#ロマンスドール #高橋一生
記憶。
待つことと待たせること。
老夫婦。
桜の枝。
洗濯機。
犬の名前。
空気が抜けた古いラブドール。
人間の感情というやっかいなもの。
言語表現の限界と映像表現の>>続きを読む
#佐藤健 #高橋一生
一男というストーリーテラーを通して、九十九という男の孤独が描かれている。
一男が日常的に食べる牛丼の並。
牛丼の並が美味しいのは、その上に、上や特上があるからだ。
十和子、百>>続きを読む
#SHINPA にて念願の鑑賞。
桜井ユキ×高橋一生の『リミスリ』とは全くの別物。そしてこちらも傑作。
アキはなぜ女優になりたかったのか。
『リミスリ』では、その答えは観客に委ねられたのだが、明確な>>続きを読む
6月15日公開初日鑑賞。
「空飛ぶタイヤ」というタイトルのダブルミーニング。
ひとつは本当に空を飛んでしまった凶器となったタイヤ。
そしてもうひとつは、組織という車体を支え、地べたを走り続け、空を飛ん>>続きを読む
高橋一生を観に行ったのに、高橋一生はいなかった。
素晴らしい役者の作品を観ると必ず感じることである。
「役作りはしません」と明言する役者ほど、入念かつ繊細に役作りをしているものだ。
高橋一生の芝居に>>続きを読む
#リミスリ #高橋一生
***(H29.12.17更新)***
武蔵野館をはじめとして、上映第1期が終わった。
そろそろネタバレを無視して書きなぐっても許されるだろう。
ストーリーは単純だ。>>続きを読む
#高橋一生 #blank13 したコメにて鑑賞。
冒頭の突然の「ケ」の文章に引き込まれる。
映画の感想を言語化してしまうのが勿体無くて、ずっと自分の中だけに大切にとっておきたい作品。
シネマート新宿>>続きを読む
三宅唱監督の時代劇とあって、満員立ち見の大盛況の初日だった。
時代劇を観て感動するのは、「人間の営みはいつの世も変わらない」ことを登場人物の居住まいの中に見るからだ。
「密使」「番人」。
それぞれに>>続きを読む
茶道の所作の由来を知ると恐ろしく殺伐としていて驚く。それはほぼ武道に近い。それならば華道は・・?その答えを知りたくて本作を観た。
野村萬斎、4代目市川猿之助、伝統芸能の彼らは、立ち振る舞いの土台が既>>続きを読む
「武曲」とは、北斗七星の柄の先端から2番目に位置する恒星「ミザール」の別名であるという。ミザールのすぐ脇にはアルコルという暗い星があり、この2つの星は馬と騎手に例えられることがあるらしい。まるで、研吾>>続きを読む
死に近い人々は、目を開ける事や話す事ができなくても、耳は聞こえると言う。聴覚は最後まで残る感覚であることを、どこかで読んだことがある。
ラストシーンで、リリーフランキーが居る空間は、まるで耳の内部の>>続きを読む
文句なしに面白かった。菅田将暉と吉田鋼太郎の父子のやりとりはテンポが良くて惹き込まれた。菅田将暉と対立する、野村周平や間宮祥太朗も、彼らの魅力が十分に出し尽くされていて楽しかった。
吉田鋼太郎が菅田>>続きを読む
闘う棋士たちの姿は、この世で闘いながら生きている人すべての姿と重なる。闘う棋士たちの、その普遍的な哀しさと美しさに胸を打たれる。
ラストシーンの光景は絶品。闘い続ける者しか見ることのできない光景。
綺>>続きを読む
佐々木蔵之介の痛みが伝わってくる。
観終わった後、自分自身の体力がものすごく奪われていたことに気付く。
心地よい疲労と余韻を残し後編へ。
小市慢太郎と高橋一生。
タイトルの「ゾウを撫でる」は、数人の盲人が象の一部だけを触って感想を語り合う、というインド発祥の寓話から来ているらしい。
『物事や人物の一部、ないしは一面だけを理解して、すべ>>続きを読む
深田晃司監督の短編作品。
死とは、零になることではなく原点に還ることだ。
ただし、完全に原点に還ることはできず、原点付近で軌跡を描き続け、漂い続ける。
魂は生き続ける。
点在する記憶の数々は、やがて線>>続きを読む
鑑賞後、数日経過して出てきたのは、「静謐」という言葉だった。
限りなく静けさが続いていく。
人はみな、本質的に「難民」なのかもしれない。
ここではない、世界のどこかに、「ユートピア」が存在すると信じ>>続きを読む
「叩けばいい音がするので、中身が空っぽなんだと思います。」
言葉を尽くして真実を語りたがる登場人物が多い中で、鵜飼の妹、そして、あかりの放つ短いセリフたちが心に沁みる。
言語表現の限界と肉体表現の限>>続きを読む
公開初日に鑑賞する客は、大概が出演者のファンであることが多いので、このところ、初日を避けて映画を観るのが習慣になっている。やはり初日は、客席の反応も相当な贔屓目があって、「静かなる黄色い歓声」が空気感>>続きを読む
「あの男が現れるまで、私たちは家族だった」
実にシニカルなキャッチコピーである。
実際には、「あの男が現れるまで、私たちは疑似家族だった」ではないか。
それは古舘寛治も、彼のセリフの中で語っているの>>続きを読む
宗教、孤独、不協和音からの和解。
世の中に蔓延るマジョリティの「常識」と呼ばれる概念たちを、シーモアさんの言葉は痛快なまでに打破してくれる。
特に、宗教に対する腹立たしさのくだりは、いい。
年をと>>続きを読む
吉村界人くん。いい役者になりそうだなぁ。
浅香航大くん。あなたにはもっともっと狂った役が似合う。
空気を読めないことが若者たちの世界ではそんなに致命的なことなのか。
君たちは「居場所」を探しているだ>>続きを読む
「歩く騒音」菅田将暉と、「歩く静寂」池松壮亮。
「神妙な面持ち」がツボにはまって以来、池松壮亮を見るたびに口角の上がった柴犬の顔が思い浮かぶ。「カレーの初日」も好きだ。
一粒で3度美味しい。
タイトルのうまさに反して、登場人物の台詞にノれない。
作り手と観客の温度差とはこういうものか、というお手本のようだ。
青臭さも、適度に青臭いのであれば微笑ましいが、度を過ぎると怒りに転じるのだな、と実>>続きを読む
前作に引き続き、鈴木亮平と安田顕の役者魂に、ただただ感動。
柳楽優弥。
狂った人独特の背中の丸み。全身の筋肉のつき方。歩き方。表情。
本当にいい俳優だ。
菅田将暉は、「生きる騒音」の役をやらせたら右に出る者はいない、唯一無二。
村上虹郎は、体内にしっかりと>>続きを読む
実際に観てみないとよさがわからない映画というのは、いっぱいある。
これは予告編やポスターでだいぶ損をしているのではないだろうか。
最後のオチは予想してなかったなぁ。要潤よりもずっとお得な相手なのではな>>続きを読む
#この世界の片隅に
タンポポの綿毛は、風に飛ばされて散る。
見知らぬ大地に落ちたのち、そこに根付き、やがて花を咲かせる。
白いタンポポが咲く土地に、たった一人で舞い落ちた黄色いタンポポ。
黄色い>>続きを読む
東京フィルメックスにて。(28.11.19)
北朝鮮に暮らす、イコール、不幸。
これまでそう信じてきた。
私自身、実際に行ったことはなく、北朝鮮に暮らす人々との交流もないのだが。
だが、北に住む人>>続きを読む
冒頭から喪服姿の人々の登場。
多くの大切な人が亡くなった2016年という憂うべきこの年を、言葉は悪いが、なんだか象徴しているように思えた。
私自身、今年の初めに大きな悲しみを負った。
横に並んで一>>続きを読む
東京国際映画祭にて。(28.10.30)
不惑を迎えた人にもそうでない人にもぜひ観てほしい。インターネットも携帯もなく、ヤンキーはヤンキーらしく分かりやすい格好をしていたあのビーバップな80年代が瞬時>>続きを読む
村上淳・渋川清彦・三浦誠己・山本浩司・渡辺真起子・河井青葉…。
好きな役者ばかり。
Playback。日本語に訳すと再生。
再生。
今までどれだけの時間を使って、再生について語ってきただろう>>続きを読む
(28.9.19更新)
私が好きな映画は、観客が自由に解釈できる映画。
説明しすぎることのない詩的な映画。
「あの場面、何か気になるな〜」と思い返してリピートしたくなる映画。
そういうのが好きらしい。>>続きを読む
これは完全にヤられました。
森岡龍鑑賞強化月間も中盤に差し掛かり、「役者・森岡龍」だけでなく、「映画監督・森岡龍」を観始めていたところ。
凄い才能とセンスじゃないですか。
自分より、ずっとずっと>>続きを読む
したまちコメディ映画祭in台東にて。
人間のおかしみ、って何なんだろうと思った時、それは特別なことではなくて。
例えば、狂言に出てくるような、見栄っ張りの太郎冠者だったり、自分のことしか考えない僧>>続きを読む
鈴木清順監督って、こんな凄い作品作ってたのかーと、初めて知って驚いた次第。
これは、他作品も観なければ。
毬谷友子の妖艶さは言うまでもなく、若き日の余貴美子もまた抜群にいい。
どのキャストも皆、清>>続きを読む