メーサーロシュ・マールタ『ナイン・マンス』(1976)
Maarten Mesarlos "Nine Months" (1976)
ひとり選んだ孤独にさらわれた先の、出逢いの、その先へー
あぁ、>>続きを読む
西口洸監督『恋は真っ赤に燃えて』(2024)
面白すぎて、何も書く気になれません
(エキストラは止まってるべきです。
ええ、そうです)
Just take a look!
山本十雄馬監督『勝手口の少女』(2024)
"虐待"という名で表出した行為の根源は孤独と強烈な不安に依拠している。
その傷みを癒すことは過去へと遡らねばならない。
それは映画にしかできないことか>>続きを読む
野田麗未監督『光はどこにある』(2024)
ナースステーションという閉鎖的な場所に、
人間の「死」という極めて人間にとって重要な出来事が起こる。
つまり、内側の人間にとって「死」は日常であり、その>>続きを読む
城真也監督『明るいニュース』(2024)
生活とは圧倒的に無縁であろうとする男の欲望と一体化したかのような身体に、愛などというものが宿るはずがないー
が、しかしー徹底的に社会のシステムから自分を分>>続きを読む
髙橋栄一監督『ホゾを噛む』(2023)
高円寺シアターバッカスにて鑑賞。
(ほんとに Excellent!!)
大切な人への疑念が生み出す自縛的な錯綜生活。
人は個々の眼差しによって、全く違うリ>>続きを読む
クリス・マルケル監督『An Owl is an Owl is an Owl』(1990)
🦉ーフクロウは古代ギリシアでは知恵の女神アテーナー、古代ローマでは魔女の化身、ヨーロッパでは頑固さのシンボル>>続きを読む
ウォン・カーウァイ監督『ブレノスアイレス』(1997)
突発かつ衝動的な男性性によって、
外側を傷つけると同時に壊れていく内側。
都会の華々しさと激流の谷に誘拐される恋情たち。
カーウァイの常に>>続きを読む
クリス・マルケル監督『Zoo Piece』(1990)
安心する檻の中から見つめる外界ー
動物園の動物は観られることで、動物たり得るということが成立するが、
マルケルのとらえた動物はみな、檻の中>>続きを読む
クリス・マルケル監督『3つのビデオ俳句』(1994)
陰影のメモ。
橋、流れる川に交差する車、時折鳥の姿ー
橋の下、黒い空間、白い鳥ー
"Three Video Haikus" (1994) >>続きを読む
ウォン・カーウァイ監督『いますぐ抱きしめたい』(1988)
闘争の泥沼に掴んだ一瞬の愛の結実、、
ウォン・カーウァイのデビュー作!
この荒々しさが大作家の源。
血気盛んで暴れ方も80年代の暗黒街>>続きを読む
ジャン=ピエール・ジュネ監督
マルク・キャロ監督
『デリカテッセン』
目的が破綻し、ナンセンスの破片だけが散らかる。棲息するダークでキュートな仲間達、いわんや魑魅魍魎👻の愛すべき闘争ー
まじほんと>>続きを読む
ジャン・ジャック=ベネックス監督『ディーバ』(1981)
美声の記録を巡る恋と凶悪…
追走シーンの秀逸さー
バイクで地下鉄突っ込むのと、避ける人々の演出すごい。すごすぎる。
犯罪組織に追われて逃>>続きを読む
スタンリー・クワン監督『ルージュ』(1987)
「心中」に至るまで愛し合うことができた時代への羨望ー
京劇が彩る郷愁の街に、接近し合う男女の息遣いが滲んでいた。
大正時代の"心中未遂"を題材にひ>>続きを読む
クリス・マルケル監督『シベリアからの手紙』(1958)
シベリアの地に勃興する民族や動物の史実が語られる。
アラン・レネやピーター・グリーナウェイの作品を支えたサッシャ・ヴィエルニーの撮影が秀逸。>>続きを読む
ジャック・ドワイヨン監督『ピストルと少年』(1990)
与えられたはずの愛を探すためにー
ジェラール・トマサンの名演。
ここまで"欠乏"した表情を湛えられるのはすごい。沈黙の中に迷いと期待が混じり>>続きを読む
ジャン=リュック・ゴダール(ハンス・リュカス)監督『ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争』(2023)
新宿武蔵野館にて鑑賞。
なぜか、映画の幕が開く前に号泣してしまったが、一番前の席だっ>>続きを読む
パトリス・ルコント監督『仕立て屋の恋』(1989)
"猥褻"の[美学](とはいってはいけないようで、だがしかし、そのようにー)ー
拒絶されることに臆病で、
自身の欲望に攫われる弱小の魂
…紳士とな>>続きを読む
メーサーロシュ・マールタ『アダプション/ある母と娘の記録』(1975)
互いの人生にぽっかりと空いた穴を見つめ合い、だからといって埋められるものではなく、それを"気づき合う"ということー
愛を忘れ>>続きを読む
アンドレ・テシネ監督『夜の子供たち』(1996)
空っぽの男女の形式を営みー
世界に盗まれた愛をとりかえすとき。
人と人の虚な関係性をカメラが追うが、追い切れないほどに人間がそこにいるという芝居が>>続きを読む
ジョン・カーペンター監督『ザ・フォッグ』(1980)
暗い海の見えざる触手に"誘われし"者どもー
スモッグの量すごい。
(私の映画でも何回かスモッグを使用したが、これはどれぐらいの量を炊いたのだろ>>続きを読む
フランソワ・トリュフォー監督『ピアニストを撃て』(1960)
恋に、闘争に、哀しき旋律ー
ヌーヴェル・ヴァーグを支えてきたラウール・クタールの撮影も絶品📽
心のうちがモノローグによって明かされる>>続きを読む
ジュスティーヌ・トリエ監督『落下の解剖学』(2023)
二子玉川 109シネマズにて鑑賞。
(傑作は傑作でした🎇)
"主観"が排除される裁判もまた"主観"を免れ得ない人間が執行う催しであり、絶対的>>続きを読む
クリス・マルケル監督『アレクサンドルの墓/最後のボリシェヴィキ』(1993)
旧ソビエトの映画作家アレクサンドル・イワノヴィッチ・メドヴェトキンへ、クリス・マルケルよりー
1980年代のゴルバチョ>>続きを読む
クリス・マルケル監督『アンドレイ・アルセニエヴィッチの一日(1999)』
巨匠監督の少年性ー
まさにタルコフスキーの"あの"シーンはこうやって演出されてたのか! と知られて、嬉しかった。ファインダ>>続きを読む
クリス・マルケル監督『トウキョウ・デイズ』(1986)
80年代? の東京の街には商売があって、音楽があって、余興があって、文句を言う人や、会話に柔軟な人がいて、猫はどこにでも、で。
音楽を奏でる>>続きを読む
ホウ・シャオシェン監督『ミレニアム・マンボ』
(2001)
新宿武蔵野館にて鑑賞。
足りなくなったり、守ったたり、壊されたり、作ったりするPersonal Spaceー
まるで意志のない生命にのっ>>続きを読む
クリス・マルケル監督『ジャンコピア』(1981)
サンフランシスコ海岸に並んだ謎のオブジェに宿る終末の予感。
物が"生きて"いるというショットの連打ー
地球を裏返しにしたような世界感覚。
“J>>続きを読む
クリス・マルケル監督『エクリプス Éclipse 』(1999)
月が本影に入る時、
見上げる人々の心のフェスティバルが開催される。
上を見上げる人たちのかわいらしい無防備さ。
みるひとが消えた>>続きを読む
ジャン=リュック・ゴダール監督『カラビニエ』(1963)
戦争など存在しない。
人が倒れて街が壊れることのみ。
"戦争"の空虚さを寓話的世界にものの見事に描いた作品。これでもかというぐらいグッとく>>続きを読む
クリス・マルケル監督『笑う猫事件』(2004)
宗教的束縛からの解放をうたうような
「ムッシュ・シャ」のグラフィティ
そこかしこに
景観を猫によって象るまなざし👀
或いは、貼りつける
講義のために>>続きを読む
クリス・マルケル監督『不思議なクミコ』(1965)
私とは誰かについて考える日本人の面々ー
オリンピックや祭り、武道といった祝祭性に閃くー
日本人である/日本人でない
どちらも内包したようなクミコ>>続きを読む
新藤兼人監督『悪党』(1965)
多勢に無勢、それでも悪き権力によっては決して奪われなかった魂。
説明的な長台詞が多用されるが、
役者の迫真性によって最もらしいリアリズムをうんでいる。
やはり映>>続きを読む