戦争は人を人ならざるものへと変えてしまう。
人物の顔を真正面から捉えたアップショットが多用される。まるでカメラを見ることを強制されているかの様な人々。本作の特徴的なのは人を殺す瞬間の惨たらしさよりも>>続きを読む
ゴダールがドキュメンタリータッチで描く、主婦の売春の話。
夫は趣味の無線に凝っており収入が少ない。夫の設定はゴダール本人の気質を匂わせる。女性たちの煌びやかなファッションと店や工事で変貌していく街並>>続きを読む
映画という表現媒体は自然と暴力を求めるものなのかもしれない。
キューブリックもスコセッシもボクシングの映画を撮ってきた。拳を前に突き出すという動作はショットの中に動きとリズムを生み出す。拳を前へ前へ>>続きを読む
権力を持とうとするものは常に他の大きな力に頼らなければならない。支配しているかのようで実は支配されている。権力を持てば自身の過去が影を落とす。権力者が怯えるのは自身の影。
イーライが汽車に乗って布教>>続きを読む
映画がサイレントの時代、映画監督は詩人であった。
冒頭の茂がサーフボードを見つけて貴子と海へ行く場面。2人の間にセリフは無く、視線のみで語られる。まるでサイレント映画を観ているのようである。
なか>>続きを読む
ベルトリッチは男女とセックスを描き続けてきた。
『暗殺の森』では社会に馴染むために結婚するも妻と人妻の間で揺れる男を描いた。『ラストタンゴインパリ』では名前も知らない男女がアパートの一室でセックスを>>続きを読む
『トレインスポッティング』以前にドラッグに溺れる若者たちを描いた作品。
プロットもトレスポと酷似する部分が多い。しかし決定的に違うのはラストの展開。トレスポでは更生して新たな人生を歩むという筋書きで>>続きを読む
遅まきながら今さら鑑賞。
マルコム博士曰く生命はどんな危険を冒しても生きる道を探し出す。他の生命よりも知能を多く持つ人間はどれだけ危険を冒しても未知なる領域への探究心は消えないのだろう。
全体的に>>続きを読む
『皆殺しの天使』がなかなか家に帰れない人々の話であれば本作は、なかなか食事にありつけない人たちの話。と言うよりさまようブルジョワたちと表すべきか。
クローゼットから現れる母親。舞台美術のような街、家>>続きを読む
極彩色で描かれた悲しき人間絵巻。
同時期に作られた『羅生門』の白黒の平安ディストピア心理サスペンスとは対照的に『地獄門』は極彩色の絢爛豪華な貴族と武士の人間模様。『羅生門』が下人や杣売りといった庶民>>続きを読む
冒頭のジェフが息子のトロイの髪を切っている場面。何気ない親子の日常だが親が子の人生を形作っていることを示唆しているようだ。
中盤の蛇の話が物語の後半で様々な意味をもたらしてくる構成も良い。
胸糞な>>続きを読む
フォードのカラー作品を観るのは初めて。
『アパッチ砦』の実質的な続編のような話。『アパッチ砦』では無謀な突撃を繰り返し自らも命を落としたヘンリー・フォンダの最期とは対照的な展開。フォンダの跡を継いだ>>続きを読む
田中絹代版『雪夫人絵図』と言うべきか。
夫と暮らした家に執着する女。女は最後には非業の死を遂げる。しかし本作は『雪夫人絵図』とは異なるラストになっている。溝口と言えば池、あるいは川、湖に女の死を重ね>>続きを読む
フランスのドキュメンタリー映画。インタヴュー形式ではあるが人の置き方やカメラの位置、編集の感覚はかなり映画に近い。
北野監督の話はどれも興味深いものばかりだったが"振り子"の話し特に印象に残った。マ>>続きを読む
大地を進む白い幌馬車の列。
本作は『駅馬車』のような馬の大掛かりなアクションやアパッチとの大決戦などはない。クライマックスもシンプルな銃撃戦のみ。それでもそこには生きるか死ぬかの緊張感が見事に演出さ>>続きを読む
踊るという行為を一つひとつ化粧を落としていくように剥ぎ取っていくかのような一本。
見つめるという行為はどういうことなのか。人は常に鏡の中の自分を見つめてきた。
能楽の先生が常に大事にしていることは>>続きを読む
本作はヒッチコックではお馴染みの階段が見せ場の一つになっている。
チャーリー叔父さんが家を立つ前夜に姪のチャーリーが問題の指輪をはめてゆっくりと階段を降りてくる場面。さらには裏口の階段の板が壊されて>>続きを読む
冒頭の横に並んだ木馬の玩具の長回しのショットの見事さ。
チャップリンの『モダンタイムス』に影響を与えたと言われる本作だが、2人の男が再開して栄光を夢見て奮闘するという構図は『黄金狂時代』にも通ずるも>>続きを読む
人は未知なる未来よりも、自分が知り得なかった過去を知りたがるもの。過去は再現不可能。ゆえにひとは物語を作ってきた。
人が内なる炎の叫びを知るとき、この世界の冷酷さを知るだろう。この世界の終末はきっと炎に包まれる。
何も無いステージ。
楽器一つない。
そこにはマイクとカセットテープだけ…。
音楽ライブとしての手練手管にが見事。『博士の異常な愛情』で知られるパブロ・フェロのタイトルデザインからシビれる!本作はラ>>続きを読む
ピカソパン🍞とは何ぞや??
母親の苦しみと子供の成長が並行して描かれる。なかでも香川京子が稽古の練習台にさせられて婚礼の衣装を着させられる場面は見事。それ以前に香川京子が祭りのために浴衣を着て出かけ>>続きを読む
娘と娘の結婚を望む母親の関係性はオズの作品を想起させる。
子は常に親への尊敬と恐怖と多種多様な感情が入り乱れているもの。その感情を性格に伝えるのは難しい。感情が解放されるのは夢の世界のみなのかもしれ>>続きを読む
人間関係が崩壊するときとはどんなときだろうか?それは外部のコミニュティとの接触ではなかろうか。それまで当たり前だと思って信じていたことが一瞬で覆される。映画で描かれる90年代の台北よりも現代は外部のコ>>続きを読む
偽りでも成立するのが恋。
正直でなければならないのが友。
アデルを取り巻く青。本作はレアセドゥをとことん堪能する映画でもあると思う。彼女の魅力とは一体何なのか?パリの街が何処をカメラで切り取っても映>>続きを読む
パーティーは混乱と破壊の迷宮へと化す。
ルノワールの『ゲームの規則』を想起させるパーティーが終わりのない混乱へと陥っていく様を描く。秩序が崩壊していく様は『逆転のトライアングル』にも通ずるものを感じ>>続きを読む
フランシスはダンスを人生にするのをやめて、新たな人生の幕開けを選んだ。
ヌーヴェルヴァーグの如き瑞々しさと軽やかさが全身を駆け巡る一作。フランシスがベッドで誰かと会話する場面はどれも素晴らしい。昼間>>続きを読む
『近松物語』でも見せた部屋にかけられた着物や、人形などの美術を用いた演出がすでに本作でも見られる。
田中絹代と中村雀右衛門が並んで川の横を歩く移動ショットが素晴らしい。田中絹代がそのまま立ち止まり椅>>続きを読む
大地を埋め尽くす牛。
大地を駆ける馬。
大地に鳴り響く銃声。
ダンスン一行がセダリアへと旅立つ朝。霧がかかる大地に牛と男たちの緊張と静寂が立ち込める見事なショット。大地を川のように流れていく牛の群れ>>続きを読む
言葉にすることの難しさ、怖さ、愛しさ。
主人公のセオドアの心情に合わせて彼の服装の色が変化したり、部屋やオフィスのデザインのビジュアルが素晴らしい。ポイントで赤を入れてくるあたりは小津の作品を想起さ>>続きを読む
全てのショット、音響が素晴らしい。
音が繊細かつ緻密に作られている。映画館や自宅など1人で静かに観れる場所での鑑賞をお勧めする。
映画とはある一定の時間を通じて追体験する表現媒体。そしてその時間の>>続きを読む
人は記憶を辿る時、些細なことは忘れてしまう。走る電車から遠くに見える景色は鮮明に残るが、すぐに後ろへ消えていく近くの景色は記憶の彼方へ。
冒頭のトンネルを抜けるショットから見事。イチャンドンの窓のガ>>続きを読む
街は生きている。街はその場所に留まり続けているようで少しずつ変化して人も車も動き続けている。時は止まっているように見えて動き続けている。
本作は美術による力が大きい。それぞれが暮らす部屋の美術や衣装>>続きを読む
カメラが発明された当初、写真は人の命を奪うと本気で信じられていた。
カイルがスコープで標的以外の人を覗き込む時、観客の背中に冷たいものが走る。一つのショットが与える影響の大きさは映画も戦争も同じなの>>続きを読む
ハリウッドのダークサイドを描いた『サンセット大通り』と双璧を成す芸能界の闇を描いた傑作。
衰えた大女優マーゴと若き新生スターイヴ。イヴは自らの野望のためマーゴから仕事と心を奪っていく。この構図だけ見>>続きを読む
青の画面の中に浮き立つ顔やタバコの火。
王家衛の『天使の涙』『ブエノスアイレス』あるいは三宅唱の『きみの鳥はうたえる』などを想起させる。
ハオが薬か何かをプカプカ吸っているだけなのに何故かずっと観>>続きを読む