これは、1982年から86年にかけての物語。『別冊宝島』の表紙コピーで「スカ」だったと評されてしまったあの時代。
若松×木全で名古屋に映画館を作る、というメインプロットに、映画館をめぐる人々というサ>>続きを読む
必要に駆られての、少女と青年とのひそひそした囁き声。ふたりしか登場しない場面が大部分を占めるこの映画を、その声の小さな粒子が満たして、親密さ、があらわれる。その親密さは、いわゆるストックホルム症候群と>>続きを読む
色々憶測があるらしい椎名林檎の使用について
〈椎名林檎の時だって、事前にOKはもらってたんですよ。それが、ピンク映画だからってことで直前でNGになった。「ピンク映画だからダメってどういうことだ!」っ>>続きを読む
青山真治追悼その2
自ブログより転載 2007.4.24
爆音ナイト『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』@吉祥寺バウスシアター、1年ぶりの再観賞
○上映前、一本だけ予告編が流れる。AJ・シュナック監督>>続きを読む
青山真治追悼
当時の自ブログより転載
今現在的に、映画が抱えている問題について、青山真治監督が真摯に危機感をかんじ、幸福な〈あるべき、確固たる、完璧な映画〉との合一というシネフィル的耽溺に向かわな>>続きを読む
台湾映画であるエドワード・ヤン『カップルズ』(96)にフランスの少女、ヴィルジニー・ルドワイヤンが登場する。その起用のオリジンとなったのは、ブノワ・ジャコー『シングル・ガール』(95)の彼女ではなく、>>続きを読む
女が女を奪う、共感困難、という予断からドワイヨン『ラ・ピラート』のような映画かと身構えましたが、あのかしましい烈しさはなくて、どこか静謐。
『ラ・ピラート』の謎の少女、ロール・マルサックが髪をオールバ>>続きを読む
フミカ演じる主人公は農家に嫁いできた嫁。夫婦仲はセックスレスで、夫に抱いてもらいたいのにシテとは言えない、「セッ、セッ、セッ…」と口ごもる伝統芸能的台詞まわしが不器用で、可愛らしくもある。
その彼女>>続きを読む
2021.4.26 新宿武蔵野館
立川シネマシティでは女性客が目立ったとあったが、ここ新宿では中年老年男性が優勢。グッズは『愛のコリーダ』のものも含めてほぼ売り切れ。パンフレットは樋口尚文の文章だら>>続きを読む
車道に沿って伸びる、街路樹が繁った、ゆとりのある広い歩道。ああいうのは何と呼ぶんだろう。都会にありながら森林の気配を感じることのできるあの空間が何度も登場し印象深く、二人は噛み合わない会話をかわしなが>>続きを読む
冒頭、夜の銀座の街並みが視界を流れてゆく。タクシーの後部座席からの視点。
のちほど登場する、田舎のシャッター商店街との(富裕層/庶民)対比としてあらわされていますが、どうも壁の質感も色合いも、富裕層の>>続きを読む
初日に観賞。ロビーに女子中高生がいっぱいいるなあと意外に思ったが彼女らは『ライアー×ライアー』のほう目当てだったようで、『あの頃。』のほうは普通にハロコンぽい客層
ライブ会場。いまおかしんじの隣に座>>続きを読む
この映画の基調となって、ふわふわと、きらきらと、プラステックに、あくまで楽しげに浮遊する音楽、大瀧詠一『君は天然色』。その人工的なハッピーさにはどこか空々しさの気配がある。じっさいはモノクロであるもの>>続きを読む
ふたりが初めて遭遇するとき、交互に声がする、「僕、神奈川ケンイチと」「私、渋谷ハルコが」「この一瞬」「こんな風にすれ違った…」モノローグでも、未来からの回想でもない、リアルの水準が時制からも物語からも>>続きを読む
妹に拒絶され、道端に家族の縁を切る意味のお札がバラまかれる。かがむ長澤まさみは妊娠を察知する。金をひろおうと腰をおとした時たまたま気分が悪くなったのでも、ただ気分が悪くなったのでもなく、かがむという動>>続きを読む
良いところを探すと、
ヤカラの乗るバンのナンバーが「8 88」なのはリアル。
土屋太鳳のカコが異性に興味を持った瞬間の、瞳孔の動きがスゴイ。
函館のひろびろとした風景。道がひろく空が高い。路面電車の>>続きを読む
☆「虻蜂座」について
昭和29年(1954年)11月。
有楽町の東京ヴィデオホールにて、「虻蜂座」の旗揚げ公演がおこなわれる。ドタバタ、ナンセンス、実験的な芝居とバラエティショー。「虻蜂座」の同人は>>続きを読む
自作 『徳川セックス禁止令 色情大名』(72)冒頭のナレーション「この将軍、家治、誠に精力絶倫、御台所を別にして、二十一人の愛妾あり、その腹から誕生した生命、五十と四ツ…」からインスパイアされた物語>>続きを読む
福原物産と取引のある英国商人がのそのそ歩く、まるまるとした巨躯がまず映画的。その柔らかくも四角い巨大な鞄。その動作の緩慢さに既にサスペンスがあり、「遅さ」が体現される。(彼はのちに、ある意外な心理的す>>続きを読む
今回みなおして確認したかったのは、浦田賢一がどこに出ていたのか。探してみると、矢野有美らイケてる女子3人がお好み焼き屋でパンツをめくり合う、それをガン見している客の役だった。方言指導ともあるから、九州>>続きを読む
『シャルロット・フォーエヴァー』に続いて公開されたシャルロット・ゲンズブール主演作。当時13歳。バカンス直前、フランス田舎町、ひと夏の少女の冒険。ありきたりと言えばありきたり。
シャルロットは近所に>>続きを読む
瀬々監督作品としては『ヘヴンズストーリー』と同じ2010年公開で、あまり話題にのぼらなかった。レジェンドピクチャーズ製作だと(他の監督でも)どこかだらしない映画になる傾向があると思いますが、SNS や>>続きを読む
池玲子のセンセーショナルなデビューを成功させ、半ばなりゆきで始まった東映ポルノ路線も、『温泉みみず芸者』『女番長ブルース 牝蜂の逆襲』『現代ポルノ伝 先天性淫婦』『女番長ブルース 牝蜂の挑戦』と天尾>>続きを読む
言わずと知れた曽根中生の、日活ロマンポルノの代表作のひとつであり、相米慎二らに影響を与えた作品でもあるこの映画をめぐって、『曽根中生自伝』などでの曽根が数々事実の歪曲を行ったとして、物議を醸した。>>続きを読む
とどまるのでなく、移動すること。その途上に、関係の変容があり、移動の先に、人生の新たな年輪が刻まれる。そこにあるのはかつてのバランスの人間関係ではない。そして「振り返ると」、親しい人は消えてしまったと>>続きを読む
ヒドイ映画。薄い衒学的台詞が恥ずかしく、最後にピストル出てきてパンパン。典型的ダメ自主映画。唯一のとりえになりそうなのは少女だったシャルロットの美しさだが、照明が暗くて肌の色が無残、服の色も何色なんだ>>続きを読む
面白いこと、楽しませることに特化した、恐るべき映画。下らないことを狙っても、どうしてもセンスの誇示が滲み出てしまう(マイク・マイヤーズ、タランティーノ・・)が、ここには自意識というものが、演技にも、演>>続きを読む
3度チャレンジして3度挫折した映画。
亡くなる直前に出版されるが、嘘と捏造だらけと『週刊読書人』『映画芸術』『シナリオ』などで問題視された『曽根中生自伝 人は名のみの罪の深さよ 』。プライベート部>>続きを読む
鈴木則文55本目、最期の監督作品。1990年、劇場で観賞。新宿ピカデリー4だったか新宿東映パラス3だったか…考えたらたぶんパラス3だったのでしょう。
視聴覚室のような小部屋の小さいスクリーン。観客は7>>続きを読む
『温泉みみず芸者』『女番長ブルース 牝蜂の逆襲』から休みなく製作された鈴木則文・天尾完次・池玲子主演第3作は、池玲子の代名詞“ポルノ”がまんま題名に入った。『色情日記』のサンドラ・ジュリアンを起用し>>続きを読む
なんのためのナンセンス、なんのためのアナーキーだろうか。学校の秩序、親子の、家庭の、夫婦の秩序の破壊、モラルの蹂躙。ここにあるモラルは「もはや戦後ではない」以後のモラル、土の匂いのしない、アッパーな破>>続きを読む
三里塚シリーズ第6作。小川プロ映画の臨界点。闘争から日常へ、敗走から土地の記憶の古層へ。
前作『三里塚 岩山に鉄塔ができた』の冒頭で描かれた、1971年9月16日、第二次強制代執行拒否の戦い。その>>続きを読む
海女の衣装を脱ぎ捨てて、全裸となり、はしって動いて、様々なヌードグラビア風ポーズをきめる池玲子、実年齢16歳。母親のルーズさからできた借金のため、素人売春→トルコ嬢→芸者、愛人契約、果ては性の猛者との>>続きを読む
だらしなさの極致。撮りかたも、人物のモラルも、会話の内容も、一本の映画としての流れも、意識してもそうそう出来ないというくらいだらしない。シーンごとに感情は途切れ、そのシーン内でも感情の持続が散漫に霧散>>続きを読む
女番長シリーズ第2作かつ、連打される池玲子主演シリーズ第4弾。
①温泉みみず芸者(71.7.3)
脚本鈴木、掛札昌裕
②女番長ブルース 牝蜂の逆襲(10.27)脚本鈴木、皆川隆之
③現代ポルノ伝 先>>続きを読む
シリーズ第3作。『不連続殺人事件』のアフレコ段階でもう撮影に入る。今回の赤道は統制部長の小川役からコンバートされた本間進。甘いルーキーズ顔で、どおくまん感ゼロだが、金歯と歯並びがが汚ならしいのがチャー>>続きを読む