中江さんの映画レビュー・感想・評価

中江

中江

映画(20)
ドラマ(0)
アニメ(0)

太陽の墓場(1960年製作の映画)

4.0

黒澤明の隠れた名作どですかでんと並ぶ、高度成長期の日本の貧しく汚い裏面を詩情豊かに、しかし残酷に描き切る才能に感服。

トリコロール/赤の愛(1994年製作の映画)

4.5

過去、現在、未来が交錯するプロットは三部作の中でもっとも洗練されている。一方で、三部作が収斂するラストは感動的であってもこのトリロジーが終わりであること、その閉鎖性に息が詰まる思いもする。洗練さは不完>>続きを読む

アラビアの女王 愛と宿命の日々(2014年製作の映画)

2.5

本当にヘルツォークが監督しているのだろうかと疑いたくなる作品。無知ゆえに「アラビアの女王」を知らなかったから何とか見通せたものの、仮に彼女の人生と歴史的な役割が既知のものであれば鑑賞に耐えないだろう。

間奏曲はパリで(2013年製作の映画)

3.8

小気味の良いテンポで夫婦のコミュニケーションの不和や夫婦間の亀裂が描かれる。ただ、この映画にあっては不和や亀裂は決定的なものではない。より強力な紐帯を築くための不可欠なアンチテーゼである。破壊には至ら>>続きを読む

この国の空(2015年製作の映画)

2.0

文芸作品のアダプテーションによく見られる欠点が目につく。各場面の切り貼りにすぎない連続性や有機性の生まれない映画にどんな価値があるのか。そもそもこの国の空というタイトルに沿うようなカットがひとつでもあ>>続きを読む

日本のいちばん長い日(2015年製作の映画)

3.0

天皇を中心とした戦前の国体というイデオロギーの周辺でうろちょろする人間たちがいかに滑稽であるか。滑稽さは真面目さと一体である。このような距離を取らないで見た場合、登場人物たちの行動は英雄的なそれとして>>続きを読む

シャイニング(1980年製作の映画)

4.1

恐怖とは物語られる内容ではなく、撮影技法による効果なのだと確信をもって慨嘆することになるであろう作品。

太陽を盗んだ男(1979年製作の映画)

3.4

映画序盤から太陽は原爆のメタファーとして機能する。つまり太陽を盗むというのは原爆を盗むことを意味するのだが、火を盗んだプロメテウスとは違って人間を救うことはない。崇高な目的もなく、何ももたらすことのな>>続きを読む

哀しみのベラドンナ(1973年製作の映画)

4.5

倫理的レベルで考えれば、魔女を女性への抑圧と捉え、魔女を女性のエネルギーの放出、ないしはフェミニズムの原型として捉えるという斬新な発想。未だに例えば美魔女という語法には女性蔑視の視線が嵌入しているに違>>続きを読む

狂い咲きサンダーロード(1980年製作の映画)

4.2

暴力の時間性。主人公が腕を切断するシーンは一瞬。最後の暴力の祝祭は長い。瞬間は憐れみと残酷さを生み、幅のある時間は…

江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間(1969年製作の映画)

4.5

椅子人間や孤島の鬼、さらには明智小五郎まで登場して江戸川乱歩の作品のコラージュ。孤島の鬼は土方巽が演じているが、彼の舞踏の世界が全開となるのは後半部分。前半は静謐な幻想的映画といった印象で、映画の雰囲>>続きを読む

大人は判ってくれない(1959年製作の映画)

4.0

歴史的な価値を差し引いても傑作であることに変わりない。個人的に一番好きなところは英語教師がfatherのthの発音を指導している場面。大人のいやらしさが全開である。

ウーナ 13歳の欲動(2016年製作の映画)

3.0

ルーニー・マーラのどこか哀愁漂う表情で成立している映画。

かもめ食堂(2005年製作の映画)

1.7

自らの生を顧みることなく無精の生を生きてきたカモメのようなおばさんに魅力的に映る作品なのだろう。中年が人生半ばにして己の歩みに悩みを抱くのは一つのクリシェでありお飾りである。と極言したくなるような凡作>>続きを読む

ラ・ラ・ランド(2016年製作の映画)

3.2

陳腐さを恐れずに言えば、脚本、特に人物造形とセリフに魅力がないために平凡な映画になっている。古き良き時代のジャズを懐かしむ男はそれによって現代のキッチュや俗物主義を批判しているようにも一見思えてくる。>>続きを読む

殺しの烙印(1967年製作の映画)

4.5

主人公は確かに映画の序盤から殺し屋なのだが、「殺しの烙印」が押されることによって真の殺し屋へと変貌していく姿、つまり女にも酒にも執着してはいけない冷たさの哲学に染まっていく姿が描かれる。その意味でラス>>続きを読む