破倫、グロテスク、エロティシズムに充ちた下劣さを全面的に露呈しながらヴィスコンティやサークを思わせる品格もある。より大衆向けになったライナー・ヴェルナー・ファスビンダーを観ているようだった。レストラン>>続きを読む
1928年から1930年にかけて撮影された傷だらけのホームムービーを装う断片映像、現代の同所で彷徨う撮影者の亡霊、その不在の視線と記憶を巡るような空舞台が、時間や生死の概念を超えて幻想的に溶け合う。>>続きを読む
都会の孤独を生きる大人の欺瞞とその解放。『モード家の一夜』の時代よりもセックスはもっとライトになり多様化されたが、愛は変わらず言葉から獲得され続けると信じたい作家たち。
家庭内暴君の失墜。鞭を飴に変えただけで根本的な解決には至っていないが、20年代といえば第一波フェミニズムが終息してまだ間もない頃だったと思う。
室内の限定された空間の中で視線が物語を繋ぐドライヤーの>>続きを読む
この時代に80年代調のド直球スポ根ドラマを懐古抜きでも楽しませてくれるのは本当にすごい。映画館で映画を観るのは義務でも敬意でもなくその方が楽しいからだ。
「嗚呼、巴里」系の洒脱な青春コメディ。雑然としていて危険もあるが人間味溢れる街並、個性豊かなキャラクターをスケッチした古き日常の愛おしさに身を委ねられる。何より純粋さの中にどこか不安定な危うさもあるヒ>>続きを読む
車窓の外に過ぎる景色をぼーっと見ていると、静止しているのは自分で、外の世界がすごいスピードで動いているように見えることが子どもの頃にはあった。電線のダンスとかが懐かしい。そういう景色の中でも自分と同じ>>続きを読む
いました。カウリスマキの中にもロベール・ブレッソンがいました。抑制された感情、劇中世界からしっかり流れてくる音楽、映像のオートマティスム。そこにアイロニカルと独特なユーモアが付されます。「ふしあわせな>>続きを読む
過酷な最前線から母を訪ねて急ぎ鉄の列車で逆走する青年。時間は限られており、一刻もはやく母に会い、抱き締め、家の屋根を直してやりたいが、困っている人を見過ごせない。しかし偶然訪れる甘い青春も捨てがたい。>>続きを読む
まさに深淵を覗くとき…ってやつだった。もうずいぶん虚構を生きているくせに現実から動けない。SNSの描写なんかまったく出てこなかったのに、自分自身の中にも認められるような、今日の日本的な気持ち悪さが全部>>続きを読む
「あなた」への言葉は届くことなく「私」をとらえ、「彼」が相手だと「私」は受動的で従属的な客体になる。その内在を一気に解放せんとする「彼女」と「私」のセックスシーンはまるで平等な条件のもと互いのなかに現>>続きを読む
あの世の冷気かってぐらい孤独でひんやりとしているが不思議と心地よく、なんとなく自殺を暗示するような厭世感に『たぶん悪魔が』を想起させられた。無機質なシンメトリーの構図からゆったり移動するカメラ、それが>>続きを読む
活人画の撮影で泰西名画の映像的融合を試みる天才。レンブラントの「夜警」、ゴヤの「マドリード1808年5月3日」の背後を横切る「日傘」の女、「裸のマハ」、「カルロス4世の家族」を捉えつつ、アングルの「か>>続きを読む
東南アジアのどこか奥地で、白人至上主義も家父長制も夢の虚構とともに剥がされ、娘への愛に執着する生き霊のごとしオルメイヤーの静かな狂気。
黒い水面に揺らぐ蛇のような光、「Sway」からの殺人、背後にず>>続きを読む
毎日が毎日のコピーを繰り返し、反復と内在に閉じ込められたとある主婦の機械的な日常が、少しずつ変調をきたして決壊するまでの最後の3日間。定点カメラによる統制と音の緊迫がみごとに調整されていた。台詞も少な>>続きを読む
サム・ライミがすごく楽しそうで何よりだったし面白かった。あそこの選曲がベートーヴェンなのもストレートで良い。
肉体的にも精神的にも疎通不能な「僕の女性像」のあまりに魅力的なすべてを前に、男としてどこか危険な共感を覚えてしまう。イメージに妄執して旋回する構図は確かにヒッチコックの『めまい』だった。終始画面上に漂>>続きを読む
「舞台演劇『親密さ』をつくった劇団が、それぞれの葛藤を作品に重ねながら公演の準備をする映画『親密さ』のなかで、その舞台演劇『親密さ』を実際に公演する」
という入れ子構造のなかで、劇中の観客役と映画を>>続きを読む
繊細なタッチで描きだされる心象風景が美しかったけど、明るいにしろ暗いにしろ、子どもに語ってもらうんじゃなくて子どもが自然と躍動する映画の方が好きだからちょっと個人的な好みに合わなかった。あれだけ純粋知>>続きを読む
カウリスマキ特有のオフビートな空気を作る素となるものが、凍りつくようなニヒルを纏わせている処女作。
実質「罪と罰」の映像化だと勝手に思いこんでしまっているブレッソンの『スリ』を愛しているので、どうし>>続きを読む
女と女から男と女へ。ミステリー・夢想・演奏家の三本並行でメリーゴーラウンド。ベルトルッチ的遊戯のような妙に居心地いい混沌のなかに迷い込み、要所要所の裏切り(猫とか)で刺激が与えられる。『湖のランスロ』>>続きを読む
拡張現実の街中ダンジョン&ノワールという少年心くすぐるプロットの陰謀論映画だった。ヌーヴェルヴァーグの犯罪ドラマっぽく殺伐と締めてきたなと思いきやカンフーの特訓に突入する騙し討ちオモロすぎる。リヴェッ>>続きを読む
ありふれた家庭や社会といった様式・伝統・感情的関係性の只中で、その影響から自由な「個人であろうとすること」が「狂気を得ること」になってしまうおそろしさ。(あっ、この人ちょっと変)って気まずい空気演出す>>続きを読む
冬の四十日間だけ地上を歩くことを許された太陽の女と月の女が、永遠をめぐって現代のパリで決闘する。冒頭から連続する映像の裏切りが突如ひび割れる鏡によって別世界へ転化するあの素晴らしい瞬間につながり、魔法>>続きを読む
もろに不思議の国のアリスをなぞるファンタジーな始まりから、劇的な物語を創造しては即座に書き換える自由な女たちの夢の中に浸り続けること3時間。時間という概念を幸福で失ったワケだが、秩序と破壊をめちゃくち>>続きを読む
ソ連はナチスを否定しながら忍び寄る。酒場の給仕と恋に落ち、戦争に奪われた青春と愛国心の狭間で揺れる反共産主義のゲリラ青年がところ構わず一夜限りの恋人を抱きしめる姿は目に焼き付く。それはまるで直後の死を>>続きを読む
中世と現代、虚構と現実が混ざり合い独創的な幽玄美を放つ女海賊復讐劇。古城をなめるカメラワークといい海のパンといいどこか溝口健二を思わせるところがあった。
劇中音楽の演奏者が普通に画面の中にいちゃうの>>続きを読む
傑作。甘くほろ苦い青春を詩的に綴った童貞筆下ろしコメディのような様相を帯びながら、まず背景として戦争があり、ナチス占領下という不条理があり、パルチザンがある。
性のコンプレックスからの解放でヒーロー>>続きを読む
どんな作品においても劇場が音を失う瞬間のすばらしさが映画館で体験することの真髄だなとつくづく思う。そこが物語全体を包む優しさと相まってなんの恥ずかしげもなく号泣した。
「無駄があるからいいんじゃないかな。この世の中。僕はそう思うよ」
渇いた現代生活に沁みる心の故郷映画。佐田啓司と久我美子の「いいお天気ですねぇ」は夏目漱石の「月が綺麗ですね」だ。みんな大好きいさむち>>続きを読む
女を飾りたてる恋敵に純朴な田舎娘スージーが"真心"一本で勝負。こちらから見れば、神々しいまでのカワイイっぷりで無双するリリアン・ギッシュが最初から最後まで圧勝している。本当にめちゃくちゃカワイイ。
生きていることの諸々の感情が恋愛や幻想という形で自ら膨らんでは溶け込み、死んでよみがえるさまを流し込んだような完璧な映像美。この先死ぬまでにあと何回この映画を観るだろうか。
「世界一美しい映画」
フ>>続きを読む
トゥルーマンショーの原理だ。今や感動の消費はより身近に、より日常的になった。昨日まで英雄的に崇められていた人が今日では憎しみで八つ裂きにされている光景を連日のように見かける。他人に求める理想と主観的な>>続きを読む
凄い映像。捉えどころのない恐れや不安が夜の眠りを妨げ、オカルトを生みだす。心霊番組を見終えるといつもの寝室に霊気が漂っているように感じるあの現象だ。物理的には同じ場所なのにまったく別の世界に変貌してい>>続きを読む
全体の利か個の人生か、自由か責任か、右か左かと極端に振れ続ける時代と数字の陰で無数の偶然、罪悪、代償が複雑に絡み合いドラマが生まれ続けてる。やっぱりちょうど真ん中でいたい。子を堕胎させられ"計画生育">>続きを読む
「犯罪は割に合わない」というただのお説教講座なはずなのになんだこのハッピーな気持ちは。シンプルに面白いラブコメだが、絵作りがやっぱり天才的だなと思った。シルヴィア・シドニーも前科者軍団のピュアっぷりも>>続きを読む