浮浪者さんの映画レビュー・感想・評価 - 11ページ目

浮浪者

浮浪者

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アンダー・ユア・ベッド(2019年製作の映画)

3.5

最弱かつ陰湿を極めたヒーローが可能であることを知らしめた快作。

宮本から君へ(2019年製作の映画)

3.6

予告で見限っていた己を恥じかける。池松壮亮の起死回生、蒼井優の安定飛行には演じることを内包した生命の過剰がある。賛否を超えたところでの深い共感の動因として。

凪待ち(2019年製作の映画)

3.5

いちどでも賭事に快楽をえたものは、未来を見たものに生まれ変わってしまう。幻覚とおぼしき確定された未来への投機が、己の人生へと溶け込んでいく瞬間の実在を映しとる。

悶絶!!どんでん返し(1977年製作の映画)

3.6

おのれの中に潜み隠れた「性」の規範が凝りのようにほぐれていく。それはほぐす必要もない骨のような凝りだったかもしれぬものの、ほぐれが生み出す愉快なる笑いにより得られることは確かにある。

コロンバス(2017年製作の映画)

3.5

物をとるときの無心さで人をとることが叶うならば

スウィング・キッズ(2018年製作の映画)

3.6

衆生を一挙に救いあげようとする大乗の試みは、危うさと恐ろしさを孕むものの。情念に形を与えた、切なさの歴史学を祝いたい。

ジョン・F・ドノヴァンの死と生(2018年製作の映画)

3.3

あなたはあなた方になってしまった。

あなたのスタイルを、わたしが理解することなどあり得ないのと同じように、あなたもまた、あなた方のスタイルを理解できていないのだ。

あなた方があなたに再生するか、あ
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二重のまち/交代地のうたを編む(2019年製作の映画)

3.5

とんでもない下手物を見ているという始まりから、比類なき上手物を見ているところまでの駆け昇り方が、あまりに冷静かつ丹念な道行。「女坂」のように労りをもった意識の共有でありました。

DUMB TYPE 高谷史郎 自然とテクノロジーのはざま(2018年製作の映画)

3.2

某サブスクなどで無料公開されていても後悔するクオリティー。一切の深みを求めず表層を彷徨うのみ。長谷川裕子の疑似左翼ぶりのみが光り輝く。

ナショナル・シアター・ライヴ 2020 「リーマン・トリロジー」(2019年製作の映画)

3.4

リーマン破綻を描くためには「リーマン」だけでは役不足であることによって、一企業の無力さが露呈している(逆に言えば、第二次大戦から現代までの作品における描写はほぼ無力な営みといってよい)。

音楽が第四
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オープニング・ナイト(1978年製作の映画)

3.5

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)ではなく、オールドウーマン あるいは(降霊がもたらす予期せぬ回春)

こわれゆく女(1974年製作の映画)

3.6

果たして影響下とは何か。我々は何の下地にさせられているのか?神か仏か、言語か飯か。身の毛もよだつような「蓋」に覆われた自我であることに迷い続ける(狂い続ける)ことだけでしか、確かめられない関係性という>>続きを読む

クリーピー 偽りの隣人(2016年製作の映画)

3.5

真実の隣人と翻案してもよいほどに「彼」だけがまともな人間だったと、思い返してしまうほどに。

ドッグマン(2018年製作の映画)

3.5

苦い銭を振り払い甘い銭の魅惑に一度呑み込まれたものは「畜生道」を歩み続けなければならないのか、というある種の宗教問答映画。誰が最後まで「人」であり続けられたのか。犬畜生に成り下がった(あるいは成り上が>>続きを読む

火口のふたり(2019年製作の映画)

3.3

余計な能書き、賢しらな知識、反証性のない自説が現れ始めた途端にそれらは「騒音」として格別なほどに機能する。そのことによって余りにも脆弱な「下地」に支えられていたことに気づかされる。その脆弱さは偉大な編>>続きを読む

フェイシズ(1968年製作の映画)

3.6

「引きつりながら笑いつつあること」を笑い続けるために歳を重ねてきたのだろうか?そんなお行儀のよい逡巡は一瞬もはいる隙がないまま、手慣れた道化たちによる劇薬カーニバルが待っている。

アメリカの影(1959年製作の映画)

3.5

健康と倦怠が結びつく生命の過剰。身も心も連結感覚がないままに、行為と情動と生半可な理性が先立ちづつけるフライング・ライフ。

幸福(しあわせ)(1964年製作の映画)

3.6

妻は片腕で抱き、恋人をもう片腕で抱きとめられることを力説する物理的認識に基づいたポリアモリストに対し、愛は両腕(もろうで)をもってしか完遂できぬことを自明とするものが静かに崩壊し、結合していくB級ホラ>>続きを読む

5時から7時までのクレオ(1961年製作の映画)

3.4

浮き沈みのある平凡な時を特権的かつ決定的な時間としてうつしとっているわけではない。過去現在未来という不可分な時間に「時制」という魔物が侵入し「生きられた時間」を犯し続けることへの細やかなる抵抗の記録で>>続きを読む

岬の兄妹(2018年製作の映画)

3.6

天啓のようにピンクチラシが巻かれる時もあるだろうし、犯罪部族として生きる逡巡を抱かぬものがウンコをもらすことへ逡巡することもあるのだろう。

目を覆い隠すほどの色彩の強調も、演出の極みでしかない超現実
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山の焚火(1985年製作の映画)

3.7

自然や神話にひれ伏すこなく、厳格なまでの対等さで人間を撮りきっている。家族という摩訶不思議な偶然に支えられた同族にして異族を正確に喜びきる視線。

出張(1989年製作の映画)

3.4

出張するサラリーマンが異界へ侵入するマレビトになることなど全くもって有り得ない世界の中で、客人&祝祭を無理にでもねじ込んだ末にゴミ糞として崩壊する映画。見る必要性はないが、見てしまった偶然性で養われる>>続きを読む

ミッドサマー(2019年製作の映画)

3.6

「傑作」という言葉では足らない、現代映画の一つの到達点。映画とはここまで面白くなくてはならないのかと、一監督として途方に暮れた。 

と「パラサイト」に口寄せた濱口竜介のコメントが、そのまま当てはまり
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ベニスに死す(1971年製作の映画)

3.5

あまりにキルケゴール的な模範囚。よもや宗教的実存(第三段階/あれがわれ)に到達していたマーラーが、悪友論客により美的実存(第一段階/あれもこれも)に引きずり下ろされ、免疫不全に陥ったところを「美少年」>>続きを読む

有りがたうさん(1936年製作の映画)

3.5

ひたひたひたと死の匂いが立ち上がる独特の気配はなんだ。

1917 命をかけた伝令(2019年製作の映画)

3.4

気絶&暗転も含めて「ワンシーン」と言い切るなら、夢現を味方につけた立派な妄想でしたなぁ〜と相槌打てるけど、地球の事象など太陽系光画のワンシーンワンカットなのではという奇襲に対する塹壕は構築されていない>>続きを読む

テリー・ギリアムのドン・キホーテ(2018年製作の映画)

3.5

輪廻の動力は狂気のほかになく、狂気なしでは歴史もまた訪れないのだ、という奇妙な発見集。

風の電話(2020年製作の映画)

3.4

様々に周縁化されゆくものたちを不器用さをもって周到に配備しながら、私もまた、縁に追いやらてきたものとして偶然に定位されてゆく。

追悼が先立ち、鎮魂の重みにより主体的に泣くことも笑うことも許容されない
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僕はイエス様が嫌い(2019年製作の映画)

3.5

躊躇することや、素っ気なくしてしまうこと、はたまた、知らぬうちに祈ってしまうことのすべてが同じ一つの行為として総合されてしまう全能的時間が、子どもの時なのだとすれば、それは確かに掴み取られている。しか>>続きを読む

フリーソロ(2018年製作の映画)

3.4

危険を制圧しきる戦士が、魔性の女にほぼイチコロにされる様子を挿入してくる軽悲劇。

音楽(2019年製作の映画)

3.5

『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』を想起すると同時に、朴訥な不良が、常民としての民藝を担わされ、ありのままの表現こそ審美!というなし崩しのアール・ブリュット感はいなめない。

とはいえ
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