ダニエル・ユイレ監督
ジャン=マリー・ストローブ監督
『アン・ラシャシャン』(1982)
教育に反旗を翻す少年よー
芝居の"劇化"がみられる。
=小さな仕草をみせる仕草とすること。
ショートフィ>>続きを読む
マルグリット・デュラス監督『セザレ』(1978)
不動のモンタージュー
つくられた彫像、つくられている彫像。
生き物としての人の動線が一切動かない彫像の空間を揺るがせている。
Césare (>>続きを読む
早川千絵監督『ルノワール』(2025)
ユーロスペースにて鑑賞。
死ぬことも生きることと変わりのない日常の営みのひとつの仕草に過ぎないはずでー
大人になればなるほど、色んなことを知り、事態に"意>>続きを読む
D・W・グリフィス監督『ニューヨーク・ハット』(1912)
元祖、ゴシップ譚。
帽子をもらって喜ぶ姿が愛らしい。
サイレントなのに、
かなりの台詞量があった。
"The New York Ha>>続きを読む
D・W・グリフィス監督『The Musketeers of Pig Alley』(1912)
元祖ギャングフィルムー
映画には欠かせない"路地裏"がとらえられていた。
内側と外側に差異のないカメ>>続きを読む
D・W・グリフィス監督『小麦の買占め』(1909)
元祖貧富の差ドラマー
小麦を買えなかった労働者の哀愁がすごい…
ドラマとはいえ、
豊かさにも貧しさにも肩入れしていない端正なショットで冷静に見>>続きを読む
D・W・グリフィス監督『封印された部屋』(1909)
元祖浮気現場目撃ドラマー
秘密を秘密のままに閉じ込めてしまうという、
残酷な結末をむかえる。
"封印"の仕方が、強制収容所を想起させる。>>続きを読む
D・W・グリフィス監督『The Lonely Villa』(1909)
元祖救出劇ー
フレームの"脱中心化"とはグリフィスの初期作品群のことを言うのではないか?
カメラも芝居も中心を持たず、>>続きを読む
藤田敏八監督『八月の濡れた砂』(1971)
抑え切れぬ若者の欲動と破滅ー
うだつのあがらない男たちの太陽光に虚しく照らされ肉体が美しくもある。
ラストシーンの銃を構えた女性の諦めと反逆の間で揺れ>>続きを読む
サッシャ・ギトリ監督『とらんぷ譚』(1936)
悲劇も恋愛も詐欺も改心も"とらんぷ"をめくるような軽やかなギャンブルのようにー
ひとつひとつのシークエンスが、
コメディの様相を呈しながら人生のアッ>>続きを読む
D・W・グリフィス監督『イントレランス』(1916)
"不寛容"を告発し、新世界へー
映画の文法があらゆるシーンに詰まっている。
大量のエキストラを「気球」から映しているショットは凄まじくスペクタ>>続きを読む
D・W・グリフィス監督『The Golden Louis』(1909)
忘れられた少女ー
倒れた少女に画面は残り続け、
観客だけがそれを知っている。
盛り上がる人たちとは裏腹にひとつの悲劇を見せ>>続きを読む
ジャン・グレミヨン監督『迷宮の女』(1951)
シネマヴェーラ渋谷にて鑑賞。
愛の所在を失ってなお愛し彷徨う空白の軌跡ー
生涯ベストいくつかに食い込んできました。
言及することが無駄なくらい"完>>続きを読む
ジャン・グレミヨン監督『ある女の愛』(1953)
シネマヴェーラ渋谷にて鑑賞。
天職の全うと恋の成就が共存できない世界線を生き抜くー
子供たちが羊を守るために恩師の葬儀に出席できなかったことに怒>>続きを読む
ジャン・グレミヨン監督『混血児ダイナ』(1932)
シネマヴェーラ渋谷にて鑑賞。
魅惑から墜落へ、緩やかな舞いのようにー
船の和やかな音楽が通底する中で、起こる悲劇とサスペンスが心地良くすらある>>続きを読む
D・Wグリフィス監督『The Curtain Pall』(1909)
"部分"が全体を突き抜けてー
「カーテン・ポール」という些細な物がきっかけで大事件へと発展していく。
元祖ドタバタコメディ。>>続きを読む
D・Wグリフィス監督『迷惑帽子/これらの嫌な帽子』(1909)
迷惑撤廃がリズムになってー
迷惑な帽子を被ってくる客を排除しようとするだけという小さなテーマをコメディ映画として成立させてしまう。>>続きを読む
手嶋悠貴監督『映画:フィッシュマンズ』(2021)
売れることも目指した。自分の好きなものを貫ぬいた。その先の静けさでー
佐藤伸治がつくったもの、のこしたもののすべて。
佐藤氏の"不在"が物語る>>続きを読む
ケン・ラッセル監督『フレンチ・ドレッシング』(1964)
広告されるものからの脱出劇!
街をプロモーションするために外面だけを整えても内側から崩壊していく珠玉のコメディ。
人間が剥き出しになって>>続きを読む
コラリー・ファルジャ監督『サブスタンス』(2024)
ヒューマントラストシネマ渋谷にて鑑賞。
欲望される身体(しんたい)の大逆襲ーそして、逆転へ
映画館から出て、
「なんという映画を観てしまった>>続きを読む
小幡宙生監督『GATYA ガチャ』(2022)
第95回 #TOKYO月イチ映画祭にて鑑賞。
"誕生"というディストピアについてー
悪夢のようなイメージの連鎖に逃れられないアポカリプスの予感。>>続きを読む
松本佳樹監督『PERSONAL DISTANCE』(2020)
第95回 #TOKYO月イチ映画祭にて鑑賞。
遠隔の青春に恋ー
人とフィジカルな距離を保つことが普遍的になった世界でも、人は無意識>>続きを読む
坂田敦哉監督『銀河健康センター』(2024)
第95回 #TOKYO月イチ映画祭にて鑑賞。
「サウナ」というオアシスのためにー
"サウナ"というテーマ性でここまでの物語の飛躍や、作り込み(特に美>>続きを読む
田中聡監督『自転車にのって』(2023)
第95回 #TOKYO月イチ映画祭にて鑑賞。
ひとりの人間として自立することー
今井慶さんの爆発的な哀愁的魅力。
人の"みっともなさ"が美しく思えてく>>続きを読む
李相日監督『国宝』(2025)
TOHOシネマズ 渋谷にて鑑賞。
血筋も善悪も超越した究極の個人としての"役者"ー
ふと『さらば、わが愛/覇王別姫』を思い出しながら観た。伝統芸能の"型"にはは>>続きを読む
ペドロ・コスタ監督『溶岩の家 4Kレストア版』(1994)
ユーロスペースにて鑑賞。
逃れられない大地と死者の轟ー
顔面のの正面、或いはやや俯瞰で撮ったおそるべきショット群、そこをまるで地球の磁>>続きを読む
D・W・グリフィス監督『女の叫び』(1911)
究極の"クロスカッティング"
電信局、外、列車という3つの空間を交互に切り替えて劇的に展開。
シンプルな構成に、ロマンスやドラマ、サスペンス、コメ>>続きを読む
ジョン・ファブロー監督『アイアンマン』(2008)
人を救うための"兵器"ー
アメリカの軍事産業と密接に関連していた。
当時のある種の国威発揚のプロパガンダのようでもあり、
"戦争"への問いが立>>続きを読む