ジェーン・フォンダが演じるコールガールは理屈っぽい彼女のイメージそのものなんだが俺は嫌い、全くもって魅力を感じない。
彼女の声が二面性を露わにしていく演出も中途半端、ゴードン・ウィリスの撮影もやって>>続きを読む
ホークス「三つ数えろ」のようにメガネブスがゼメキス「ロジャー・ラビット」の美女、ジェシカに大変身という好敵手ゼメキスへのダンテなりの粋なアンサー、そして映画自体はスピルバーグ「1941」へのアンサーム>>続きを読む
虚飾の時代にスタンダードで人物を切り取る潔さ。数人が横並びする構図にぶち込まれる異物、萩原みのり。彼女の登場で無駄話やアホな寸劇が一気にグロテスクになるこの感覚は初期ファスビンダーではないか。ラストシ>>続きを読む
おでん屋の暖簾に差す水島道太郎の影がちゃんと黒潰れしていない、暖簾の合間から射す光が顔に当たっているのも良い。白木万理がキャンバスに寄りかかることで完成するヌード、ダイヤを取り戻しに行く際のカーテン越>>続きを読む
貫地谷しほりが成田瑛基の声を聞こうとテレビの音量上げるとこが好き。ボクサーの足を頑なに撮ろうとしないのはなんなのか。
フライシャーは望まずとも日本版ジャッロぐらいは想定して観に行った訳だが予想以上にタイトな編集に驚く、が好きなジャンル映画全部混ぜましたみたいな構成を見て、尺で切らざる得なかっただけかと少し冷めてしまう>>続きを読む
世界的に映画作家たちが箱庭で妄想をぶち撒けた時代、かたやコッポラかたやゴダール。
ナボコフの脚本からして退屈なのだろうけど、時代とはいえハンバートのグロテスク加減に比してロリータはあまりにもそそらない。足の接写から始まり肌の白さが度々強調されるにも拘らず彼女を殺し続ける画面、これを>>続きを読む
あのエドワード・ヤンにも発展途上の時期あったのだなと感じ入る。フレーム外への意識、屋内での移動など才気煥発そのものだが編集はやや臭い。クリストファー・ドイルの明確な領域描写との決別が彼のその後の運命を>>続きを読む
主人公二人の視点が二ノ国に来て初めて重なる主観にまずアガるし、軋轢の予兆として姫に謁見する際、わざわざ立ち上がることで視点がズレる!他は鳥との契約、ダンクの反復…そしてラストは「ミッション・トゥ・マー>>続きを読む
ファーストカット、涙のように流れる雨は似たコンセプトの傑作「早春」の血のように赤い塗料を思い出させる。始まりからしてロージーはスコリモフスキを意識していたのではないかと思わざるを得ない構成ではあるもの>>続きを読む
ヒロインが笑う、走る、着替えるのアイドル映画三原則に頼り切らぬ細部の深さ。声が主題なだけに音が起因となるシーンが多いのも見どころ、ラジオの音がヒロインの転換点となり、ツクツクボウシの鳴き声が作家の立場>>続きを読む
ゲテモノ趣味を覆うほどのクールなカット、ハードボイルドに見せかけた激アツ、正しい。
YouTubeにて「木曜洋画劇場」での放送と思われる吹き替え版鑑賞。
原作を読んだのが5年くらい前なので確かなことは言えないが、僕の思うムルソーのイメージは若さ以上に疲れや諦念を持つ男であり、それ故>>続きを読む
後ろの席の中坊が理解できずにブチ切れてておもろかった。
「ディリリとパリの時間旅行」、自然と過去を想起させる写真的表現、横構図で幕開け。後は多様なズレで魅せていく、斜めに動くディリリ、横構図同士の立体的切り返しで虚を衝く。それだけにショッカーばりの秘密結社>>続きを読む
まさに過去のアルジェント映画のコラージュ、「ジャーロ」というタイトルながら中身はジャッロ映画というより「サスペリア」の系譜、魔女(らしきもの)と美少女の構図がここでも反復される。
三吉彩花が宝田明に出会うまでの展開が実に快調で、彼女のミュージカルの素質は元来のものであるとその身体や行動で暗に示しつつ、遊園地に辿り着くまでの過程、覚醒へは飛躍的であるというのが単純に上手い、嫉妬し>>続きを読む
パイプユニッシュの待ち時間で観た。重要文化財でアクションシーン撮れる時代。
映画リハビリのために久しぶりのアルドリッチ、リアクションカットの挿入が上手すぎる、自分を見捨てる上司への一瞬の疑惑を示すカットとかほんとに一瞬なんだけど凄い、あるかないかで全然余韻が違う。人を歩かせ、>>続きを読む