手が血塗られるのは、原爆を作る者ではなく、落とす者。ノーランはこのトルーマンの言葉を借りて、プーチンに呼びかけているのかしら。オッペンハイマーが原爆の父になるまでの経緯を描いた一軸はもちろん、二軸の赤>>続きを読む
柄本時生演じるタカシの言葉を借りるのであれば、この映画は「10点中の10」。反資本主義的とでもいうのか、悪くいえばリタイアをした人間が考える理想的な日々。音楽に触れ、文学を掘り下げ、木漏れ日を切り取る>>続きを読む
やっぱりホラーは面白い。米国版ウシジマ洗脳くん。NBAやジャズを好む自分は意識的に黒人に憧れており、その羨望を人に、日本人に話すことになんの抵抗もないが、白人サマはそうはいかない。黒人への憧れを潜在意>>続きを読む
実にアメリカ様らしい映画。マチズモな精神が顕れていて好きだ。速くてカッコいい車が売れる、そんな単純明快だった時代も好きだ。EV、自動運転、ゼロエミッションの時代にマッチョな映画を作った製作陣にサンキュ>>続きを読む
人生は、いつもちょっとだけ間に合わない。じゃあ間に合わせるように努力しよう、というわけにもいかないのが家族だよな。理性では分かっていても、いざ家族のいざこざを目の当たりにしたとき、昂る愛憎入り混じった>>続きを読む
"ワクワクが止まらない"という言葉はウェス映画によく似合う。その色彩はもちろん、エイリアン、ガジェット、隕石といった要素が少年心をくすぐり、僕らがウェス映画に惹かれるひとつの要素には、ノスタルジーが大>>続きを読む
ウェス作品の強みを言葉でもって表現するなら、「どう? 私の美貌は」と、顔とスタイルのいい女にずーっと言われ続け、「はい、最高にかわいいです」と答えざるを得ない状況へ持っていかせる技術だと思う。"大人は>>続きを読む
アジアンが〜とかLGBTが〜とかアカデミー賞が〜とか、事前情報からそんなバイアスがかかった状態で観始めた自分を悔いた。この作品を色眼鏡をかけた状態で覗いてみると、実はそれは百式の万華鏡で、さらに我慢し>>続きを読む
全てが洒落すぎている。オープニングからケツまで、何から何まで惹かれました。これこそニッポンのヤクザ。舞台が任侠とはいえ、不義理、裏切り、昇進や降格といった組織構造、そしてそのなかでの秩序維持の考え方が>>続きを読む
『コーダ あいのうた』は実際の聾者を起用して評価された。本作の凪沙を演じた草彅剛が実際のトランスジェンダーではないことを批判する人もいるらしい。たわけ。それなら役者は必要ないし、そんなふうにLGBTだ>>続きを読む
自分自身"﨑"が入る姓なので、日頃からたつさきに敏感だったこともあり、エンドロールの"宮﨑"にはすぐ気付いた。そしてその表記を見たとき、駿の「自分は引退中であり、引退しながらやっている」との言葉が腑に>>続きを読む
子どもと大人の違いは、"瞳が澄んでいるか、濁っているか"にあるとさえ思える。『誰も知らない』が子ども目線であり続けていたのとは対照的に、『怪物』は第一章・第二章と、あくまで大人の目線を起点としていたか>>続きを読む
恋愛感情とエゴは表裏一体。と、同時に恋愛と博愛と友愛は同じ愛。愛にはたくさんの種類があり、その愛情の多さ、屈折のしやすさに人間はときに惑わされるが、本作の浩輔と龍太、龍太と母、そして浩輔と龍太の母のよ>>続きを読む
初め、イニシェリン島という概念は現代社会との対比なのだろうと感じたが、深く考えるとそうでもなく、むしろ現代コミュニティの縮図であるとも思える。例えば最近漫画家やしろあずきが炎上、ことごとくフォロワーが>>続きを読む
安定の沖田修一。彼の作品を観ていると、世の中には悪人なんぞ存在せず、人間への全ての嫌悪感はすれ違いから生じているんじゃないかとさえ思える。物語の終盤、日本に無事帰ってきた西村は「南極に行って何か変わっ>>続きを読む
長く尊い人生のなかで、誰しもが"自分を変える"タイミングを持ち合わせている。まだ見ぬ何か、新しい出逢い、センセーショナルな体験。概して"自分が変わる"タイミングをぼんやりと追い求めていたユリアは、他人>>続きを読む
辺鄙な畑の中のロリータ。ヤンキー女による普遍的な恋。本来の絵的にはミスマッチだと思われるものが、不思議とフィットするこのセンス。良き。大学の同級生に下妻出身の小男がいたけど、彼はずっと目にかかる前髪斜>>続きを読む
笑いすぎてレビューできる語彙力が無くなったので、RRRあるある言います
・男屈強すぎ
・男筋肉ありすぎ
・リポDのCMで流せるシーン多すぎ
・みんな傷治るの早すぎ
・みんな足速すぎ
・トラ強すぎ
・>>続きを読む
冒頭、コイスティネンを冷ややかに視る人々の視線の先は、画面中央からやや傍に外れている。好意のない、無興味でもない、ひとつ嫌悪感を抱いた上での人々からの視線っていうものは、どこまでも不快で、思わずこちら>>続きを読む
自分自身、あまり多くの言葉を交わさないまま父親が亡くなったから、結果的に母親の"教え"に従った少年期を送り、子どもなりに見える世界への多くの不審は伝えられずに育ってきた。「我々は母親に、社会や我々自身>>続きを読む
「庵野、面白いね」「庵野やったらどうなるんだろうね」「庵野の声ね」「庵野どうなんだろうね」「庵野ねぇ」
想像以上に素晴らしい映画だった。宮崎駿という男が、引退などするわけがないんだと理解できる。ドキ>>続きを読む
インド映画、やっぱ心底大好き。特にパワン初登場シーンの踊りは圧巻。インド映画におけるダンスシーンの目的は、「宗教上の理由でキスシーンを映せないから」「言葉の壁を越えるように」諸説あるようだが、もう単純>>続きを読む
あまりにも笑えず、笑いには向き不向きはあるにせよ、ビーンの行動を痛々しいさえと感じてしまう俺は、どこかビーンを障害者として括ってしまっていて、差別的で、偏向的で、てんで性悪なんじゃないかとさえ思い2日>>続きを読む
信仰とは、崇拝とは、禁忌とは。向き合うためにはあまりにも精神と時をすり減らすであろうトピックに対して、"ハイパースペック宇宙人がおバカしながら紐解いていく"なんて、シヴァもブッダもキリストもおったまげ>>続きを読む
ありふれた家庭、じれったい初恋、普遍的な生活を破滅に導くは、宗派対立というつらを被ったエゴ同士のぶつかり合い。ベルファストに残るか出るかの二択は、カトリック教会の神父が説く"二つの道"の挿話と重なる。>>続きを読む
「悪い奴が誰もいない」ストーリーっていいよね。聾唖を家族に持つCODAを、あくまでも普遍的な夢と現実の狭間、青春の煌めきの中で描く美学。High&聾。あまりにもメリケンらしい作風、その卑近さを疎む糞野>>続きを読む
ストリーミングが支配する世の中でも、北野映画はビデオ店にばかり置いてある。「夏が始まるから」「夏も真っ盛りだから」を拠り所に『菊次郎の夏』を借りにくる人々は多く、全くもって自分もそのひとり、夏の終わ>>続きを読む
転生したら犬だった×5。猫が共産主義の象徴であるなら、犬は愛の象徴だろう。俺の母親は飼い犬を亡くしたとき、1ヶ月間は、動くのさえままならない生きて悲しむだけの屍と化したという。犬のみでの輪廻転生があり>>続きを読む
エビデンス、スキーム、コア、ブレスト、エトセトラ、エトセトラ…。嫌、嫌だよこんな日本。どんなビジネスも形や数値に現そうとする現代人に、この作品は腹身を超え中骨を超え、心の臓まで抉ってくれる。仕事なんて>>続きを読む
まず彼らにとって地球の裏側、地の果てが舞台であるという事実がいい。恋とはロードムーブではなく、綱渡りのランデヴー? あるいは怒涛に流れ続けるイグアスの滝? 解釈なんていらない、これはフツーの恋愛物語。>>続きを読む
遊園地の大観覧車シーンを目に焼き付けて以来、相模原の障害者施設殺傷事件を振り返り、『コインロッカー・ベイビーズ』を血眼で読み進めるくらいには、この作品にドタマのてっぺんまでどっぷり浸かってしまった自負>>続きを読む
"三大・男が憧れる男"とは、『ファイト・クラブ』のブラッド・ピット、『パルプ・フィクション』からはジョン・トラヴォルタ、そしてジェームズ・ボンドの名を背負ったダニエル・クレイグだと相場が決まっている。>>続きを読む
画面からヒリヒリと伝わる迫力、華美な映像。とにかくミュージカルが楽しい。『America』では、アニタ含むラテン女性が自由の国を讃え、赤黄色を基調とした構図が美しく映る。『Gee, Officer K>>続きを読む
人が人を謎にする。人が人の謎を生む。音のように、同じ裏切りという行動でも、行動の前提となる感情は人によって異なるのだから、その裏切りの意図を他人が勝手に推し量り、勝手に謎を生み、勝手に苦しむことは精神>>続きを読む
年の瀬に鑑賞。怒りを看板広告で表す女。言葉でもってそんなに派手に誇示できる感情の看板を、私はひとつも持ち合わせていない。少しばかり羨ましい。掛け違い続けるボタンから、怒りが怒りを来たし続ける。怒りが">>続きを読む
最高。これぞ「人生哉」。僕らは、失いたくない相手がいるから、自分を失いたくないんですよ。生命という意味でも、エゴイズムという意味でも。いきものがかりの「さよならは悲しい言葉じゃない」という詩を中学2年>>続きを読む