とても意義深い企画。アジアの映画は、いまだ上映される機会が少ない。エドワード・ヤンとヤスミン・アフマドが大きく注目を浴びる2017年は、日本における、アジア映画との接点を増やすターニングポイントとなっ>>続きを読む
西遊記の三蔵法師の旅だが、ファンタジー要素はない。荒れ狂う自然の厳しさ、砂漠の渇きに苦しむときに現れる池の癒し、西の旅路で遭遇する王様の業の深さに、馴染みの登場人物たちの面影を垣間見る。
2012年東京国際映画祭上映。
なんだか良い気分になり、静まる都会の夜を散歩した。
ヘヴィーメタルとキリスト教の悪魔信仰はどうして相性抜群なんだろう。
前半部の抑制されたリアリズムと、後半部のクラシックなラブストーリーが、見事な対比をなす。映画館を愛した男に、老い先短い映画館が織りなす魔法。南米大陸では、未だにファンタジーが生きている。
人の流れはいつの時代も無常だ。「阿賀に生きる」と比べ、沈黙と不在が強調され、まるで阿賀の人々への鎮魂歌を捧げているようにも捉えられる。
誰も映らない囲炉裏、夕食を共にした家族はもういない。囲炉裏の薪が>>続きを読む
かつて、阿賀野川を吹く風に方角ごとの名前があり、船人は風を恐れて営んだ。農民は遠い昔からある畑を耕し生計を立てる。
仕事といえば手と身体を使うしかなく、ここに映る人々は誰もが職人の手をしていた。新潟水>>続きを読む
4年ごとに行われる村の男たちの通過儀礼。輪となり踊り歌いながら酒を何杯も飲まされ、年長者から村を背負って立つ男に相応しいと認めてもらう。力強く踊る村人たちの姿は勇ましい。時代が変わるにつれて、次第に観>>続きを読む
台湾先住民の長老は民族の言葉と日本語を話す。長老の孫たちは中国語を話し、長老の話す言葉がわからない。この断絶の意味はとても大きい。
竹占い、狩猟採集など先住民族が、どういう生活を営んでいたのか長老の暮>>続きを読む
生まれ持ったアルビノ(先天性白皮症)によって、自分がアメリカ人であると信じるフィリピン人。郷愁と憧憬の思いを、英語とタガログ語の辞書から、単語を言葉にすることで一つになろうと願う。
監督本人がカメラを持ち、自身の恋愛感情や、心に巣くう痛みをさらけ出す。海外の監督でここまでプライベートに踏み込んだものは珍しい。
細分化された映像を用いたアナロジーは、映画を評論する上で、なによりも相応しいように思う。
抗いがたい時代のうねり、民衆の凄まじい熱気。サルバドール・アジェンデ大統領、こんな繊細な表情をした政治家を私は知らない。このドキュメンタリーを観た後、グスマン監督の近作「真珠のボタン」、「光のノスタル>>続きを読む
閉塞感漂う生活と、美しい描写と美しい姉妹、このギャップが効いている。アカデミー賞のフランス代表であるところも、現代のトルコにおける問題なのだという認識を強めている。
「ミリキタニの猫」で、ミリキタニ氏のブレない芯の強さには感銘を受ける。荒唐無稽に聞こえようが、どこまでも言葉に嘘がない。そして日本画家としての力量も尋常でないものであることが、昔の作風を観てよくわかる>>続きを読む
海外に住む日本人は、日本人的な感覚は日本を出た時点で止まる。ミリキタニ氏は、まるで戦前の日本人観を現代に写すようで、言ってみればタイムスリップした日本人のようにも見える。
アメリカで戦前戦後から現代ま>>続きを読む
「シン・ゴジラ」は昨年の東京国際映画祭でワールドプレミアしてほしかった。もし上映していたら、どんな反響があっただろうか。日本だけでなく世界でこの映画が、どう観られるのか興味深い。
娯楽大作としても内容>>続きを読む
暖かな色調に映えるイレーネ・ジャコブ。その裸体は画家森本草介の写実的な美人画を連想させる。ドッペルゲンガー的なインスピレーション。人形遣いの狂気と隣り合わせの愛。キシェロフスキ監督の作品のなかでも文学>>続きを読む
フランスの国旗を模したトリコロール3部作。それでも、敢えてポーランドを撮るキシェロフスキ監督の心境は如何に。ユーモアと一途な愛のコメディ。ポーランドの雪景色とは対照的な熱を帯びている。
画面を取り巻く赤い色に、イレーネ・ジャコブの美貌が映える。冷めた視点を忘れぬキシェロフスキ監督の赤は、凍結された薔薇のよう。
一つの選択で未来は変わっていたかもしれない、という願望は誰にでもある。政治的に袋小路に陥ったポーランドが、平穏でありたかった人生を振り回す。
キシェロフスキ監督のポーランド時代の秀作。閑静な田舎の森林地帯が、開発事業で一挙に変革していく様のダイナミズム。ミクロな視点からマクロな視点まで、描き方の視野が広い。
韓国の新星チャン・ゴンジェ監督。映画に流れる空気感がたまらない。異国の日本を映す情景は、旅を好んだ長田弘の詩と繋がる。東京国際映画祭で上映された掌編「眠れぬ夜」も、ぜひ再上映をしてほしい。
夜の野鳥の鳴き声や虫の音から、明け方の演奏へ舞台を譲るとき、あたりは沈黙に包まれるという。そのわずかな時間を聴こうと彼女たちは暗がりの野原で耳を澄ます。
この場面には、自然音に対するエリック・ロメール>>続きを読む
日本の青春映画らしくない、ほんのりとした色気が香る。日活ロマンポルノの映画監督ならではの味つけ。真夏の江の島と太陽のまぶしさ、夜の浜辺のダンスホール。背伸びしたい年頃の少女が触れる大人の世界。
フランス映画が面白くなってきたのは、年を重ねてきたからか。ジャン・ルノワール監督の恋物語はビターな味わいがする。ドラマがあってこそ感動もひとしおなクライマックス。色彩あふれる躍動感。
エリック・ロメール監督の映画には、素のフランス人が映っている。バカンス前で周りの人の目を気にしない、その感じがいい。だからこそ「緑の光線」では、いっそう孤独感が映えわたる。賑わう浜辺で迫りくる寂しさ。>>続きを読む
「友達の恋人」が陽だまりなら、「満月の夜」は暗い影のよう。映画の抑制された色調を支配するパスカル・オジエの月光。満たされず揺れ動く女心が悩ましい。
眠れず深夜のカフェに入るパスカル・オジエ。そこで絵本>>続きを読む
初夏の空気に包まれて、胸が高鳴る男と女の語らい。ラブストーリーはこうでありたい。公園の木漏れ日の中で語り合う男女、この美しい場面は、ジャン・ルノワール監督の「ピクニック」を思い起こす。そして、画家のオ>>続きを読む
ノイズ混じりの音楽が虚構的世界を表現しているかのようだ。インターネットが発達し、ARもVRも発達しすぎた現代において、恐ろしいことに、SFよりもリアリズムに近い感覚を味わう。
市川崑監督は、どうしてこの映画をセルフリメイクしたのだろう。戦争の悲惨さを描きながらも、印象としては、十分の出来とは言えない。迫真性があればなんでもいいとは言わない。けれども、俳優から滲み出る内面の余>>続きを読む