浮浪者さんの映画レビュー・感想・評価 - 13ページ目

浮浪者

浮浪者

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ボーダー 二つの世界(2018年製作の映画)

3.4

「臨界は経験可能だが、境界は経験可能ではない。」この文を一瞥して、あぁ〜、と思える俊敏さを持つ人に向く映画なのだろうなぁ。私の趣味ではない、この俊敏さにして性急さは「ジョーカー」と人知れず類似している>>続きを読む

真実(2019年製作の映画)

3.6

対話と呼ぶに値しない雑談には、軽妙に時間を味わい尽くす流れがある。生きるにつれ、忘却もまた長生きする。

蜜蜂と遠雷(2019年製作の映画)

3.4

「獺祭 純米大吟醸 磨き二割三分」に出会ったとき、まったく好みじゃないけど「労作」ってのはこういうものか!という奇天烈な感覚をおぼえたときと同系。

ジョーカー(2019年製作の映画)

3.4

『さかしらに僅かな不運を見せびらかすな、その腕切り落としてやろう』と合いの手を入れるエボシ(バットマン)がほぼ絶滅したことのクソわかりにくい告発。

オルエットの方へ(1970年製作の映画)

3.4

品性のかけらもないことが民衆なのだという、侮り。品性のかけらもないことが民衆なのだという、圧倒的事実。睥睨と事実のバッドマリアージュでしかない時間は、フィクショナル空間すらも、やらせドキュメンタリーへ>>続きを読む

メーヌ・オセアン(1985年製作の映画)

3.5

何にも増して秀逸な酒場(過剰なまでの同調と和解)に珍獣興行師が現れてから市民会館経てのパイロット夢砕きに至るあられもないドタバタ劇は群像劇未満で低空飛行する未熟な特攻隊でしかなく、ラストの汽水域ロング>>続きを読む

山谷 やられたらやり返せ(1986年製作の映画)

3.4

血塗られたフィルムに立ち会えた僥倖はありながら、モンタージュとミュージックラバーの婚姻がもたらした奇形的な映像が随所に現れる謎映画。『東京劇場―ガタリ、東京を行く』という奇書(浅田彰がガタリに一喝され>>続きを読む

アド・アストラ(2019年製作の映画)

3.4

ストーリーが0点ゆえに聴こえる歌がある点で、ヨハン・ヨハンソン「メッセージ」と重ね聴きできる、マックス・リヒター「アド・アストラ」と思うのがよい道筋か。ゲーテの耳とケージの耳。鉱物のふるえ菌類のおのの>>続きを読む

帰れない二人(2018年製作の映画)

3.4

「君だけは私を笑わなかった」は至言としても。渡世人の情念に寄り添いすぎるあまり最初にカモられる軟弱さへ堕落してしまった。

サタンタンゴ(1994年製作の映画)

3.5

サタンタンゴ墨絵巻。

既視感の押し寄せが過剰なまでに訪れる理由を創案する修行とおもいこんだ覚書。

それはほんとに坐禅的な時空で。面白いのは、臨済的な公案禅と曹洞的な黙照禅が地続きで行われること。
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ブルーノート・レコード ジャズを超えて(2018年製作の映画)

3.5

ウェインショーターのマイルス物真似に笑いつつ、ズージャーの海に浸るがよろし。

アス(2019年製作の映画)

3.6

スタートで百馬身差つけて、鼻差でゴールするような。

サスペリアとハウスジャクビルトと併せて、2019年「ほくそ笑み不穏三部作」になる可能性高し。

下水道としての無意識が、生活用水としての表層意識に
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アルキメデスの大戦(2019年製作の映画)

3.3

ほんとうの消滅を避けるために、生け贄は美しく殲滅されなければならない、として。父殺しの擬態として「母艦」を実想する神童と老国粋者のあまりにも幼い工学的な国家主義のカルテルを拝むために延々と算術コメディ>>続きを読む

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(2019年製作の映画)

3.5

「マカロニハリウッド」とそれに伴う並行世界創造の手際のよさはイングロで垣間見たとうりだが、ヘイトフルで考案したスクリーンの呪縛感覚をフィルムまで落とし込んだ末恐ろしさは感じられず。ラスト作へ向けた小休>>続きを読む

冬の光(1962年製作の映画)

3.5

幸せになることが面倒になりはじめるのが、老いの一形態なのだろうか。優しさが奈落へ突き落とすこともある。そして、そこでしか聞き取れない神(的なるもの)の沈黙もまたある。

野いちご(1957年製作の映画)

3.6

冷淡にして優しい。この振る舞いを身に宿して生きながらえてしまった人の時間は、豊かにして哀しい。

アートのお値段(2018年製作の映画)

3.5

メガギャラリーやアセマネ界隈の人があらわれないので、オークショニアとコレクターとアーティストの素朴な三項図式にみえなくもないが、策略仕事人の文脈がないことで、もう素朴ではありえないことを自ら知覚する手>>続きを読む

工作 黒金星と呼ばれた男(2018年製作の映画)

3.5

ホモファーベル(工作人)には愚かな装置と化した国家はいらない。コスモポリタンBLという新ジャンルの創設。

世界の涯ての鼓動(2017年製作の映画)

3.3

人体は流体にして液体なのだ。

義務教育まがいの当然さに今更ダイブする老い方は勇ましかったが、着水した途端に、陸へ上がってきったのは何だったのか。

概念の氾濫がまねいた緊張感の決壊、前戯のプロにして
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隣の影(2017年製作の映画)

3.4

不在を弔うか、不在を埋めるかが、人と畜生の分岐。

ムアラフ 改心(2007年製作の映画)

3.5

浮心を否定的媒介にして改心に至らせることの安易さを強調するか、安易さなど微塵もなかったと言い切れるかで様相が一変する。私は、ただただ浮心しかない、という別様の見方にくみしているが。

改心などただの一
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よこがお(2019年製作の映画)

3.6

光と音が触手と化して不気味なものの襞にふれる。

呼吸するすべての民が品定めされながら、裁きと許しを自己判断する必要に包まれるとき官能的な悪寒がもたらされる。

天気の子(2019年製作の映画)

3.4

「君に名を。」でした。運命を創造することは語義矛盾でないことにされてしまった。

地に埋もれ 風に飛ばされ 火に焼かれ 水に溺ることなく いま生きる君あり。天候(運命)になど左右されない、左右させるの
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霊的ボリシェヴィキ(2017年製作の映画)

3.5

並行世界と降臨感覚に清原惟『わたしたちの家』とグァダニーノ『サスペリア』を思い起こさせる混沌の愉快さあるも、唯物と心霊を等価にするために「死」を賭金にする供犠感覚にはいささか呆れてしまう。

革命的で
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サスペリア(1977年製作の映画)

3.3

魔界と対峙した最初の人間が宙吊りする物体になり果てるまでが秀逸。その後はヒールで忍び足をするような剥き出しの愚かさがゴブリンを奏でながら全面化してゆく。

キートンの大列車追跡/キートン将軍/キートンの大列車強盗(1926年製作の映画)

3.4

汽車が人間をみて笑い転げているのが聴こえてくるようなアニミズムコメディー。

牝猫たち(2016年製作の映画)

3.2

西口の某劇場に通うことがあったので眺める。インターネッツへの無垢な扱い方が、彼女たちの生を照らし出すように痛々しい。無作為によるもたらされた、予期せぬ幸福もかろうじてあるのだろう。

じゃりン子チエ(1981年製作の映画)

3.3

闇営業の極北。どうしたら、あの夫妻が結び付くのか皆目検討がつかないことのみが人を宙吊りにしてくれる。

COLD WAR あの歌、2つの心(2018年製作の映画)

3.5

あっけなさの制覇。余白と余韻を言挙げするには遮断としての断片が顔をのぞかせること多々。

民謡という否定しようもない純粋さの嵐が、壊滅的な被害をわれらに与える前にお行儀よく立ち去ってしまったのは、人工
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フィーバー・ルーム(2016年製作の映画)

3.6

舞台洞窟に住まうものたちを啓蒙(覚醒)にいたらしめる客席からの光線(視線)。

啓蒙の上塗りをされることで無垢に仕立て上げられたものたち(観られる観客というズブの素人(それは映像の演者のように))こ
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キムチを売る女(2005年製作の映画)

3.6

言いしれぬものに言いよどめることを「豊かさ」と感じ、その多幸感を言い募れるものに与えられた常備菜映画。

「芒種」が「キムチを売る女」へ超訳されていることを知る冒頭であったが、終えた今になっては、どち
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慶州(キョンジュ) ヒョンとユニ(2014年製作の映画)

3.5

過ぎ去ること、過ぎ行きことの肌理を整える。夢幻に入りかけるところまで連れては置き去りにする。また、繰り返す。

「時制」への倦怠感に慣れ過ぎてしまっているのか、もはや何をしていたのか誰にも検討がつかな
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やさしい人(2013年製作の映画)

3.4

両性を軽々担う「父」がいることのおぞましさを感じ続ける時であった。後は中々に記憶喪失。動物保護団体が来る前に。動くな、死ね、甦れ!と、あの忠犬に伝えたい。

女っ気なし(2011年製作の映画)

3.6

娼婦と情婦の道を昇り降りする時間を与えられる。それも、のんびりと散歩するような感覚で。単にそれだけなのだが、珍味なる掛け値無さがある。