清水お得意の縦構図は前景・後景に留まらず第三層すら積極的に導入し奥行きを際立たせ、笠智衆によるその階層間の懸命な移動がクライマックスとなるが、直後の田中絹代による移動の反復は、各階層を構成する部分が物>>続きを読む
ほぼ毎秒レベルで驚きを齎してくれる、人物の身振りの厳格さ、交わらない視線、長回しと編集のリズムにS=Hの試みの先取りすら感じる、川面に映る歩行の横移動撮影→実像への繋ぎは奇跡
台詞が聞き取れなさすぎて>>続きを読む
製作側のキモさにヴェンダースが無邪気に担がれているだけなのか、キモさを察知してある程度は抵抗の徴しを残そうとしているのか気になって見たがほぼ前者、その辺を度外視した面白さも大してないのが厳しい
小舟沈没からの一連の流れ凄すぎる
シュトロハイムがぶん殴られる時、一度テーブルに崩れてからカットが割られて床に倒れるのが良い
「芸術家」たろうとすることほど「芸術」からほど遠いものはないという真理の、サスペンスフルで限りなく緻密な具現化
眉間に皺は寄っているものの常に「外」へと開かれているミシェル・ウィリアムズの視線と、右往>>続きを読む
省略が単なる欠落でしかなく飛躍に転じていない感触があり、ブレッソンスタイルが上手くいってるようには思えない、最新作ではこの方法がだいぶ洗練されていたことがわかる
女優であるという情報の提示の仕方など所>>続きを読む
初長編の「Das Glück meiner Schwester」でも印象的だったフレーム外から響く車の走行音はこの映画でも聴こえてくるが、主人公の撮る写真が被写体とする「街路」や、高速道路の俯瞰ショッ>>続きを読む
一幕目の木々の合間から、五幕目の岩の向こう側に、どこまでも広がるような遠くの景色が好き
十分な睡眠時間を確保したうえで、また…(起きてる時もそんなに手応えは掴めなかった)
いわゆる音楽ドキュメンタリーとしての撮れ高のようなものがそこまであるように見えないが、恐らくそんなものは元々期待していないゴダールの「普段通りの」映画における「映画音楽」としての機能に徹することで却っ>>続きを読む
マヤ・ホークとブラッドリー・クーパーの抱擁(直前の夫婦の会話からの思わぬワンクッション)、キャリー・マリガンのプールへの飛び込み(その後の水中ショットの異様さ)、そして窓越しの疾走から再びの抱擁(奥に>>続きを読む
各ショットのその空間における「滞在時間」が曖昧であることによって、果たしてそれが長いのが短いのか「観光客」である当人たちにも掴み損ねるような時間が流れ続け、ジョン・マルコヴィッチの不在によってその曖昧>>続きを読む
気づいたら始まっている合戦は気づいたら終わる、一応入れておくか程度のインサートのようでほとんど面白味はない
西島秀俊のユーモアのなさにこそ映画の均衡は寄り掛かり続けるが、体を張って笑いをとってしまった>>続きを読む
「ラスト・ダイビング」、「黄色い家の記憶」では完璧なショットで撮られる下品さがただそこに存在する下品さとして見つめられていたが故の翻った上品さすら感じたが(今作でもその感は健在だが)、構造的なストーリ>>続きを読む
一度目のダンスで布のはだけた隙間からわずかに陰毛が映った瞬間、これまで映画に映されてきた数々の陰毛に何の価値も無くなるほどの衝撃的な興奮を覚えた
暗闇の中でスクリーンに向かって目と耳を澄ませることの至>>続きを読む
設定の判明がオチにならないのは良かった、あのリハーサルみたいな風景面白かったからもっと色々見たかったが
発声の方法だけではなくそのタイミングすら厳密に設定される、ありきたりな内容の会話シーンにおいても常にフレーミングと編集により「物語」は映画の抵抗を受け、観客を安住させることはない
一般的な劇映画のスタ>>続きを読む