強運ってのはドラマになる。暗喩は言わずもがな。リアリティの有無は都合良く解釈して、ドーンと大きな音に握り締める手、でニンマリってことで。
剥き出しで、荒削りで、鋭利で、どっぷり浸かって溺れるかと思ったけどなんともなく、寧ろあのステップは誰しもが感じた事のあるやむを得ない、ただ反射的に躍動したのだと感じた。
アリアップは魅力的で、目が離せない。流れるように変化していくスリッツも魅力的に感じるし、その変化を今後も楽しみたい。何が飛んでくるのか予測出来ない当時の空気を、少しだけだが感じられて有難い映画だった。
上手いことアレしてコレして関心です。こういうものは安心感が感じられたらそれでいい。
これを史劇、戦争の酷さとも捉えていいだろう。物語はステップを踏んで、跳ねるように進んでいくが、その一歩一歩の重みは決して「軽快」とは言えない。
だからあれ程穏やかに味わっていたのか。
バンドは奇跡的なもの。ぶつかりあって鳴り響き、傷付き、次第に形を変える。気付けば、ぶつかる事なく交差しているだけなのだ。
しっかり思い出せない。
それこそ自分がキッズの時に観た。
またそのうち、そしたらまた。
一通りの事は経験したであろう主人公に、丁度超えれそうな試練たち。平気な顔で過ぎたアレコレの事件、アレはなかなか立ち直れないだろう。結果的にはアレだっただろうけど。
高校3年生の夏に観て、これが一人の大人のロマンだと教わりました。あれからすっかり自分も大人になり、僕のロマンを考えるようになりました。
監督の悔恨の念、欲望や希望、小さくなれど決して消える事などないのだろう、と。溜まったものを出し切らないと落ち着かないのか。
これもんは飼いたいと思わせたら勝ちでしょう、と。小学生の自分なら友達にも言わずに、親にも隠しての私欲だろう。世界のうねりを感じたいのかもしれないがそうじゃない、芽生えた親心に慢心するだけだ。
形を変えても尚、転がり続ける。影は光の裏側で押し上げて、光は影の裏側で押し上げる。
ワンピースの映画に関して、内容を期待していないというのが正直なところ。
おすわり出来ない大人達への警笛。
映画のやり口、内容、テーマは選択肢でしょうか。個人的には選択肢はあればあるほどよいだろう、と。
いつ観たのか覚えていないし、内容もたいして覚えていない、また観たいとも思わない。だけど、こんな映画観たと人に言いたくなったあの日。
隠れんぼ好きのすぎうらくんを思い出した。彼のニオイは独特で、隠れてもすぐニオイで見つかった。彼の家に遊びに行くと、彼の家から彼のニオイがした。そうか、彼のニオイは家のニオイだったのか、と。なんの話だ。
縋りたいし、救われたい。戻りたいし、進みたいし、落ち着きたい。わたしたちの望むものは、わたしたちの望むものは。
記憶の向こうに足を踏み入れる。
全てが君の思うままであり、君のせいでもある。呼吸一つ、慎重にやらなきゃならないよと嘆くなよ。
たった一言で心は揺れるし、傾くし、安定する。
幼い日々、安定した記憶を求めて生きるのか。そして不安定な思い出は唐突に、不本意に作られる。
前評判を胸に観ると、僕はわりといいじゃんと。楽しめました。ゲレゲレ可愛い。
再構築の繰り返しでこれはこれでと。深みを持たせたく試行し錯誤し。背負うものの大きさ。
いつの時代も、子どもは子どもなのだなと当たり前に感心した。
無限の可能性が騒いだり、戯けたり、喧嘩したり、拗ねたり、泣いたり、している。
5月の雨に打たれ、明日の為に今を生きる。
思春期は好きな人を崇拝し、善悪は彼女のフィルターを通して考えていた。彼女はこんな僕をなんとも思っていなかっただろう、今も昔も。
幾ら願っても時は止まらない。
微動し続ける感情。平穏な状態を保つには、寧ろ止まってはいけないのだ。
人生は、成すべき姿を見せてくれないのだろうか。
衝動に任せて、体を動かす。
これを愛の讃歌だと言ったら、はて?と首を傾げるだろうか。
子どもの愛、大人の恋。
テリトリーに入れるか入れないか。分かっていたかのように、表情は反応する。
世界の怠惰なのか、個人の怠惰なのか。
金とパンデミック?御恩と奉公?ねくすとすてーじ、いずこから。
望み通りにならなければ、自分が自分でなくなるのか。そんな筈はない。
無論、人生は主観である。
住み良い地球作り。
脚本 岡本喜八に驚いた。ブルークリスマス的なノリなんでしょうか。経緯を知りたい。どなたか教えてください。