『上飯田の話』といい、やはりこの作り手は全く信用に値しないし、ものづくりに対する問いの立て方をハナから間違えてるという印象しかない。震災後の街おこしの流れに位置づけられる表現活動のひとつだと思うが、こ>>続きを読む
21歳にしてはちょっと大人っぽすぎだし、芝居をきちんと作ることに意識が向けられてて早熟すぎじゃないかという気はするのだが、丁寧に作られていることは紛れもなくて、気持ちの悪い作家の目線を見出させるPFF>>続きを読む
なんか見てて小っ恥ずかしい。演技が…とかってことではなく、モノクロの画面に俳優たちに導線が与えられて、音楽がつく。ヘタウマなのにウマが少し前面に出てる感じがくすぐったく感じて、その映画映画してる印象が>>続きを読む
最初は女子供に対しては安心が確約された娯楽映画の気配があったものの、意外なことに容赦なく殺してしまうので、当たり前だがホラーで安心が保証されないことは見ていて気持ちがいい。主人公の不良も最初はあまりに>>続きを読む
ウェス・アンダーソンの中では面白かった。
画面設計は最早自己模倣の域を出ないという気はするし、緩すぎるとは思うけど、それでも描こうとするものがきちんと虚構の中にあるというのが強みだと思えた。
核実験の>>続きを読む
当時29歳にして恐らくイタリアの音楽史において最も重要な位置を占めるであろうヴェルディの「リゴレット」を使用するベルトルッチの気概が流石という他ない。ベルトルッチの中でも作劇がこれほどしっかりして且つ>>続きを読む
ブルーフィルムの活弁というよく考えればあり得ない荒唐無稽さがありながら、気の利いた細部を作ることより映画としての娯楽性を何より優先して劇全体を活気づけるのがさすがだ。これは本当に大和屋竺の作劇が前面に>>続きを読む
時代劇風味のピンク映画。大和屋竺の脚本のハードボイルドな味わいを歌舞伎の時代世話もののような融合のさせ方で提示していて、これを演出する渡辺護もまた職人的にシナリオに沿って映画化させていて見事なコラボだ>>続きを読む
植岡さんの映画にしてはかなりシリアスで、移動撮影も多く使用されていて、こんなウェルメイドに撮れる人なんだという発見と共に、ニュープリントでの上映が美し過ぎて、ジーンと来てしまった。初期の映画美学校の人>>続きを読む
逝ける映画人を偲んでより、録音の光地拓郎氏の関わった『人喰山』と二本立てだったのだが、これほど趣の異なる二本立てに出会ったことがない。『人喰山』については再見であったが、初めてのスクリーンでの鑑賞で意>>続きを読む
人がドライブインに集まるまでほとんど主人公不在で進んでいくのがいいすね。始まり方はほとんど『ゼイ・リブ』。ランチャーで普通にトラック粉砕できるというのがご都合主義的だけど、嬉しい。
杉本博司の写真家としての活動から、最近の護王神社の建築の活動、小田原の発見までを非常にわかりやすく追っていて杉本博司を知る上でかなり入りやすい映像資料だ。最近直島で実物の護王神社を見てみると、この映像>>続きを読む
伊東豊雄が映画の最後に現代日本の建築について、「批評される表現はとっているけど、批評する相手がいない」と語り、中身のなさに批判意識を向けるが、この伊東豊雄の発言に限らず、バブル崩壊後の建築家が必要とさ>>続きを読む
これもまぁ中々はちゃめちゃやってるし、カタルシスも含めて自由に呼吸してシーンが自立しつつ並列に置かれてる印象はあって、その作劇には憧れもする。破滅へと向かわぬ現状肯定主義の夢こそ怖いという物語上の切り>>続きを読む
噂に違わずもちろん面白いし、かなり挑戦的だなとも思うんだけど、俺はやはりアニメーションにそんなに関心がないな。ラストめちゃくちゃジブリというか宮崎駿的だ。
グレミヨンとの共同監督となってはいるが、グレミヨンが映画の中盤あたり?で途中降板してブニュエルが継いだという。画面の設計についてはやはり見事としか言いようはないのだが、どうもそこまで記憶に残るものでは>>続きを読む
かなりぶっ飛んだホームドラマ。不倫した妻にブチギレ、娘を自分の子供でないと勘違いした夫が赤ん坊だった娘を見知らぬ家に預けてしまったまま20年以上時を経てカジノを経営してるが、仮にも主人公がこんなに嫌な>>続きを読む
ヒロインの歩行に合わせてカメラがついていくと、壁に立ち並ぶ娼婦がその都度位置を変えつつフレームイン/アウトする長回しは当然それ以前のゴダール『ウイークエンド』から発展したものだろうが、サラ・ドライヴァ>>続きを読む
最も美しい青春映画のひとつ。ユスターシュ映画のカメラはそれ自体が眼差しであると同時に手の触覚のようであり、鼻の嗅覚のようでもある。例えば先日見た中村雅信の映画もそんなふうにカメラを使用していて、これこ>>続きを読む
この息詰まりというか不自由さこそ映画だ。
窮屈な考えであることは自覚しつつ、不自由さこそが映画を映画たらしめると思っているが、その急遽さを潜り抜けた先の自由さを獲得した映画としてこれほど相応しいものは>>続きを読む
21世紀の映画で最も美しい作品をあげるなら『愛の世紀』であり『ジャン・ブリカールの道程』であり、そして『Mの物語』だ。そしてこの美しさこそが、リヴェットを巨匠へと仕立て上げ過ぎてしまってるのではないか>>続きを読む
素晴らしい!女優を演出することでしかなし得ないような緩やかなダンスが、対象との距離の演出として劇に取り込まれ、多様なパターンを見せてくれる。ヴァカンスの季節故に人気の少ないパリを舞台に、最早主演の3人>>続きを読む
レナート・ベルタの撮影に加えて有名な『嵐が丘』を比較的忠実に映画化したものということもあり、リヴェットにしてはかなり手堅く撮った劇映画という印象で、俳優の芝居の付け方にしても空間を使った演出が巧み。室>>続きを読む
監督がリヴェット、共同脚本にシャブロル、助監督にストローブ、出演者にゴダール、トリュフォーという布陣。怖すぎる。
軽やかに緩やかな画面でありながら編集が生み出す緊張感がいかにも度を越したシネフィルの為>>続きを読む
言語も慣習も通じない状況下において、人間はいかに振る舞えるか。人々の行き交いが激しい現代においてこそ今作の貴重性は益々感じられる。ブラジル人ダンサーとの切符を巡るいざこざを契機として、裁判のシーン、そ>>続きを読む
今回の特集パンフレットで堀潤之がロジエによるゴダールのメイキングの意味について丁寧に語っていて、それはどれも正しいことだと思えるのだが、そもそもロジエがゴダールの『軽蔑』のメイキングに取り組んだのは何>>続きを読む
パパラッツィの欲するイメージとそこに付随させるテキストによっていとも簡単に印象操作ができてしまうメディアの批判を映画内で言及しつつ、そうしたマスコミの習性さえもロジエは逆手にとってパパラッツィを買収し>>続きを読む
劇場で見るのは4年ぶり。相変わらず色気が漂う画面に目が離せないが、アフレコだからこそ生み出されたであろう少女たちの声の演出に注意し、まんまと翻弄される。最後のダンスシーンに被さる音楽にうまく聞き取れな>>続きを読む
2回目 2023年8月17日
1回目 2023年8月11日
CM撮影の現場からの移動中、映画の開始早々車の衝突により、足を怪我した役者は劇団に内緒で病院への診察へ出向かなければならない。ルノワール>>続きを読む
念願のスクリーンで。誰がなんと言おうとやはりロジエのベストはこれだと声を大にしていいたい。ロケーションと出来事さえあれば映画は良いと教えてくれたという意味で映画を撮りたいと願いつつ遭難を続けている自分>>続きを読む
なにかを眼差すこと/眼差さないことを性的興奮すること/インポテンツであることという身体的な能力の欠陥のイメージ同士で結びつけることでアベイショフィリアのひとつをピンク映画のノワールで描く。眼差すことの>>続きを読む
中島美緒の撮影と黄永昌の音響の仕事はさすがだと思えたが、肝心の芝居と物語上の台詞演出でいうと、現代的な若者のやり取りを取り入れてはいるものの、それが現代映画としての豊かさに貢献することは一切なく、時間>>続きを読む
チャップリンの遺作でありながら、なおも挑戦を続ける演出家としての格闘にただひれ伏す。サイレント期からキャリアをスタートした人がこれほどまでに饒舌に喋り倒すことで映画そのもののリズムを生み出す方向へ舵を>>続きを読む
パートナーのミエヴィルのためとはいえ、ゴダールがこれほど言葉に抒情性を込めて発話していることにグッときた。ゴダールはひょっとすると自分で映画を撮りたいという欲望以上に映画に片足を突っ込み続けていたいと>>続きを読む
冒頭の食堂で男たちが次から次へと席替えしていくことで権力構造を見せていく流れが一番面白い。それ以降はただ銃を探してるだけのはずが、何故か物語を複雑化させるような要素が絡まっていて悪い意味でややこしくな>>続きを読む
長らく観たかった映画であったが、ようやくTV放映のクリアな映像で観れて感動。語り方という点で冗長な回想シーンは見られるし、完璧な傑作というわけではないものの、家族を、とりわけ兄弟同士の在り方とジェシイ>>続きを読む