秀ポン

ゴジラ S.P <シンギュラポイント>の秀ポンのレビュー・感想・評価

4.5
放送当時、「ゴジラ題材のガチSFがやってるぞ!」って友人達に伝えて回ったけど、誰もSFに興味なくて、結局一人で見ていた。

円城塔の小説に絵がついて、声がついて、ゴジラも出てきた感じ。
当時も思ったけど、時間方向の屈折だとか、大枠はGernsback Intersection、あれの花嫁をゴジラにした感じ。

他にも、ゴジラSPに登場するSF要素で円城塔っぽさを感じた点を挙げていくと、

・超時空計算機同士の競合、そして破局はSelf-Reference ENGINEの巨大知性体と、彼らが引き起こしたイベント。
・そもそもメッセージをメッセージだと認識できるのか?って疑問は、おなじくSelf-Reference ENGINEに出てくるエコー。
・ブートローダーがブートローダーを呼び出し、連鎖するのはレフラー球。
・認知的ニッチの侵略者は(自分が1番好きな)内在天文学。
・生命をモデル化して研究するのは複雑系生命科学的。

インタビューでも言ってるように、時間を超えたメッセージ、最初からわかっていたはずの答え、なんかは映画「メッセージ」っぽいけど、やっぱノリはテッドチャンじゃなくて円城塔。

ガッツリSFをやってくれて楽しい。
SF部分でワクワクしすぎて、むしろアクション部分は退屈ですらあった。あとゴジラの影がかなり薄い。
一因として、二人がゴジラ自体にはさほど興味を持ってないってのはある。
ゴジラというよりも、それを含めた謎の総体に向かい合ってる感じ。
ゴジラとしては珍しく、「あぁ、俺たちの街が……」感は皆無だった。しかしこれは別にこのアニメの評価を落とさない。途中で、メイの研究対象という形で安部公房が引用されていたけれど、彼の書く話には、そして円城塔の話にも故郷への郷愁というものはそもそも備わっていない。
(どこにも根付いていないフラフラした主人公が、フワフワと思弁を垂れ流しているのが面白い)

これが放送された時、先行の日本発ゴジラ作品としてシンゴジラ、虚淵ゴジラがあった。
・政治劇としてのシンゴジラ
・エロゲ的SFアクションとしての虚淵ゴジラ
・そしてこの、未知を探究していく過程自体を見せる「メッセージ」系統のSFであるゴジラS.P
ゴジラが多面的に描かれたこの流れにはかなりワクワクした。
「ゴジラといえばこれでしょ!」という絶対条件がどんどん否定されていって、それでも成立するゴジラという存在に底知れなさを感じたりする。

そしてこの作品で、主人公二人はゴジラの暴力ではなく、まさにその底知れなさに挑んだ。
その点でこの作品は、ゴジラを多面的に描くこれまでの流れが、結局のところどういう試みだったのかということを描き出していると言えるかも知れない。要はそれは、「ゴジラって何なんだ?」という問いだ。
これは適当を言っている。
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