オノ・ヨーコばりのあらゆる全てを肯定する「YES」というよりは、今日は天気が良いからという理由だけの「yes」を観た。真顔というには弱過ぎるし、もっと中途半端な力みのない肯定。それでも、やっぱり、人生>>続きを読む
第三項排除の原理。非常に良かった。
友達になろう
俺の村では
友達とは
同じグラスで酒を呑み
同じ歌をきく奴
のことをいう
ベッドに寝転びながら、ご飯を食べながら、通勤の行き帰りに、スマートフォンの画面でこれを観れば良い。
アメリカ人が、アメリカ人になるように、日本人が日本人になりうる可能性の一つとして。
「告白という制度」を最大限に利用した彼ら(特にフレディ・マーキュリーによる作詞)の歌は、単に「社会化された私」に響いてしまう。
私はこんな罪深き人間である。あゝ神よ、お許しください、と。
どんなに真剣な内省であっても、まだそれは真の内省ではない、という。
長い夢から覚めることで、真の現実の認識へと至る、とは限らないはずで、
むしろ朝子は、亮平なんか殺してしまって、麦の元へ帰る方が、>>続きを読む
路地に生まれ落ちた「中本の血」を持つ神の子は、新宿の夜の世界から追いやられる。「路地」解体後の新宮に帰るが、彼にも、そしてまた親戚が一切いない、私生児である彼女にも、何処にも行くあてがない。
なぜな>>続きを読む
とにかく良い顔。終始真顔であった。
善悪の彼岸におられる方には、もう手を合わせるしかない。
紀州の海と山のあいだで、男女の運命にまつわる青春物語。
面を作る神主の家に生まれついた男と、絶世の美女として生まれついた女は、そういった運命を背負う者同士であるからこそ強烈に惹かれ合うのだが、彼らを>>続きを読む
フランスの中には、きっとこれを全くもってヒューマニスムなんかではないと断言する人がいることを信じたい。
これをアメリカ的な英雄の物語と捉えてしまうことはできるのかもしれないけれど、それはそれで、浅は>>続きを読む
どうしようもない孤独なマザコン男がひとり。
彼は「本当の母親」を探している。
だが、結局彼が追っているのは抽象的な観念としての母でしかなかった。
彼は周りの女を愛せないし、育ての母親すらも許せない。>>続きを読む
家族というものの形が、もっと自由で、多様であれば良いと思う。
その反面、血縁というものが持つ、呪術的な縛りや争いがあることも、僕の中を流れる血が強く知っている。
血は争えない。その可笑しさを笑い飛>>続きを読む
台風の夜、声をひそめこっそり家を抜け出す父と息子。
そんなふたりを部屋の窓から心配そうに優しく見つめるふたりの母たち。
海よりもまだ深く人を愛することは、この女たちの、いや女神たちのその眼差しの中>>続きを読む
生きていれば、迷いというのは常につきまとってしまうのか。
自分の迷いそのものを切り売りし、小説を書く男に、僕はある種の憧れを感じた。
その迷いは、罪の意識のような暗さはなく、どこかあっけらかんとした>>続きを読む