春、阿賀の岸辺にて』
以前恵比寿映像祭で拝見しているが、劇場では初めて。佐藤真監督の『阿賀に生きる』の製作発起人としても知られる旗野秀人氏の諸活動を追うドキュメンタリーであるが、必ずしも旗野氏の旺盛>>続きを読む
『いつも茶畑で歌っていた』
静岡県地名にある小森はるか監督じしんの父方の実家での営みを捉えるドキュメンタリー。
茶摘みをし(だが安易に想像するような茶葉を一本いっぽん摘むことはなく、機械で刈り取る)、>>続きを読む
『浪華悲歌』が傑作であることなど今や誰もが知っているし、仮に知らずとも一見して誰もが傑作と呟くほかはない。だから、今回見直して思ったことを呟いてみたい。
冒頭すぐの男女3人の会話を捉える一連のシークェ>>続きを読む
すべてが狂ってる。
誰も彼もが狂気に侵されているが、それは時に滑稽でもある。この決死のパロディともいうべき事態を、ジョン・ヒューストン監督は、すばらしい距離感で画面に収める。
ぼろぼろの車が斜面を滑っ>>続きを読む