toroさんの映画レビュー・感想・評価

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妻は告白する(1961年製作の映画)

4.2

「情念」という決してスクリーンに映ることのない化物が、真鍋理一郎の仕事によって召喚されてしまう。

彼方からの手紙(2008年製作の映画)

4.8

「迷った?」

なんでもないような細部が、反復されるべき記憶をつくりだす。映画の時間は繰り返される。
過去・現在・未来が同一のショット(無限の合わせカメラ)におさまるとき、男の眼差しは観られていること
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この世界の片隅に(2016年製作の映画)

5.0

anima

アニメーションの「世界」はただ一本の線より始まるという法則が、『マイマイ新子』に引き続き確認される。
その手際は鮮やかで、やはり抜群に軽やかでもある。

この「世界」の「カメラ」が青空い
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甘い汗(1964年製作の映画)

4.0

京マチ子たちはサントリーのビールを浴びるように飲む。
公開前年、佐治敬三の英断によって復活したサントリーのビール。

無伴奏(2016年製作の映画)

3.3

アレクサンドル・ラザレフ指揮による読響のチャイコフスキーも、小野正嗣が訳したポール・ニザンも、あの時代には存在していなかったはずだ。

いとはん物語(1957年製作の映画)

4.6

「馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿!」

写真から入り込んだ夢幻の世界には「宇宙大戦争 夜曲」「埴生の宿」「一番星みつけた」が同時に存在している。
それらの音楽が京マチ子のもとを再び訪れるとき、既に鏡は白く汚れき
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怒りのキューバ(1964年製作の映画)

4.5

『雷蔵、雷蔵を語る』
のなかで、雷蔵による言及が!

次ページには『東京オリンピック』の名前も出てくる。この二本立てか。あるいは『新しき土』か。

あるみち(2015年製作の映画)

4.5

「手持ちカメラ、まずそれだけで十分に演出である」

「自分探しはくだらない」という、その一節そのものがもはやくだらないものになってしまっている警句は、ただ映画づくりにおける警句として発されたときにのみ
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安城家の舞踏會(1947年製作の映画)

4.2

「明るい音楽をやってくれ!
いや、悲しいのがいいな」

白雪先生と子供たち(1950年製作の映画)

4.1

「先生、やめないで」

少年の失望と共に池へと沈み、のちに大いなる感動を伴って浮上してくるひとつの顕微鏡。
世界への眼差しの類まれな隠喩。

ラヴ・ストリームス(1983年製作の映画)

4.1

家屋に浸入してくる動物を「馬」、少年が咥える物体を「煙草」と見てとるような態度で、この映画の‘love’を「愛」と置き換えてしまっていいものか。
異国で言葉を見失いかけるジーナ・ローランズのように、あ
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ひそひそ星(2015年製作の映画)

3.8

整音する機械

詩や芸術やSFやタルコフスキーや園子温といった言葉に「……的」という接尾語を付け加えて、何かを言ったつもりになったのでは、もったいない。
ただ耳を澄ませればいい。

白雪姫(1937年製作の映画)

4.8

全映像が楽器になるオペラ。
ゲネラルパウゼとしてのハゲタカの滑空!

フェイシズ(1968年製作の映画)

4.0

シマウマの尻

クロースアップされた顔にも動きはある。
最も人間に近づくショットの過去の時間、現在の時間を面白く観る。

たとえば

階段の上でジョン・マーリーを責め立てるリン・カーリーの顔。
直前に
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天国と地獄(1963年製作の映画)

4.1

「あいにく、花を買いに行くようなツラはひとりもいません!」

日本のある時代、抜群の面構えを持つ男たちが確かにいた。
その中でただひとり赤いカーネーションが似合う、山崎努の身の震えに泣く。

女の中にいる他人(1966年製作の映画)

3.6

「あなたがタバコを忘れるなんて」

偶然テレビで絞殺シーンを目にしてしまう長岡輝子は、「色目と近眼」の区別ぐらい、と冗談めかしたのちに、小林桂樹からタバコに火をもらう若林映子の目つきを思い出す。
見る
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山の音(1954年製作の映画)

3.8

われ遂に富士に登らず老いにけり

十朱久雄が「子供」の面だと言って渡す能面を杉葉子が顔にかけるとき、斎藤一郎によるきらめくピアノの音がスクリーンにかぶさる。
その響きは、自転車を走らせる原節子が一輪の
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