ほとんどスピルバーグみたいで良かった。
ちょうど読んでいたトマス・M・ディッシュ『SFの気恥ずかしさ』に収録されている『未知との遭遇』に関するエッセイ。家族を捨てて狂わなければ神に近づくことはできず、改宗者と狂人には葛藤はない等々、作品から>>続きを読む
かつて映画に出てくる一見して珍妙な仕掛けは、そのほとんどがセックスか屹立したペニス、良くて子宮のメタファーであった。
翻って現代の、とりわけA24作品におけるギミックはほとんどが効果的なセラピーの機>>続きを読む
繭の中の未完成の人体とか、洞窟のライティングとか、変容のプロセスを出来るだけ見せよう、って心意気に怪奇テイストが宿っていてムーディ。
これ以上クライムアクションに求める要素ってありまして?たぶん佐々木朗希の完全試合が一番近い。
銃弾による絶命のバリエーションだけ見ても、①いきなりスクリーンプロセスのスクリーンの外側からの銃弾で絶命>>続きを読む
アーサー王夫妻の「私たちはお前の可能性を信じちゃいけないとでも?」みたいな焚きつける姿勢と中世のインフルエンサー稼業。
うつし世の時空間と夢とが『サラゴサの写本』よろしくマーブル状で、永い年月をかけ>>続きを読む
ひたすらフォーキー。舞台が北区でも練馬区でも大田区でもなく、東東京だから?「じゃない方の東京」にも色々ある。荒川区の水害ハザードマップを見ると見事に真っ赤だ、という意味での『赤いシリーズ』か?
とき>>続きを読む
「私」が疎外された状況から徐々に主体性を獲得していくにつれ、一方の「ボクたち」は窃視者から被観察者(半笑い!)へ、そして浅薄極まりない精神と肉体(射精と尿!)を看破された挙句に完全に外部へと疎外されて>>続きを読む
ある種の劇的な出来事には明確な因果関係が求められるわけではなく、まして突然の発作であるはずもなく、積み重ねの積み重ねの積み重ねの…。ということを語るのは至極真っ当であるが、実際に「見せ続ける」となると>>続きを読む
マイクロ・マネジメント・ラヴァー氏の顔面が、最後コントラスト比限界突破しとる。
出演者の誰もが見覚えのあるツラ。彼らは皆、自分がいるべき時代も場所もここではなかったというツラをしている。もはや口にも出てる。プライドも羞恥心も摩耗して、彼らが彼らでいるために、簡単にそして雄弁に心の>>続きを読む
もっと横滑りしたりドグラ・マグラ的に煙に巻かれるのかと構えていたら、出世欲と愛憎が交差するシンプルなサスペンスだった。
「真犯人は仲村トオル」みたいなことにはさっぱり興味が持てないが、ディナーテーブ>>続きを読む
初っ端の波形ノイズから長回しのあたりと最後のシークエンスは良かったが中がタルすぎ。前作では局所的に配されていたからこそハイライトとなりえたフィクションの破れをダラダラと引き伸ばした作りでガッカリした。>>続きを読む
細かいカット割でキレイな男女が右上に消えたり左下から出てきたりとそれだけで眼福で、終末感は『4:44 地球最期の日』に、老境の作家が少年の機微に触れるという点では『孤独な天使たち 』にも通じる。
そ>>続きを読む
馬の駆け足だの標的を捉える矢だのの躍動感に比して、甲冑の中で迎える死の匿名性と即物的なさま。
ヒロイズム、悲劇性、解釈によるストーリーテリングに対する強い拒絶はたぶん日々私が手を染めているパワポ資料>>続きを読む
マジックリアリズムと統合失調症のあいだで、しかしポランスキー風の主観的な画が排されているためかニューロティックな感じはゼロ、という不思議なバランス。
視ることにばかり丈けんとする観客に向けた「耳を使>>続きを読む
あまりに根源的であるが故に通俗的な表現になりそうな問いかけを、1964年というスウィンギンな時流に逆行する演劇的な手法で貫徹し、現世から引き剥がしていく試み。(時間よ待ってくれ、私が台詞を言い終えるま>>続きを読む
後の『東京流れ者』にも通じるマジックミラーを活用した空間表現はあれどそこまでコテコテではなく、大和屋竺的な悪夢もないが、アクション映画の範疇としてこれくらいが丁度いい。
身も蓋もないが、最後は渡辺美>>続きを読む
フレンチ・アイビー、フレンチ・トースト、フレンチ・キッスなど、「フレンチ」という形容詞がつく言葉にはフランスという国・地域やフランスの習慣に基づかないものが多すぎるが、一方でフランス的ではないというこ>>続きを読む
メキシコ観が1979年どころかケルアックとかその辺の時代のままで、行動原理もキャラクターの強さも全然わかんないんだけど、すべては荒野を彷徨う理由をただ探してるだけの、国際的アングルだったのだろう。その>>続きを読む
光と闇、仕事と私情、愛と禁忌、生と死…相反する二律の間で苦悶したり愛したり憎んだり強く生きようと決意したりやっぱり死んだりする私たちの鏡像の、完全無欠の映像的表現でした。
道徳感情を煽る顔、顔、顔。道徳感情を煽らるゝ市民達。それでも「未分化の領域に留まり続ける」曲芸師たちの四肢や神、焼け落ちる肉体を置き去りにして今日も僕らは。