アバダケダブラ屋さんの映画レビュー・感想・評価

アバダケダブラ屋

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レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ(1989年製作の映画)

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おもしろい。

キャラ立ちすぎてるのに、時折捉えるアメリカの風景が美しすぎる。

ハッピーアワー(2015年製作の映画)

5.0

全ショット間違えないのすごい。カメラ(キャメラ)を向けることの恐怖とちゃんと向き合ってる人なんだな。

説話論的な持続と主題論的な体系の緊密な連携も見事。黒沢清イズムを正しく継承している。

彼女たち
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王国(あるいはその家について)(2018年製作の映画)

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前作よりははるかに良くなってる。

映画の成立過程そのものを撮りたかったのだろうか。

90分とかでシンプルに“普通の”映画にしたほうが良かったのでは?と思うくらいに途中の映像断片は良かった。

螺旋銀河(2014年製作の映画)

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風景とか建物を映画っぽく撮るのは得意。

だけど人を撮るのが苦手だなと思った。

死刑執行人もまた死す(1943年製作の映画)

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ものが落ちるという運動の体系論的意味合いの変化
秩序の維持→秩序の崩壊

影の使い方

神の道化師、フランチェスコ デジタル・リマスター版(1950年製作の映画)

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雨、頭巾、顔を覆う
見習うことは見倣うこと
服の統一性

トランペットを奏でるまでの見事なショットの連続
トランペットがあたかも西部劇を思わせる救いの福音

生れてはみたけれど(1932年製作の映画)

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雀の卵
食べること→所有することへ
契機は犬の毛が抜けるということ

親分子分の規則
規則に従わない太郎
一張羅

駅馬車(1939年製作の映画)

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ラストの一本道がなんともいえぬ感動。これしかないっていう感覚。

10番街の殺人(1971年製作の映画)

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服を脱ぐ、階段を上る、階段を下りる、カーテンから外を覗く、ドアを開ける


何をうつして、何をうつさないか


言語の使用法含め黒沢清を彷彿とさせた。というより黒沢清がリチャードフライシャーを彷彿とさ
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わが谷は緑なりき(1941年製作の映画)

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調和のとれてない服装→炭鉱主の息子と娘の結婚という説話論的な不調和

説話論的な持続と主題論的な体系の緊密な連携

ヒッチ・ハイカー(1953年製作の映画)

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着替えるという主題

冒頭ぬっと顔が出るまでのカットの繋ぎ。ゾッとするラストへ。

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