KengoTerazono

スマイルプリキュア!のKengoTerazonoのレビュー・感想・評価

スマイルプリキュア!(2012年製作のアニメ)
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懐かしいパート2。妹の世代だからね、ぼくは。

ジョーカー怖かったな。

幹部戦はワースト級。あれはだめだ。まるで「あなたたちが悪者なおかげで楽しい物語を享受できてます」とでも言っているかのよう。こんな身勝手な話はない。本来、悪役だからと差別されてきたオオカミさんたちが、差別する人たちに対して怒るというもっともな話なはずなのに、彼らはボコされ、自分達を差別してきた人たちに許され絆される。つまり、差別された人たちを描いていることを装いながら、結局彼らを全体へ吸収し、彼らの苦しみを半ばなかったものかのように扱う、逆差別的な主題とも言えるだろう。

黄瀬やよいの父親のエピソードは印象的である。このエピソードにまとわりつく暗さはやよいのイメージからもプリキュアのイメージからも遠いため、観た時は驚いた。あれはプリキュア的東日本大震災へのレクイエムだと思った。父親と結婚したいとせがむ娘(父親は娘に対してお母さんには内緒で擬似的な結婚式を行う)や、結婚=ゴールというような考え方は父権的な家族像とも言える。エピソード内では既に父親は亡くなっているため、父親が決めた「やよい」という名前の由来がわからず苦悩する。父親と自身の名前が結びついている点において、不在の父親の存在を思い出そうとするやよいの描写は、自分のアイデンティティと結びついた失われたファルスを探し求めているかのようだ。この保守的なエピソードは、震災により多くを失った日本人が失ったものを求めて彷徨いあぐねる姿と重なる気もする。

またやよいの話だが、彼女のバンクはバンクの一回性を思い出させてくれる。髪型が変わった時の驚きの表情やじゃんけんをする仕草は、変身バンクが繰り返されていることを忘れさせる。データベース的な観点でみると、データベースと小さな物語を切り離して観ることで、モジュールが一回性を獲得するということだろう。つまり、変身バンクは所詮モジュールに過ぎず、それ単体では意味を持たない代物だが、物語とセットとなることで、一つ一つの変身が「初めて」の経験になるのだ。このエピソードでした変身するという決断はそのエピソードの限りにおいては「初めて」だし、その限りにおいてスリリングな経験なのである。1年間ずっと変わらないバンクが見せ物として機能するのは、物語の力によって、初めての決断になるからなのだ。
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