本作は物語の構造として非常にシンプルであり、以下の流れで物語が進む。未知の生物である禍威獣に対して、仮説的思考に基づき様々な対応策を考え、実行し、禍威獣を打倒した「プレ・ウルトラマン期」。人智を超えた>>続きを読む
原作が未読で恐縮ではあるが、脚本の練り込み不足を感じた。あまりにも淡々と急ピッチで話が進んでいくため、感情の盛り上がりがないまま五稜郭へ至ってしまった。そのような状況のため、近藤、山南、芹沢、源さんと>>続きを読む
本作が千尋の成長を描いた話であることは間違いはないだろう。では、千尋の「成長」とは何か。それは、自己犠牲の精神を身につけることではないか。自分自身がこの世界から抜け出すのではなく、両親のため、ハクのた>>続きを読む
シンジが求めていたのは、自己を拒絶しない、自己の全面肯定を行う他者であった。自己にとっての違和なき他者、すなわちそれは他者性抜きの他者という不可能なものへの欲求である。当然、そんなものは存在しない。異>>続きを読む
現代の都市は、不快なものを排除する力学に満ち満ちている。それは不快なものと向き合い、それを克服していくということではなく、不快なものと遭遇する機会そのものを除去しようとする力学である。そしてそのような>>続きを読む
見た目じゃなくて中身が大切ということをテーマとしながら、最後主人公が美女と結ばれることをご褒美のように書くのはいかがなものか。結局作り手側が美醜の二元論から逃れられていないように感じる。
正直、メッセージに共感できない映画であった。世界(セカイ)と自分の大切な1人の人間の存在とを天秤にかけさせ、大切な人を選択する主人公。その選択を通じて世界を変えてしまうことに対して自覚的でありながら、>>続きを読む
本作はタイトル通り「この世界の片隅を生きる人」を描いた作品である。簡単に言うとどこにでもいる凡人の人生を描く。しかし、凡人の人生を描くからこそ、深い味わいがある。
本作では、戦争映画でよく見る「あ>>続きを読む
破滅は日常の延長線上にある。本作を見た時に心を抉られたのは、自分もこう成り得たという可能性を感じさせるからではないか。それは清という意味でもあるし、保でもあるし、稔ですらある。
人生は選択の連続である>>続きを読む
正直、悔しいほど主人公に感情移入してしまった。何者でもない自己のプライド保つために、上から目線で人を批評する。経験に乏しく、中身が空っぽだから語られる言葉は誰かからの借り物や本の受け売り。傷つくのが怖>>続きを読む
桐島という不在の中心を巡り、スクールカーストなどの社会的関係性が変化していくことを描く傑作。
主要登場人物達が桐島によって大小はあるものの翻弄される中、全くブレないのが野球部のキャプテン。彼は純粋に野>>続きを読む
本作におけるポイント制度は、人の一側面(勉強ができる、足が速い等)のみを評価する。故に、その特性が彼らにとっては自分という人間そのものとなってしまい、挫折や敗北を経験した際に、自分自身という存在自体が>>続きを読む
物語の終わりとは何かについてメタ的に考えさせられる作品である。我々は日々たくさんの物語を生産し、消費し、忘却していく。物語を生産するということは、登場人物たちを産むことを意味する。そしてそれを完結さ>>続きを読む