アップリンク京都、カール・テオドア・ドライヤー セレクション vol.2で観た。主役の青年アラン・グレイを演じるジュリアン・ウェストは貴族でこの映画に出資もしているらしいが眸の役割で、老人たちが静かに>>続きを読む
TOHO 梅田で観た。ファスビンダー的なふたりに出会う事で主人公のイノセントさが失われるのかと思いきやさらに増幅してマーク・ラファロがバグるところが本当に面白い。カウンターで頭を打つ音がDolbyだと>>続きを読む
シネ・ヌーヴォで観た。いつか娘たちに観せたい。監督が詩人で…とか、ここはゴダールで…とか言いながら、生きていると起こることと起こらないことの狭間に在り続けること、詩。分かってくれたらいいな。観終わった>>続きを読む
「こんな夢を見た。大喜利」を10本ほど観ているような、それでいて統一感が意外とあるという偶然性には驚かされるが(一番驚くのは清水崇…まじでやめてくれ!笑)、ネタ被り、メタとかでもなくただ登場人物として>>続きを読む
チャンス・ザ・ラッパーのMV監督なだけあって、幽霊との共存というメイン設定のプラスアルファである狼男でのチャンスの起用は素晴らし過ぎる。それに応えるかたちでチャンスも好演。B級ホラー要素がありつつ、そ>>続きを読む
カメラワークの凝り方が正統な変態で、いろいろと気になり久々にメイキングを観た。水中での髪の毛のVFX処理がとんでもない労力だと知り、気が遠くなったが、ジェイソン・モモアの家族を想う姿があまりに美しく引>>続きを読む
主人公の弟とであり前作の敵と共に、さらに強くなった前作の敵と戦うという、少年漫画でもあまりみないほどぶち上がる展開でありながら、弟がデレることによって萌え要素まであり、あらゆる層を取り込む求心力のある>>続きを読む
『花腐し』の元ネタだからと楽しみにしていたが、あまりに古くさくて(未来だけが新しいのだとしても!)、キム・ミニの姿を求めてしまい、最後まで観られなかった。
紛失したフィルムの副産物といえる監督の語り、そして彼はガラス越しに登場する。キラー・オブ・フラワームーンにおけるスコセッシよりも格好良いがそこには言い訳のような後ろめたさがあり、なんとも言えない気まず>>続きを読む
監督は詩人で写真家。台詞は詩情を排して、あくまでも映像が詩的であること、表情よりもひたすら手を映すことによって、ひとりの女性の人生(その時系列は切り刻まれてバラバラに配置されている)を、詩集のようにど>>続きを読む
ポール・メスカル、『アナザー・サン』では父と娘、『もっと遠くへ行こう。』では妻と夫、『ゴッズ・クリーチャー』では母と息子、家族における関係性の揺らぎを凄まじい芝居でみせていて、もうこわいとしか言いよう>>続きを読む
どんでん返しの部分がポール・メスカルの芝居に依拠されているために、引き込まれてどうしようもない。ありがちな結末、どこかで見たことあるものが、これやっぱり見たことない(新しくはない)に変わる芝居。そして>>続きを読む
詩を放ちながらするエキセントリックな台詞回しと野蛮な行為。俺がもし好き勝手に映画を撮っていいと撮影にまつわるすべてと大金が用意されたなら、こんな映画をつくりたい。暴力は控えめにしてポエジーを増す、ああ>>続きを読む
20231229
昨日『ファースト・カウ』をシネリーブル梅田で観たのが今年最後の映画館。帰りにドーナツ買って帰って、壁に寄りかかって食べて、このままずっとこうしていても白骨化はしないだろうなあと思っ>>続きを読む
ビー・ガンの詩の朗読は寓話的な語り。黒猫が彷徨い3人の奇人と出会う姿を見ていると「私自身の宇宙が、意識のバランスを失って崩壊」(萩原朔太郎『猫町』)してしまいそうになるもエスカレーターの強烈なショット>>続きを読む
「(ジャガイモが転がる)夜戦と熱風」ファスビンダー『マリア・ブラウンの結婚』エイガシVol.2⑦
煙草を渡して。ブローチを得てから。未体験のこと、未来への没入。待ち人であるからには時間の流れは早いほ>>続きを読む
『テオレマ』みたいな長篇詩(あるいは詩集)を書きたいと思う。ひとつの単語が挿入されて以降すべて狂ってしまうような。狂ってしまってからその単語は決して登場しない。ただその影は在り続ける。
詩、小説、哲学、映画を引用する芝居がかった台詞まわし、それは顔面に張りついた表情は沈み込まず使いまわすかのように何度も激情に触れ、台詞は淀みなく流れ、吊るされた生物を揺らす。登場人物の行動様式は常に既>>続きを読む
号泣してから1時間経って気づいた。もしかしたら観たことあったかもしれない。なんとなく既視感はあったし、フレンチトーストが、怪我が、とか想像ついた時点でおかしいのだけれど、いまさら昔観た記憶がよみがえっ>>続きを読む
自分の殺しを依頼するも、やっぱり生きたくなって逃げまわる。アクション映画のようなプロットだが、ジャン=ピエール・レオーなだけあって、闘わないし、ここはアート映画なんだ、いまいる場所は芸術そのものなのだ>>続きを読む
イカれていて、変人で、ストーカー気質な詩人が登場したが、彼が詩人である必要があったのか。ないと思う。それでもホン・サンスの隙あれば詩や詩人を登場させる態度はとても好感が持てる。
イザべル・ユペールが朗読するデュラス。調べたら『これでおしまい』というデュラス最後の小説の一節らしい。(イザベル・ユペールの朗読の間と字幕から想像して行分けした)
誰かのことを話したい
まだ25歳>>続きを読む
タイトルがホイットマン『草の葉』の「藻塩草」という章のひとつから取られているだけあって、かなり詩的。
居酒屋の壁に貼られている?詩を見て「パク・ジョンハって、あのパク・ジョンハ?」と聞き、もうひとりの>>続きを読む
繰り返しと観察。ホン・サンスを観ていくうちに主題がなんとなくわかってきた。「あの時は正しく 今は間違い」と「今は正しく あの時は間違い 」の差異と反復を観察するカメラワーク。台詞だけでなく仕草ひとつと>>続きを読む
どんな映画か思い出そうと画像検索をしたら、ウィリアム・テルごっこを寺島と勝村がしていて、こんなのあったっけ?武が自分のこめかみに銃口をあてるのしか憶えていない。良くも悪くも映画のイメージがひとつの場面>>続きを読む
「ロープ」というタイトルだったからロープを使ったトリックなのだろうなと思っていたら、ロープやないかい!とツッコんでしまうくらいロープな結末だったことを思い出した。10年くらい前に観たのではないか。いま>>続きを読む
いつ観たか忘れたが、トム・クルーズの怪演よりも蛙の雨ばかりを憶えている。もし蛙が降ってきたら服のなかに入らないようにだけ気をつけたい。
この映画を観て、ホアキン・フェニックスのヤバさを認識したのだと思う。『容疑者ホアキン・フェニックス』だったかもしれないが。しばらくして『ジョーカー』主演の発表があり、それからずっと気が気じゃなかった。
かなり食らってしまい、夜にカメラをもって出かけて撮影してまわったことを覚えている。執拗に撮ること、自演、再演、なんでもありだと悪い意味で影響を受けたように思うが、ありがたいことに俺の作品には表出してい>>続きを読む
再見したいが、あまりに印象的で頭のなかで再現できるので観ない、ということがよくあり、この映画もそのひとつ。
当時観てあまりに面白く、結婚式の二次会の景品にしたくらいだ。批評家が悪く描かれていて、当時は創作一辺倒だったので、そうだそうだと思っていたが、いまとなっては批評家にも憧れる。詩人は批評もできなければな>>続きを読む
学生の頃、当時付き合っていた彼女と観に行き、サントラを買って驚かれたのを覚えている。それを軽音部でのライブのSEで流した。たぶんもう一度観ることはないだろうし、記入しておく。
俺もiPhoneで映像作品を撮るのでかなり影響を受けている。記入し忘れ。二度ほど観た。
『それから』といえば松田優作だったけれど、ホン・サンス(あるいはキム・ミニ)かもなと思うくらい面白かった。繰り返しと観察か。神のことを隠して神を語る、信仰を信じることと言い換えたその仕草でキム・ミニ演>>続きを読む