執事は主人に忠実でいなければならない。主人の眼と耳となり、周囲に気を配らなければならない。一方で、自分の本心を押し殺さなければならない。
主人公スティーヴンスはこれらの原則に見事に合致している。>>続きを読む
映画の冒頭で<Undercurrent>の意味が字幕で表れる。それによると、下層の水流、底流と(表面の思想や感情と矛盾する)暗流のことを指している。映画は後者に近い。
亡き父から実家の銭湯「月乃>>続きを読む
スピルバーグの自伝的映画である。スピルバーグの集大成という意見もある。だが、本当にそれだけだろうか。
主人公のサミー・フェイブルマンはエンジニアの父とピアニストの母を親に持つユダヤ系移民の長男だ>>続きを読む
メタフィクションとはリアルな世界とフィクションの世界をの境界を曖昧にする手法である。ジャファル・パナヒは2010年にイラン政府から映画製作を禁止された時からこの手法を用いてきた。
パナヒ監督は偽>>続きを読む
恐怖と無力感が強い映画だった。デマによる恐怖とその恐怖に侵食される人々が虐殺を行い、取り返しのつかない事態に陥っていく。観客はただ固唾を呑んで見守るしかない。
時代は1923年、澤田は妻の静子を>>続きを読む
イラン北西部の国境地帯をレンタカーで目指す4人の家族と1匹の犬。父親は足を骨折してギプスをしている。母親はラジオから流れる昔の歌謡曲を聴いている。次男はやんちゃで周囲を困らせる。長男は黙々と運転して>>続きを読む
コアなファンには受けるかもしれないが、それ以外の人には酷かもしれない。また、観客を置き去りにしている様にも見える。『アステロイド・シティ』を観た私の印象だ。
時代は1955年、アメリカ南西部に位>>続きを読む
全てが完璧で夢のような毎日が続くバービーランド。人工的でピンクに彩られた世界では重要な役職は全て女性で占められている。
そんなある日、マーゴット・ロビー扮する普通体型のバービーの身体に異変が生じ>>続きを読む
ボーイ・ミーツ・ガールにホラー要素を足し合わせたような映画だった。暗い青春映画とも言うべきだろうか。
14歳を迎えようとしている少年バスティアンは両親や幼い弟と共にフランスからカナダ・ケベック州>>続きを読む
ロードムービーに即興撮影は付き物だ。決まったシナリオは無く、実際に旅をしながら撮影する手法だ。『雨の中の女』や『イージー・ライダー』がこれに該当する。ヴィム・ヴェンダースの『さすらい』もそうだ。>>続きを読む
北への旅路となると、『幸福の黄色いハンカチ』を想起させる。だが、今作はあの映画のように快活ではない。暗くどこまでも孤独だ。
主人公の陽子は夢を追って上京したが挫折し、42歳でフリーター生活を送る>>続きを読む
ルイ・マル監督の『鬼火』を現代のノルウェーに置き換えた作品だ。場所と時代は違えど主人公の設定は同じだ。30歳を過ぎ、何者にもなれず、自殺願望の強い男。尤も、『鬼火』の方はニヒリズムだが、本作はナイー>>続きを読む
舞台はフランス北部にある町、サントメール。若き女性作家ラマは次回作の取材の為、ある裁判を傍聴する。被告は生後15ヶ月の娘を置き去りにし、殺人罪に問われたロランスという女性だ。
ロランスはセネガル>>続きを読む
モダンな映画だと思った。一方で、悪夢のような出来事の数々が観客を困惑させるとも感じた。
殺し屋がランキングされ、全ての殺し屋がNo.1の座を狙って凌ぎを削る世界。この設定だけでまずおかしい。宍戸>>続きを読む
是枝監督の『怪物』と同じ匂いを感じた。但し、『怪物』と比較すると大人の醜悪さは無く、今作の方はより繊細だ。
花農家の息子レオと幼馴染のレミは親友であり家族のような間柄だ。昼は花畑や田園を駆け回り>>続きを読む
野球映画ではあるが、試合のシーンは殆ど出てこない。主役は選手たちではない。主人公はビリー・ビーンというGM(ゼネラル・マネジャー)だ。
ビリーはかつてニューヨーク・メッツの新人選手として期待され>>続きを読む
ソ連製作のSF映画と謳われているが、どちらかというと哲学の側面が強い。キューブリックの『2001年宇宙の旅』と比較されるが、監督のタルコフスキーは否定する。人工的な感じがする『2001年』に対し、今>>続きを読む
一度は栄華を極めた者が、様々なことが積み重なり、転落していく。マーティン・スコセッシの映画に出てくる登場人物たちはこうした結末を迎えることが多い。今作の『カジノ』も例外ではない。
時代はマフィア>>続きを読む