ukigumo09さんの映画レビュー・感想・評価

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クロード・ベリ ~パパと僕の映画~(1971年製作の映画)

3.7

1970年のクロード・ベリ監督作品。監督だけでなく、プロデューサーとしても活躍し、フランス映画界のゴッドファーザーとまで言われるようになった彼だが、若いころは役者を目指していた。彼の父はパリの10区で>>続きを読む

5時から7時までのクレオ(1961年製作の映画)

3.9

1962年のアニエス・ヴァルダ監督作品。絵画や写真を学び、写真家として活躍していた彼女が映画を作り出すのは1955年の『ラ・ポワント・クールト』からである。映画を専門的に学ぶことや助監督など現場の経験>>続きを読む

Y a-t-il un Français dans la salle?(原題)(1982年製作の映画)

3.6

1982年のジャン=ピエール・モッキー監督作品。彼は子供の頃マルセル・カルネ監督『悪魔が夜来る(1942)』にエキストラとして出演して映画と関わりを持ってから1959年に『今晩おひま?』長編監督デビュ>>続きを読む

Paris Is Always Paris(英題)(1951年製作の映画)

3.9

1951年のルチアーノ・エンメル監督作品。イタリア人の彼は1940年代にドキュメンタリー作品でデビューする。アートドキュメンタリーを得意とし、生涯通しても劇映画よりドキュメンタリーの方が多いのが彼の特>>続きを読む

ラプト(原題)(2009年製作の映画)

3.7

2009年のリュカ・ベルヴォー監督作品。ベルギー出身の彼は80年代に俳優としてデビューする。クロード・ゴレッタ監督『マリオ・リッチの死(1983)』やクロード・シャブロル監督『意地悪刑事(1985)』>>続きを読む

マリウス(1931年製作の映画)

4.0

1931年のアレクサンダー・コルダ監督作品。コルダは映画史的にはエルンスト・ルビッチ監督『生きるべきか死ぬべきか(1942)』やキャロル・リード監督『第三の男』などのプロデューサーとして有名だろう。ハ>>続きを読む

ロシュフォールの恋人たち(1966年製作の映画)

4.0

1967年のジャック・ドゥミ監督作品。彼の父親は整備士で息子にも仕事を継いでほしいと思っていたが、幼い頃から家族で観劇や映画鑑賞に頻繁に出かけていたことから、ジャック・ドゥミは物語を作ることに興味を持>>続きを読む

アデュー・フィリピーヌ 2Kレストア(1962年製作の映画)

4.0

1962年のジャック・ロジエ監督作品。彼はIDHEC(高等映画学院)卒業し、ジャン・ルノワール監督『フレンチ・カンカン(1954)』にインターンとして参加する。その後テレビ局でアシスタントとして働き、>>続きを読む

Chicken with Vinegar(英題)(1985年製作の映画)

3.6

1985年のクロード・シャブロル監督作品。彼は映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」で批評家としてジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォー、エリック・ロメール等と批評家として活躍し、その後映画を>>続きを読む

Papa the Little Boats(英題)(1971年製作の映画)

3.8

1971年のネリー・カプラン監督作品。彼女の両親がポグロムから逃れてアルゼンチンに移住したことから、彼女はブエノスアイレス出身である。報道機関の特派員としてフランスに渡る際、常連だったシネマテカ・アル>>続きを読む

危険がいっぱい(1964年製作の映画)

3.6

1964年のルネ・クレマン監督作品。クレマンはかつて国立美術学校で建築を学ぶも、映画に惹かれ監督を目指すようになる。1936年にはジャック・タチと協力して短編コメディ作品『左側に気をつけろ』を撮り注目>>続きを読む

赤ちゃんに乾杯!(1985年製作の映画)

3.4

1985年のコリーヌ・セロー監督作品。作家のジュヌヴィエーヴ・セローと舞台演出家、映画監督のジャン=マリー・セローの娘である彼女は文学や音楽を学び、アニー・フラッテリーニのサーカス学校で空中ブランコな>>続きを読む

フランスでの思い出(1974年製作の映画)

3.6

1975年のアンドレ・テシネ監督作品。IDHEC(高等映画学院)卒業後、「カイエ・デュ・シネマ」誌で3年間映画批評家として働いていた彼は1969年に『去り行くポリーナ』という作品を監督しヴェネチア国際>>続きを読む

婚礼(2016年製作の映画)

3.5

2016年のステファン・ストレケール監督作品。映画評論家や写真家として活動していた彼は後に映画監督となるのだが、彼の場合スポーツへの情熱も並外れていて、サッカーやボクシングのスポーツライターをしていた>>続きを読む

The Uninvited(英題)(1969年製作の映画)

3.4

1969年のヴィットリオ・デ・セータ監督作品。イタリアのシチリア島パレルモで貴族の家に生まれた彼は建築家になるためにローマで勉強していたが、イタリアに撮影に来ていたジャン=ポール・ル・シャノワ監督『L>>続きを読む

ディアスキン 鹿革の殺人鬼(2019年製作の映画)

3.7

2019年のカンタン・デュピュー監督作品。彼は映画監督として有名になる前にミュージシャンロして成功している。1999年にハウスミュージックの『Flat Beat』を手掛け300万枚以上の大ヒットを飛ば>>続きを読む

野獣死すべし(1969年製作の映画)

4.0

1969年のクロード・シャブロル監督作。彼は映画監督になる前はジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、エリック・ロメール、ジャック・リヴェット等と同様に、映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」>>続きを読む

たそがれの女心(1953年製作の映画)

4.3

1953年のマックス・オフュルス監督作品。ドイツに生まれたオフュルス監督はフランスに移り、ナチス占領下のフランスを逃れてハリウッドへ、その後フランスへ帰国し、1957年に54歳で心臓病により亡くなるま>>続きを読む

快楽(1952年製作の映画)

4.2

1952年のマックス・オフュルス監督作品。オフュルスというのはユダヤ人であるのを隠すために用いた偽名で、ドイツ出身の彼の本名はマクシミリアン・オッペンハイマーである。ドイツで監督デビューした彼は、ナチ>>続きを読む

歴史は女で作られる(1956年製作の映画)

4.1

1955年のマックス・オフュルス監督作品。ドイツで生まれた彼は舞台俳優から舞台演出家を経験した後、映画監督として1930年代にデビューする。ユダヤ系であった彼はナチスの迫害を逃れるために、『恋愛三昧(>>続きを読む

輪舞(1950年製作の映画)

4.0

1950年のマックス・オフュルス監督作品。1902年ドイツ生まれの彼は10代の頃から舞台俳優として活動を始め、後に舞台演出家になる。ドルトムント市立劇場の初代監督になり、1926年にはウィーンのブルク>>続きを読む

Arthur Rambo(原題)(2021年製作の映画)

3.1

2021年のローラン・カンテ監督作品。1999年に工場の労働者と管理職の軋轢についての物語『ヒューマン・リソース』で長編デビューした彼は、続く『タイム・アウト』でも一流コンサルティング会社を解雇された>>続きを読む

La grande lessive (!) (原題)(1968年製作の映画)

3.5

1968年のジャン=ピエール・モッキー監督作品。『Un drôle de paroissien(1963)』『言い知れぬ恐怖の町(1964)』に続くモッキーと大人気コメディアンのブールヴィルのコンビ3>>続きを読む

言い知れぬ恐怖の町(1964年製作の映画)

3.7

1964年のジャン=ピエール・モッキー監督作品。『今晩おひま?(1959)』で長編監督デビューしたのだが、利益配分をめぐってプロデューサーと意見の相違が生まれた経験から1960年に自身の制作会社バルザ>>続きを読む

赤いトキ(1975年製作の映画)

3.7

1975年のジャン=ピエール・モッキー監督作品。彼の本名はジャン=ポール・アダム・モキイェフスキというのだが、フランス国立高等演劇学校に入学してジャン=ポール・ベルモンドに出会い、親しくなり彼と名前を>>続きを読む

Bonsoir(原題)(1994年製作の映画)

3.5

1994年のジャン=ピエール・モッキー監督作品。1959年に『今晩おひま?』で監督デビューした彼は2019年に亡くなる直前まで仕事をしており、『Tous flics!』は死後編集され2022年にお披露>>続きを読む

だれも私を愛さない!(1994年製作の映画)

3.4

1993年のマリオン・ヴェルヌー監督作品。セットデコレーターの父とキャスティングディレクターの母を持つ映画家族に生まれたこともあり、幼い頃から映画スタジオに通い、ベルナール・ブリエ、アンリ・ヴィルヌイ>>続きを読む

明日は引っ越し(2004年製作の映画)

3.5

2004年のシャンタル・アケルマン監督作品。近年のアケルマン監督の再評価により数多くの作品が劇場で特集上映されているが、本作はそういったラインナップには入っておらず、日本ではなかなか観る機会の少ない作>>続きを読む

カウチ・イン・ニューヨーク(1996年製作の映画)

3.4

1996年のシャンタル・アケルマン監督作品。彼女は15歳の時に観たジャン=リュック・ゴダール監督の『気狂いピエロ(1965)』がきっかけで映画の道を志すようになる。1968年には初短編『街をぶっとばせ>>続きを読む

ドン・ジュアン(2022年製作の映画)

3.7

2022年のセルジュ・ボゾン監督作品。彼は1998年に『友情』という作品で長編監督デビューする前は映画評論家として活動していた。特にアメリカの古典作品への造詣が深く、オール・ウォルシュ、オットー・プレ>>続きを読む

トラララ(2021年製作の映画)

3.7

2021年のアルノー・ラリユー、ジャン=マリー・ラリユー監督作品。彼らは兄弟であり巷ではラリユー兄弟として親しまれている。山岳映画を撮っていた祖父の影響で幼いころから映画に触れており、自分たちも撮りた>>続きを読む

無秩序な少女(1989年製作の映画)

3.6

1989年のヤニック・ベロン監督作品。彼女の長編デビュー作『誰か、どこかで(1972)』は変わりゆくパリの街並みの中に自伝的要素(夫の死)を交えて描いた、人々の孤独をテーマにした作品であった。この作品>>続きを読む

白い足(1949年製作の映画)

3.8

1949年のジャン・グレミヨン監督作品。グレミヨンという映画作家を形容する際にしばしば「呪われた」という言葉が用いられる。彼の作品がロケーションを多用した独自の美的感覚を持っていながら興行的に恵まれな>>続きを読む

黒い書類(1955年製作の映画)

3.4

1955年のアンドレ・カイヤット監督作品。彼はマルク・アレグレ監督『俳優入門(1938)』やジャン・グレミヨン監督『曳き船(1941)』の脚本で映画業界に進出する前は弁護士であったという異色の経歴の持>>続きを読む

ラインの仮橋(1960年製作の映画)

3.5

1960年のアンドレ・カイヤット監督作品。彼にとって本作は『裁きは終りぬ(1950)』に続いて2度目のヴェネチア国際映画祭での金獅子賞受賞作品となった。弁護士の経験を持つ彼は1950年代に『裁きは終り>>続きを読む

メナース(1977年製作の映画)

3.8

1977年のアラン・コルノー監督作品。獣医の父の影響で小さいころから映画館に入り浸っていた彼は、後にジャズも興味を持つようになり独学でドラムを演奏するようになる。進路について彼は映画の道を選択し,高等>>続きを読む